恋する殺人鬼は今日も元気です

@akamura

第1話

自分は武闘家ではないし高みを目指しているわけでもないので、強い相手と戦うことに喜びは感じない。

任務の妨げになるならば、速やかに排除するが、可能であれば戦わずにやり過ごしたい。

けれど、目の前の相手はそうさせてはくれなさそうだ。


「どうして俺はこういうのに絡まれるかな」


放たれた剣撃をナイフで払いのけ、希はため息を漏らす。


好戦的に笑う目の前の男に見覚えはない。人の恨みを買いやすい仕事と自身の性質は理解しているが、流石に知らない人間にまで恨まれる覚えはない。

再びため息をついた希に、相手の男もまたつまらなさそうに目を細めた。


「手ぇ抜いてねぇで本気で来いよ。殺すぞチビちゃん」

「悪いけど、下手な煽りに乗るほど馬鹿でも子どもでもないから」

「ンだよ、つまんねぇ、なぁ!」


上段から振り下ろされた剣にナイフを沿わせて受け流す。

何とか逃げられないかと希が目だけであたりを見回すのと、男が腰からダガーを抜くのは同時だった。


希に向けて投擲するように構えられたダガーはしかし軌道を変え、明後日の方向へ飛ぶ。

ダガーの軌道を目で追った希は、大きく目を見開くとダガーを追った。


いつからいたのだろうか、見世物でも眺めるような呑気な顔でこちらを見ている、数人の男女。

男の投げたダガーは真っ直ぐに彼等彼女らの方へ飛んでいた。


ダガーよりも一足早く、ギャラリーの元へたどり着いた希が、ダガーを弾きあげる。

ギャラリーは悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。



落下してきたダガーを、希は男に向かって蹴り飛ばす。同時に自身も男へ迫った。

希のナイフを受け止めながら、男は満足げに笑む。


「そうそう。本気で相手してくれよ。じゃねぇと余所見しちまうぜ?」

「そうか、分かった。目を抉れば良いんだな」


顔を狙って放たれた針を、男は体をのけぞらせてかわす。

先程までとは打って変わって、息つく間もなく攻撃を放ってくる希に、くつくつと愉快そうに笑い、剣を横凪に振るった。


「っ、」


希の服が裂け、裂傷から血が流れる。

追撃すべく男が足に力を入れた瞬間。


背中から何かが―――包丁が、男の体を貫いた。


「な―――」

「……………は?」


予想もしていなかった展開に、希も、男も目を丸くする。

口から血を吐き出しながら、男は首だけで後ろを振り返った。


視界の端でふわりと、血に染まった長い袖がはためく。

男と目があった瞬間、相手は勢い良く包丁を引き抜いた。


「ガはっ……」

「何をしてるの」


響いたその声は、希にとっては聞き覚えのあるはずのもので。

けれど希の知るそれよりも、あまりに低く、冷たかった。


「僕の、シルヴィアと。何を、してるの?」


抑揚のない声を吐き出す唇も、男を見下ろす瞳も、まったく笑ってなどいなかった。暗い悋気と憎悪のような怒りが、その瞳には満ちている。

男のみならず希までもが、ジェロニモの身から溢れる狂気に絡め取られ動けなくなってしまう。


怖い。ジェロニモが怖い。

久しく感じる恐怖に、希はジェロニモを止めることも出来ず立ち尽くす。


ジェロニモは希に目をやることもなく、蹲る男へ包丁を向けた。

男が怯えたのは死への恐怖ゆえか、ジェロニモへの恐怖ゆえか。


「なん、何なんだお前、何で」

「質問に答えないなら黙ってよ」


苛立った声で吐き捨てて。

ジェロニモの包丁が、男の心臓を貫き、首を切り落とした。



死体を乱暴に蹴り飛ばし、返り血を拭ってから、ジェロニモはゆらりと希の方を向く。

未だに色濃い狂気を纏うジェロニモに、希はびくりと肩をはねさせた。


希をその視界に収めた瞬間。

ジェロニモの狂気は霧散した――あるいは、身の内に収束したと言うべきか。


「ひどいよシルヴィアぁ。僕にはあんな殺気、向けてくれないじゃない。あんなふうに殺す気でナ刃先を向けてくれないじゃない」


頬を膨らませ唇を尖らせるジェロニモの表情は、普段のジェロニモと何ら変わらず、先程までの濃厚すぎる殺意は影も形もない。

その変わり身の早さが、今は恐ろしい。

身体をこわばらせ、警戒をむき出しにする希に、ジェロニモはゆったりとした足取りで歩み寄る。


「はぁぁ……悲しいよシルヴィア。すごく悲しい」

「……」

「悲しいから……慰めてくれる?」


