第14話 はじめから決まっていること

 遥が搬送されたのは、昨日と同じ総合病院の救急外来だった。

 駅からタクシーを飛ばし、正面玄関はすでに閉まっていたので、救急外来口から院内に入る。

 外来の入り口で待っていた順子さんに促され、遥が寝かしつけられているベッドに辿り着く。用意されたパイプ椅子に順子さんと隣り合わせに座り、ベッドで眠る遥の安らかな寝顔を眺める。

 倒れた時に顔を擦りむいたらしく、頬骨辺りにガーゼが当てられていた。でもそれ以外には救急搬送された人間とは思えないほど、穏やかな寝顔だった。痛みや苦しみとは程遠いその寝顔を見つめていると、順子さんが口を開く。


「丞君、遥がこんな事になって心配でしょう…」


「それは…、もちろんです」


 順子さんの質問は、どこかこの身とは遠く離れた所から聞こえる様な感じだった。

 僕はそんな順子さんを、この場に引き寄せたくて呟くともなく訊ねる。


「どうしてこんなことに…。本当に原因は解らないんですか?」


 順子さんは答えなかった。

 遥の寝顔を一点に見つめ続けている。

 それからいったん両手で顔を覆い、その両手を口元に当てる。祈っている様にも見えた。


「丞君…」


 順子さんの呼び掛けに、僕は遥を見つめたまま答える。


「はい…」


「これからもずっと一緒にいてあげて欲しい…。遥、こんな風だけど…」


「順子さん」


 僕は少し強い調子で答える。


「もちろんです。僕はこれからだって遥とずっと一緒にいるつもりです。拒絶されない限り」


「丞君…、ありがとう…」


 順子さんは涙ぐんでいるようにも見えた。

 ここの所、順子さんの悲しい顔ばかり見ているような気がした。三人でテーブルを囲んで笑い合っていたスナックタイムが、ひどく遠くの出来事のように思える。ほんの二週間程度の間に、我々は予想だにしない場所まで流されてきてしまった気さえ思う。


 しばらくすると遥がゆっくりと目を開いた。少しだけ身体を動かそうとしたようだが、すぐに元の体勢に戻り、顔だけこちらに向け、我々に謝る。


「ごめんなさい…」


 順子さんがすぐに遥の頭を撫で、彼女に言う。


「誰が悪いこともないじゃない…」


 そのあとは誰も声を発しなかった。


 しばらくすると昨日担当した内科の医師が顔を出した。

 気を失った状況などを遥に質問している。

 気を失うというよりも足が先にもつれてしまったのだと遥は答える。

 医師はその他にも、遥の今日一日の出来事などをざっと質問していた。

 一通り聞き終わると、医師はこれから手続きをして、今晩は病室で様子を見るようにと我々に言う。

 順子さんはいくつかの書類に必要事項を記入し、パジャマなどを自宅に取り行くからと僕に告げる。


「丞君、もう少し遥かに付いていて欲しいんだけど」


 僕は心得たとばかりに頷く。


「もちろんです…」


 病院のベッドの準備ができるまでの間、遥は外来のベッドに横たわり、僕はまたパイプ椅子で遥の横に座る。

 遥が僕に謝る。


「丞ちゃん、ごめんね。本当に…」


「気にしないで、こんな事くらい。でも本当にびっくりしたよ」


「丞ちゃん、少し顔が疲れてるみたい…」


「まあ、仕事帰りだったしね」


「私の身体には何が起きてるんだろ?」


「僕もそれが心配で仕方ないよ。本当にどうしたんだろう、って」


 病室の準備ができたと看護師に伝えられ、移動を促される。遥は自分で歩けるというので、我々は一緒に看護師の後について行く。

 病室は六人使いの大部屋で、僕はすぐに順子さんに病室の番号を伝えるメッセージを送る。

 病室の説明を終えた看護師が去った後、遥はベッドに腰掛けたまま、その横の椅子に腰かける僕に訊ねる。

 パテーションカーテン越しに、隣の患者さんがイヤホンマイクでテレビを観ている陰影が静かに揺れている。


「丞ちゃん…、私このままだったらどうしよう…。もしこのまま治らない病気だったら…」


 僕は少し考えた後、遥に微笑む。さっき順子さんが僕に言ったことを反芻する。


「もしそうだとしても、ずっと遥のそばにいるよ…」


 嬉しかったのか遥は僕の手を握り、ベッドに座ったまま、その手をぶらぶらとさせる。

 僕は思わず吹き出す。


「なんだよそれ。遥ぜんぜん元気じゃん! 弱気なこと言うから真剣に答えたよ」


 そのあとすぐに順子さんが到着し、面会時間は過ぎているからとの看護師から指示もあり、僕だけがお払い箱になる。

 エレベーターホールまで遥と順子さんが見送ってくれた。

 一階のエントランスに到着し、ひっそりと静まり返ったロビーを抜け、受付横の電話でタクシーを呼んだ。

 タクシーを待つまでの間、ロビーの待合の椅子に座り、暗く高い天井を見上げる。

 こんなことは考えたくはなかったけれど、もしも遥の身体がこのままだったらどうするのかと自問する。

 答えなんてはじめから決まっているこの問いに、僕は悲しい気持ちになる。そう、答えなんてはじめから決まっているのに、どうしてこんなにやるせない気持ちになるのだろう。

 暗く高い天井は何も答えてはくれなかった。答えなんて、はじめから決まっているのだから。

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