第22話 中空を漂う問い
遥は身体のこともあって、会社には在宅ワークを申し出た。
申し出は無事に受理され、今では通勤することなく会社から振られた仕事に自宅で専念している。
遥がずっとしたかった宣伝や企画の仕事からは遠ざかることになってしまったが、今は療養に専念した方が良いと僕も思っている。
週2回ほどは、これまで通り遥の自宅に通っていた。ただ駅での待ち合わせや、そのあとの道中の楽しみが無いのは少し寂しい。僕は道中を辿りながら、同時に二人で歩いた記憶も反芻しながら歩くのだった。
その日も会社帰りに遥の自宅へ向かう途中、一人スーパーに立ち寄る。お酒は諦めて、スナック菓子をいくつか見積もる。
とはいえ、こうして一人買い物をするのも嫌いではなかった。遥はどんなお菓子を喜ぶだろうかとか、順子さんには何が良いのだろうかとか、そんなことを想像しながらの買い物は、それはそれで楽しいのだ。
お酒の無いスナックタイムも、今では存分に楽しむことが出来るようになっていた。
でも何故かお酒が無い事への不満は、ただのポーズとして、儀式的に執り行われ続けているのだ。
遥の自宅に到着し、開口一番挨拶とスナック菓子の袋を仰々しく掲げる。
出迎えた遥はそれを受け取り、ビールが無い事への不満を呪文のように口にする。
僕と順子さんは火の舞でも始めるみたいに、遥にお決まりの鋭いまなざしを向ける。
そんな風にして、三人が声に出して笑うのだ。
食事を終えて、お待ちかねのスナックタイムだった。
ここのところ板に付いてきたマグカップでの乾杯。
そして僕は遥に言う。
「通勤時間から解放されるのは羨ましいな」
「丞ちゃんのお仕事ではそうはいかないもんね」
「少なくとも現場には行かないと」
「転職でもしてみる?」
「転職かぁ…」
もちろんそんな気なんてなかった。
木村さんが言うように、僕は今仕事を楽しんでいた。サウナと外気浴デッキの見積もり案件が希望通りにいったことは記憶に新しい。
お施主さんとは、このまま抱き合うんじゃないかってくらいのハイタッチを交わした。条件としては5年後10年後のメンテナンスは、うちが引き受けるという約定だった。その条件も快諾してもらい、契約に結び付いた。
お施主さんとその家族に喜ばれることが僕にとっては喜びだった。
「丞ちゃん、今の仕事好きでしょ?」
遥が僕に訊ねる。
「そうなんだよね。なんかさぁ、特に住宅の仕事が良いんだよ。ご夫婦やご家族の希望を聞きながら、何とかそれを形にしていく感じ。引き渡しの時のご家族の笑顔は達成感を感じるんだ」
「じゃあきっと、将来丞ちゃんが建てる家ってすごいんだろうなぁ~」
順子さんが割って入る。
「丞君、プレッシャーだね」
僕は腕を組み、考え込む。
「自分が住む家ってなるとどうなんだろう? 想像もできないかも」
そうだ自分が建てる家なんて想像したこともなかった。
お施主さんの要求に応える事ばかりで、自分のことには思い至っていなかった。
でも僕が建てるとしたらきっと遥の要求をたくさん聞き入れるのかもしれない。遥の身体に優しくて、順子さんも一緒に住めるような家だ。
広いリビングには小さなバーカウンターと、子供も一緒にくつろいで、みんなで話が弾むような三角形のテーブルがあるのも面白いかもしれない。
遥はそんな家をどう思ってくれるだろう。漠然とそんな想像を膨らませ、遥に訊ねる。
「遥はどんな家に住みたい?」
遥は一点を見つめて何か考えていた。もしかしたらこんな家に住みたいと想像を膨らませているのかもしれない。
「遥?」
僕は遥に呼びかける。
「ぼーっとしてどうかした?」
「ん? 私、ぼーっとしてた?」
「さっきから質問してるのに」
「ん? 何?」
僕は期待を胸に、もう一度質問を繰り返す。遥はどんな家に住みたいのだろう。
「遥は将来どんな家に住みたい?」
「うん、特に無いかな。そういうの…」
遥がそっけなく答えた。
僕の待ち構えていた答えではないこと、それとそっけない返事に僕は驚いた。というか、戸惑ってしまった。
そのあとの会話はそっちのけで、僕はずっと考えていた。
遥はどうして、自分の考えを述べなかったのだろう。
これまでの遥ならこんな会話なら身を乗り出して、我先に自分希望を話していたのに。
僕は遥の横顔をそっと伺う。
やはり何か物憂げに一点を見つめていた。どうして僕はこの時、遥を慮る言葉を返せなかったのだろう。
物憂げに一点を見つめる遥に、僕がその時考えた家を語って聞かせなかったのだろう。
順子さんは? この時順子さんは何を話していたのだろうか?
このスナックタイムは優しさの中にあった。でも何だかここのところ少しずつ、僕の考え知ることのできない何かがズレ動き始めていた。
もしかしたら僕の考えすぎなのかもしれないけれど、僕はそんな風に思っていたのだ。
将来どんな家に住みたい? 僕はもう一度思った。
でもその問いは、いったい誰に投げかけたのだろう。遥になのか。順子さんなのか。或いは僕自身になのか。
この問いは行き場を無くし、このトライアングルの中空を、ずっと漂い続けていた。
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