言い終わるか否かのうちに振るわれた包丁をナイフで受け流し、後ろへ跳んで間合いを空ける。だが体勢を整えないうちに、ジェロニモは距離を詰め第二撃を放ってきた。

舌打ちを漏らし、希は屈み込んでジェロニモの足を払う。ジェロニモがよろけた隙に、希は再び後ろへ飛び退った。


「悲しいんじゃなくて怒ってるだろお前」

「そうなのかなぁ、分かんないよ。ただ君があんな奴に本気の殺気を向けてたのは悔しいし」


空いた間合いをすぐに詰めてくるジェロニモに、希は強かに蹴りを叩き込む。まともに打たれたジェロニモの側頭部からぽたりと血が流れる。

腹を狙った追撃は包丁により受けられた。

そのまま足を刺そうとしてくるのを、寸でで回避する。


「あんなやつの血で君が穢れるのも、君があんな奴にその血を見せるのも耐えられない」


普段以上に精度と速度の上がった、ジェロニモの振るった包丁が希の脇腹を裂き、鮮やかな血が舞う。

その瞬間ジェロニモは、花が綻ぶような可憐な笑みを浮かべた。

見惚れるような愛らしい笑みはしかし、次第に性欲を孕んだ歪なものへ変わっていく。

戦慄く唇から熱い息を漏らし、ジェロニモは希の血を自身の唇へ塗りつけた。


「あ、ァ………あは、はははははっ……!」


内に抑えきれない昂ぶりをぶちまけるように、ジェロニモが笑う。

興奮に濡れた目で射抜かれ、希はぞわりと身を震わせた。

逃さない。

ジェロニモの眼差しははそう告げている。

逃げられるとは、最初から思っていなかったが。


「やっぱり良いよシルヴィア。君の血は甘くて、良い匂いで……すごく、綺麗」

「褒められてこんなに嬉しくないことってあるんだな」

「喜んでよ。それから―――もっと、頂戴?」


恍惚の笑みを浮かべ、ジェロニモは希の血を求めて包丁を振り翳す。

苦々しく顔をしかめ、希はそれをナイフで受けた。

ジェロニモの能力を思うとナイフはあまり使いたくないのだが、今はそれを気にする余裕がない。


「ああ、でも誤解はしないでね。僕は血だけじゃなくって、君の全部が好きなんだよ」

「前にも言ったが普通は好きな人に武器を向けたりしない」

「普通は、ね?」


くすりと笑みを零し、ジェロニモは一瞬で逆手に持ち換えた包丁を勢い良く振るう。

完全にはかわしそこねた希の二の腕が裂け、鮮血が散る。

傷口を包むように希の腕を掴み、ジェロニモは包丁を振り下ろした。

首を狙ったらしいそれを、希の蹴りが上に弾き飛ばす。


不満げに目を細めると、ジェロニモは先程のお返しとばかりに自身の足で希の足を払う。

バランスを崩し地面に倒れ込んだ希に覆い被さり、ジェロニモは笑った。


「つかまえたぁ」

「っ……!」


抵抗しようと振り上げた手は掴まれ、肩に包丁を刺されて地面に縫い留められる。

傷口から溢れる血に、ジェロニモは愛撫のように舌を這わせた。


左手に握られた包丁は希の足を貫き、馴染ませるようにゆっくりと、肉の薄い脚に刀身を埋めていく。


「んぅ、ハァ、あぁ、あ………美味しい、美味しいよシルヴィア」

「悪趣味の極みだな」

「ここも甘いかなぁ」

「っ!?」


ジェロニモの舌が、希の眼球を舐める。

痺れるような感覚と本能的な悪寒に、希は片手と片足でジェロニモを引き剥がそうともがく。

しかし見た目に反して強い力で掴んでくるジェロニモは全く動じることなく、大好きな飴玉を舐めるように希の眼球を舐め続ける。


「っ、ひっ、あ、あ、」


痙攣するように身を震わせる希に、ジェロニモは嬉しそうに目を細める。

藻掻く希の爪が引っかかり、目蓋が切れたが、それさえジェロニモは喜びの笑みで受け入れた。


「ジェロニモ、おい!ジェロニモ!」

「なぁに?」

「笑いながら怒るのやめろ、怖いし面倒臭い」

「うーん、怒ってなんかないつもりなんだけどなぁ」

「ヒハハハ。それは余計に質が悪いなァ!」


唸るように叫び、肩に刺さっていた包丁を引き抜くと、それをジェロニモの肩に突き刺す。

自分の肩から噴き出す血にジェロニモが気を取られた隙に、希はジェロニモを蹴り上げた。


蹴られた反動でぺたりと地面に座り込んだまま、肩に刺さった包丁を躊躇いなく引き抜き、ジェロニモはまた花が咲くように笑う。


「たのしいねぇ、うれしいね、シルヴィア」

「どこが?何が?」

「さっき君と会ってから今までのぜぇんぶ!」

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