第13話 轍
翌日の勤務中も、ふとした時に遥の事が気にかかった。
本当に遥のここのところの様子は、おかしいと言う他なかった。路上で気を失って搬送されるなんて通常ではあり得ない事じゃないか。関節の痛みも、発熱も、何よりどうしてすぐに回復するのか。一つ一つの症状は日常的にあるのかもしれないけれど、あれほど苦しんでいるにもかかわらず、次の瞬間にはケロッとしていることが、僕にとっては何よりも不可解であり、恐怖すら感じるのだ。
本当なら回復を喜ばなくてはならない筈なのに、苦痛と回復の速さに、僕は胸騒ぎばかり感じていたのだった。
しかし、僕には強く心に思うこともある。どんな時だって、僕は遥のそばにいると云う事だ。大学一年の新歓コンパで遥は僕たちの出会いを運命だと言った。それから僕たちはずっと同じ時を過ごしてきたのだ。同じものを食べ、同じ時に笑い、同じ月日を重ねた。僕もあの瞬間、同じように運命と思った。僕たちの重なり合った
あのコンパの時は、あれほど勢いだった遥が、実は人と話すことが苦手だと知った時、僕はどうしようもないくらいの愛しさを感じたことを今でも覚えている。
「これって運命よね!」
遥は突然声を上げた。そのことがよほど恥ずかしかったらしく、遥はすぐに肩をすぼませるようにして背中を僕に向けた。遥の向こうに座る男と話すわけでもなく、しばらくじっと背を向けたままだった。
やがて向こう側の男が遥の存在に気付いて話しかけても、遥は恥ずかしそうに押し黙ったまま、その男の言葉に相槌を繰り返すばかりだった。
僕も慣れない環境だったから、目の前の料理を眺め、でも話す相手もいなくて、押し黙る。そして意を決して遥に話しかけたのだ。
「同じ学部だよね…」
遥は恥ずかしそうに
「講堂でも隣だったよね…」
僕だって初対面の人間とすんなり話ができる程、器用でもないのだ。遥は俯きながらも、こくりと頷いた。
「僕は宮内丞です」
我ながらおかしな自己紹介だった。遥は少しだけ間をおいて、絞り出すように小さな声で言った。
「あの…、寺下です。…寺下遥です」
でも結局そのコンパの間、僕たちが交わした会話はそれだけだった。
ただコンパが開らけ、2次会の誘いを断った僕が駅に向かって歩いている時、同じく駅に向かい、一人で僕の後ろを歩いていたのは遥だった。
僕は遥の存在に気が付くとすぐに声をかけた。
「寺下さんもこっちですか?」
遥は驚いたように立ち止まった。すぐに僕は駆け寄った。
「僕は駅に。同じ方向なら一緒に行きませんか?」
「あ、あの…。遥です。遥でお願いします…」
どうやら遥と呼んで欲しいようだった。
僕は少しだけ可笑しくて吹き出してしまい、そのあとすぐにそれを収め、遥に言う。
「じゃあ僕の事は丞で」
遥は少し困った顔をして、
「丞ちゃん…が、いいです」
そんな風にして僕たちは初めて一緒に電車に乗ることになる。
ホームで待つ間、たどたどしく連絡先を交換し、遥の自宅より駅4つ向こうの僕が電車から先に降りる遥を見送った。
一人になった電車の中で、僕はその日の出来事を思い起こしていた。
遥の事は、可愛らしいけれど少し変わった子だと思っていた。コンパの席で遥を挟んでいた反対側の男も、小柄でかわいい顔をした遥に必死に話しかけていたようだった。遥は全くのところ彼には相槌すらするものの、相手にはしていなかったのだ。
しばらくすると遥からのメッセージが届いた。
〈さっきはごめんなさい。私は初めての人と上手く話せません。男の子も苦手です。でも丞ちゃんが嫌じゃなかったら、また話しかけてください。今日はありがとうございました〉
遥が僕と普通に会話ができるようになるには、まだ少し時間がかかったけれど、僕たちはそれから毎日のように同じ時間を過ごしてきた。おかげで遥はいまだに他の人には話し下手ではあるにもかかわらず、僕にはかなり言いたいことを言ってのけるまでになったのだ。
その日最後の現場が終わり、帰社して手帳を広げた。
それぞれの施主とのやり取りのメモを取り出し、項目ごとに資料に起こす。
PCの時計に目をやるとすでに19時半を回っていた。少し根詰め過ぎかな。両手を広げて、身体を伸ばすと順子さんからの着信がある。慌ててスマホをタップすると、遥がまた病院に運ばれたとの知らせだった。急いで帰り支度をし、会社を出た。
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