55 基礎

 打ち据えるような口振りが、何かを言い返す前に、アズサの口を閉ざす。


「才能っていうのが、俺たちの間じゃ一番モノを言わせる。才能が無かったら何処へ行ってもどん底さ。無理に魔法師になるなんてしなくたって他にも道はあるし、じゃなきゃ三年、もしくは六年を棒にふるってわけ。君は俺達の世界で生きて行くには厳しい。だから、アシャロウ先生はああ言うけど、俺はお勧めしないね」


 熱さのない平淡な口調は、厳しい言葉であるのに、嫌みや皮肉のようには聞こえなかった。セノルにとって口慣れた言葉なのか、アズサが自分のことを正しく理解していたのか、少なくとも、どちらともあったのかもしれない。

 言葉は、何の隔てもなくアズサの耳にするりと入ってきた。衝撃は然程大きなものではなく、心の内に小さな波が立つほどだった。薄々と、心のどこかでそう感じていたことを突きつけられただけで、一歩どころか、他の誰よりも後ろを歩いていることは疑いの余地もない。

 

 だが、セノルは一体アズサの何を知っていると言うのか。諦めろと、見込みもないと断言されたようで、アズサはどうしようもなく腹が立ってきた。 

 そしてセノルは、嘲るような表情ではなく、考えを読ませない静かな表情でアズサの次の言葉を待っていた。


「才能が無くたっていい」


 セノルは訝しげに腕を組んだ。


「僕は――僕が持っているものを、ちゃんと使えるようにしたいって思った。それで、魔法師になって」

「なってどうするんだ」

「……魔法師だった父のことを知りたい」


「へぇ」セノルは目を細めた。そして、「父ねぇ」と転がすように繰り返すと、クツクツと喉を鳴らした。突然笑い出した目の前の男に、アズサは自分の大事な理由を馬鹿にされと感じた。


「ちゃんとした理由じゃないのは分かってます」

「いやぁ、ごめんごめん。考えはよーく分かった。問い詰めるようなことをして悪かったね、ははは」


 セノルは声では笑っているのに、さして感情の色を見せない笑い声を上げる。その何とも言えない掴み所の無さが不気味でもあった。


「うん。マァ、才能が無いって言われて諦めるならどうしようかと思ったけど」

「僕は才能が欲しいわけじゃない、です。それに、初対面の人からそう言われても、素直に『分かりました』なんて言いたくない。僕はそんな、じゃない」

「ははは。考え無しじゃないねえ」


 セノルはまた面白可笑しげに、「先生は変な子を連れてきたんだな」と口角を上げた。何が可笑しいのかも分からないアズサはまた馬鹿にされたような気分になった。


「まず魔法が使えなきゃあ、意味がないんだよ。才能が無くたっていいっていうのは、ただ君の理想だろう? いくらでも理想は語れるけど、実際に出来るかは別問題だ」

「それは……そうですけど」


 表情を抑えて一息つくセノルは、言葉を喉に詰まらせたアズサの手にある硝子玉に細い指を向けて言う。


「それを灯せるようになることが、まず第一段階。できるようになるまで、俺から何も教えてやることはない。むしろきっぱり諦めな」

「でも、それは」


 どうすれば、とアズサが聞き返そうとする前に、セノルはにっこりと整った笑みを深める。その笑顔にさして良い意味がないことをアズサはこの数分で思い知った。嫌な予感がした。


 案の定「さぁね?」とセノルは意地悪く口端を上げ、「それは自分で考えな」と腕が左右に動かした。「わっ」と声を上げたアズサの足下に大量の本が積み重なる。


「それ、多分試験に必要だからな。もう一人の子の分もある。じゃあそれ、まぁー、頑張れよ」

「え、えっ!」


 本を拾おうと身を屈めたアズサが顔を上げると、そこにセノルの姿はどこにも無い。辺りを見渡しても誰も居らず、アズサは一人置いて行かれたことに気がついた。


 途方に暮れたアズアは、手にした硝子玉を見つめて小さく息を吐き出した。


 冷たい硝子玉はただ透明な光を反射していた。アズサは本を拾い上げ、近くの椅子の上に運び、積み上がった本の表紙を右手でちらりと捲った。本は好きだ。しかしこの大量の本を読んでも、今は左手にある硝子玉が光るわけがないと思ってしまう。


