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生田 内視郎
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「もう私、藝大は諦めた方がいいんでしょうか」
その日、予備校で課題絵をボロクソに酷評された私は入学1ヶ月目にして早くも心が折れかけていた。
「知らんよ、好きにしたらいいさね」
占い師のお婆さんは私の相談にこれっぽっちも興味なさそうに答えた。
「ちょっと、お金払ってるんだから少しは真面目にやって下さいよ。その千円は画材を買いに行くためのなけなしのお金だったんですよ」
「んじゃ辞めた方がいい。そんな大事なお金を占いに使っちまうくらいなら、どうせ大して藝大に行きたかったってわけでもないんだろう?」
「そんなことっ……!!」
と言ったきり、私は口をつぐんでしまった。
実際、無い、とは言い切れなかったからだ。
昔から絵を描くのは好きだった。
絵を描いている間は何も考えなくてよかったし、描くだけで周りの大人達はみんな上手だと褒めてくれ、沢山の賞が私の絵を賞賛してくれた。
私には才能があるし、この道こそが私の生きる道だと信じて疑わなかった。
高校に入るまでは……
調子に乗った私は芸術科のある高校を選択し、
そこで本当の才能というものに出逢って、井の中の蛙という言葉を嫌というほど思い知らされた。
辞める機会はいつでもあった。
それでも、これまで自分が費やしてきた努力を否定したくない、今更他の将来設計も思い浮かばない、私にはこの道しかないんだ、と自分を誤魔化しひたすらに筆を奮ってきた。
しかし、描いても描いても同級生達と差が開くばかりの自分の絵を見て、苛立たしく、私はいつしかキャンパスの前に立つのが怖くなってしまった。
気付けば、私はすっかり絵を描くのが楽しくなくなってしまっていたのである。
「それでも……やっぱり諦められないんです」
泣きべそをかいてみっともなく縋りつく。
お婆さんに占ってもらったところで、どうにか事態が好転するわけでもないのに……
「ハァー、仕方ないねぇ。ちょいと耳貸しな」
お婆さんはそんな私に同情したのか、仕方ないという風に私に耳打ちをして来た。
「アンタがどれ程の腕かは知らんが、アンタが一端の絵描きなら夢を叶える方法が一つだけある。
一日一回一時間、必ず自画像のデッサンをしな」
……それだけ?
そんなの今まで課題で幾度となくこなして来た。
今更自画像をデッサンしたところで、これ以上私の画力が上がるとも思えない。
それよりは他の課題に力を入れた方がよっぽど有意義では無いのか?
それに──
「正直、自画像はあんまり好きじゃ無いんです」
「アンタが今何考えてるか分かるよ、
ゴッホだろ?」
言い当てられてギクリとする。
そう、私はゴッホの絵があまり好きでは無かった。
勿論、唯の写実的なだけとは違う、その圧倒的な人を惹きつける絵には一種の畏敬の念を覚える。
しかし、彼の晩年の作品の色や筆使いは、見ている人を不安にさせる得体の知れない不気味さを感じさせた。
それはもしかしたら、彼の生い立ちを知ってしまった私の気の所為なのかも知れないが
特に、耳を切り落とした自画像。
「描いてるとアンタもああなるんじゃ無いかって不安になるんだろ?
彼も惜しかったね、もう少し死ぬのが遅けりゃ稀代の才能として持て囃されてたってのにさ
いや、死んだからこそ評価されたのか
まぁ、どっちでも良いがね」
お婆さんはいつの間に占う姿勢を見せるのも辞めて、煙草に火をつけていた。
「兎に角アンタもああなりたくなきゃ、これから私が言うことをよぉーく聞きな。
いいかい、自画像は必ず二枚描くんだ。ただし、一つは今までの過去の自分、もう一つはこれからの理想の自分を主題にして描くこと。
描けたら、絵は二つとも破って捨てる。
そうすりゃ全てが上手く行くようになる」
それは、……いわゆるプラシーボ効果というやつだろうか?
理想の自分を常に胸に置くことで、自然と目標に近づいていく、みたいな
「そんな単純なものじゃあ無い、これは一種の
まじないだよ。悪魔の儀式とも言える」
悪魔……?
「そう、だから気をつけな。もし描くのを途中でやめたり、条件を破ったら──」
その後、あのお婆さんは何て言ったんだっけ?
あの後、家に帰った私は彼女の言いつけ通り、
必ず一日一時間自画像を描くようになった。
正直半信半疑ではあったし、初めは未来の自分をどう自画像で表現すればいいのか皆目分からず、うんうんと唸っている間に一時間が過ぎ、
まともに描くこともままらなかった。
だが、四苦八苦しながらもどうにか描いていくうちに、段々と比例して私の絵が評価されるようになっていった。
特に目に見えて技術が向上した訳でも、斬新なテクニックを手に入れた訳でもない。
私の絵は私が見る限り何の変化も見られない。
なのに、私の絵に対する評価だけがグングンと上がっていく。
スゴい これがまじないの効果なのか
私は藝大に首席として鳴り物入りで入学し、在学中にも関わらず描いた絵は驚くような値段で飛ぶように売れ続けた。
私は彼女の言い付けを固く守り、例え旅行先や家族が危篤になるような緊急事態でも、必ず自画像を描き続けた。
勿論、書き上げたら破り捨てることも忘れなかった。
長いこと自画像を描いてると無表情にも関わらず、時々、過去の自分が悲しそうな、泣いて何かを縋るような絵に見える事があった。
だがそれはきっと、せっかく描いたのに勿体ないという気持ちが起こす私の錯覚だろう、と心を鬼にし構わず破り捨てていった。
やがて、私は稀代の若き天才としてその名をほしいままにし、かつての美術界の天才達と肩を並べるほどの才能だと持て囃されるようになった。
結婚し子宝にも恵まれ、テレビにも出演するなど、恐ろしい程に順風満帆な人生を送ってきた。
私は恐ろしくなった。
これ以上ないと思えるほどの理想通りの未来を手にし、私はこれ以上、どんな未来を想像して将来の自分を描けばいいのか。
私は追い立てられるように自画像ばかりに時間をかけるようになり、気付けば過去の自分など忘れてひたすらに未来の、完璧な、非の打ち所がない自画像を追求するようになっていった。
今、私は私が恐ろしい。
もし、この完璧ともいえる未来の絵が完成させてしまったら、その後、果たして自分にこれ以上の完璧な絵が描けるだろうか。
「もう描けないのなら、私が代わってあげましょうか?」
描きあげ中の自分の絵が、笑いながらそう囁いている気がした──。
「気をつけな。もし描くのを途中で辞めたり
条件を破ったら、お前は未来の自画像にとって変わられることになるよ──」
アップロード 生田 内視郎 @siranhito
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