 アズサは椅子に腰掛けて、じっと空を見上げた。空は快晴で、ゆったりと白い雲が流れては消えてゆく。色々なことがあったせいか、単調に流れる雲を眺めていると、とろんと瞼が落ちてくる。暖かい日差しの中で、半分夢の中に居るような心地。半分は現実で、半分は夢。


「はぁ……悩んでてもしょうがないか……」


 アズサは、ぐっと勢いをつけて、椅子から立ち上がった。




 ◆□◆




 次の日、アズサとユキの目の前にセノルは突然現れ、ユキに魔法を使うように言った。


 硝子玉に指が触れたその瞬間にユキは光を灯し、セノルの言う魔法を全て唱え、実演して見せた。セノルはユキの実力に目を丸くし、「俺から教えられることはないな」と、アズサに向けた言葉と同じようなことを全く別の意味で言い残して、また何処かへ消えてしまった。


 アシャロウに頼る事もできたが、アズサが思う以上に、彼はこの学校で一番忙しい人だった。あの校長室に行っても大抵は部屋におらず、アズサは広大な敷地の中で幾度も迷子になった。迷子になって時間を費やすぐらいなら、自分の力で考える事をアズサは選んだ。

 

 それからアズサとユキは一日の大半を魔法の勉強に――ユキはセノルから与えられた本を読んでいただけだが――費やした。仮住まいとして与えられた宿舎を利用する教師は少ないようで、日中の静かで落ち着いた裏手の庭は勉強には最適の場所となった。


 アズサは自分への落胆さえすれども、『どうやって【魔力】を使い、魔法を使うのか』という方法が気になって仕方がなかった。


「私たちの周りには、【大いなるものテーレ】が流れている。人も、自然も、この世界の全てが【大いなるものテーレ】の流れの中にある。私たちはその力を、自分の身体に見合うだけのものを取り込んだり、溜めることができる。私たちは外の力と自分の力を区別するために、この世界にあるものを【大いなるものテーレ】と呼んで、私たちが取り込んだり使ったりできる【大いなるものテーレ】を【魔力アラ】って呼んでる」


 見かねて話すユキの言葉の大半は、アズサにとっては抽象的で、非現実的なことで――つまり、難しかった。


「でも、溜めるだけじゃ、何もしないのと変わらない。【大いなるものテーレ】は【大いなるものテーレ】のまま、循環して、ただその流れの中にあるだけなの。だから、そこに手を加えたものが魔法。私たちの身体の中で循環する力や、私たちの回りの世界に存在する力を、私たちの認識できるように意味を与えて、形にするものが魔法なの」


「ちょっと待って……その……【大いなるものテーレ】はどう流れているのさ?」


「私が見てるかぎり」


「ちょっと待って! 見てるってどういうこと?」


「うん」ユキはさも当然と言う表情で頷いた。「【大いなるものテーレ】は風みたいで、キラキラしてて、細い糸をたくさん引いているみたい。それが流れてる。アズサには見えない?」

「み、見えない」


 それが一体どのような景色であるかは検討もつかなかった。初めて出会ったその時からどこか不思議な雰囲気のある彼女は、アズサとは全く別の世界を見ているのだということを、ふとした瞬間に思わされる。


 しかしアズサはそこで、自分の身に起きた出来事を思い出した。


 目の前で散った眩い光。気圧され、圧倒され、濁流のように押し寄せる光の波しぶき。あの時感じた手足のしびれに、失われていく感覚と知覚。くらくらと回り、混ざり合って、美しくて、けれども、おそろしい――あの大いなるもの。


 魔法を初めて使ったあの時。あの光景を再び感じることが出来れば、魔法が使えるのだろうか。


「それは、今はどっちに向かって流れてる? 向きが変わったりする?」


「どっちかって言われると難しい。だって、いろんな方向に向かって流れてるから。でも、一番大きなものは向こうに行ってるわ」


 ユキは学校の建物の方角を見て、「あっち」と指さした。


「どうやって見えるように?」


 ユキは静かに首を振った。わからない、と。


「見えないと魔法って使えないのかな」アズサは肩を落とした。


「ううん」ユキはまた首を振った。「いつも見えてるわけじゃないよ。ここは力が強くて濃いから見やすいだけ。見えなくても魔法は使えるよ」


「そ、そっか! じゃあ、ユキは、どうして僕が魔法を使えないか分かるの?」


 ユキの青い瞳がすっと逸れ、周りをぐるりと見渡して、最後にアズサの足の先から頭の上までをジッと見つめた。


「えと、そんなに見られると」


「分かるよ」不思議な声音でユキは言った。「アズサの中はぼろぼろだね」


「ぼろぼろ?」


「うん。せき止めらてる。【大いなるものテーレ】を取り込み過ぎないように、塞いでるみたい」


「どういうこと?」


 ユキは逡巡した後、「小川に石を落とした感じ」と言った。歩き出したユキは、近くを流れる小川の傍に寄り、滞りなく下流へと流れる小川の淵に、いくつか小さな石を寄せて置いた。


「止まって、遅くて、流れが弱くなって」


 アズサは片手で口を覆った。思考を深めるときの癖の一つだった。


「普通に魔法を使うときに必要な分の【魔力アラ】が僕にはないってことか。それって【魔力】が足りていないのか、魔法を使うのに時間が掛かっているのか。うーん、魔法って、【魔力】がたくさんあればあるほど、強い力になるんだよね」


「たくさんの水があれば必要な量はすぐに溜まるでしょう? でも、水がたくさん無い時、同じ量を使うとしたら、そこにちゃんと溜まるように制御する必要があるんじゃないかな」


 ユキは手にしていた本をパラパラと捲った。本の中にはいくつもの丸が描かれている。魔法の法式の元となる法式陣だ。


「それに、昔の魔法は、たくさんの人の【魔力】が必要だったけど、その法式の意味を直していくことで、一人でも使えるようにしていったって書いてあったわ。だからもしかしたら」


「ほ、法式を変えるってこと!? でもそんな、法式を変えるって……、ん? 魔法の法式の、意味を変える……」


 頭の中にピンと弾ける音が鳴って、「あっ」、とアズサは声を上げた。


「魔法は、私たちが取り込んだ【魔力アラ】に意味を与えるもの。まず意味を与えるために、を使うんだよ」


「……そ、そうか、【魔力アラ】は僕には見えないけど、流れているんだよね。僕の身体の中にも流れがあるし、溜まっている。だけど、それはただそこにあるだけ」


「うん」


「それは僕が息を吸って吐いているのと変わらないっていうことで、僕がウンウン悩んでも何にもならない、から、つまりそれを別の方法で変えなきゃいけない――」


「うん」


「それで法式と法式陣が、いる……?」


 なぜ気が付かなかったのだろう。ぽかんと口を開けたアズサの顔に、ユキは小さく笑った。


「まず法式を変える前に、アズサは法式を知らなきゃだね」


 差し出された本のページには、【灯れウルーシェ】の法式陣が描かれている。


 アズサは恥ずかしい気持ちになった。

魔力アラ】はただそこにあるだけで、そこに意味を与えなければならない。アズサは、意味も与えずに【魔力】を自力で使おうとしていた。

 あの『書庫』で読み漁った本には、法式が魔法の基礎であることも、法式の一つ一つの意味も、全てが書いてあった。それを忘れていたことも、セノルから与えられた本を読もうともしていなかったことも、魔法の基礎を飛ばして魔法を使おうとしていたことも、ユキに指摘されたことも気恥ずかしさを感じさせる。


「あ、ありがとう、ユキ。ユキに言われてなかったら、気づけなかった」

「ううん、初めて魔法を使うから、難しいことだよ」


 アズサの知る人々はみな法式陣や法式を唱えることもなく魔法を使っていた。それは経験や研鑽を重ねた魔法師の姿で、魔法が使えると判明して数日しか経っていないアズサにできるわけがなかったのだ。


 そして、ユキもまた自分の身体の一部のように魔法を使う。ユキには卓越した魔法の才能があるのだとアズサは思った。


「法式陣はただの絵じゃない。一つ一つの線や模様にちゃんと意味があるの」

「意味」

「うん。だからそれを知ることからしてみたらどう?」


 一つずつ、丁寧に。紐解くように。

 アズサは差し出された本を受け取って、描かれた法式陣をなぞる。何処かで見た記憶はあるが、その線の意味は分からない。なぞった線は、今はだたの絵にしか見えなかった。


 











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