54 硝子玉



「エー……、なんだかヤな予感がするのは気のせいですかねぇ、アシャロウ先生」

「気のせいでは無いかもしれんな、セノル先生。一つ仕事を頼みたい」


 セノルと呼ばれた男は、軽口を叩きながら真っ直ぐに机の前まで来ると、まずアルティナに目を向けて軽く会釈をし、そしてアズサとユキを、先程のへらりとした顔から一転、冷めた視線で見下ろした。くすみのある黄色の瞳が細まり、品定めされるように射抜かれる。


「彼は、ロイエ・セノル先生。この学校の教師じゃ。セノル先生、そう警戒するでない。この子はアズサ。そしてその隣がユキ。訳あってわしと、こちらのアルティナ・バーランド先生が保護をした子供じゃ」

「保護、ですか」セノルは眉をひそめたものの、それ以上の追求をすることも無かった。

「その話はおいおい。二人は二か月後の試験を受ける予定での。じゃが、魔法の使い方について、知らないことが多い。そこでお主が魔法の使い方を教えてやって欲しいのじゃ」

「はぁ、魔法の使い方を教える、ですか」

「うむ」

「そして二ヶ月後に試験、選定試験を受けると?」

「うむ」アシャロウは念を押すように、さらに頷いた。「君なら教えられるじゃろう」

 セノルは黒髪をぐしゃぐしゃに掻くと、大きく息を吐き出す。

「では、それは俺にどんな利があるのでしょうか」


 あぁ、あぁ。アシャロウは待ってましたと言わんばかりに目を光らせた。


「君はそう持ちかけると思ったぞ。君が前から申請を出している物品の予算でどうかの」

「具体的には?」

「アルダルの花とユージェンの卵じゃよ」


 セノルは顔色を変えずに、思案げに指先を顎に当てた。


「魔導書も数冊付け加えようかの」

「へぇ。そっちも許可してくださるのですね」


 セルノが、ちらりと子供たちにまた目を向ける。これまで何度申請しても通らなった物品を、こうも簡単に許可するとは、なるほどそうアシャロウに言わせるだけの子供の存在にも興味が湧き出した。そこへ加えてアシャロウの顔を伺えば、にやりと人の悪い笑みを浮かべている。これは逃げ道がないのだろうとセノルは悟った。


「マァ、良いとしましょうか。ですが、贔屓ひいきだと言われても知りません」

「ふむ。わしとしては実力主義と身内贔屓の両極を持つこの界隈、さほど問題とは思っておらん」

「そうですか。なら受からなかったりしても、それは力不足だったということで」


 受かる見込みがないと遠回しに言われた気がして、アズサは丸めた指先に力を入れた。


「まだ……、やってみないと分からないじゃないですか」


 言葉の勢いを強めて言えば、セノルは驚いたように一瞬目を丸くして、その目を弧を描くように細める。


「はは。そういう勢いの良さは嫌いじゃないけどなぁ……。じゃあいつから魔法を学びたい?」

「今からでも!」

「ははは。そう、そうか。――アシャロウ先生、もうお話は終わったのですよね。こう言ってることもあるし、さっそく始めても良いですよね?」

「もちろんじゃ。ただし、以前の様にしてはならんぞ」

「アー……。あれは俺のせいじゃない。こちらのことも聞かずに自分を過信してたあいつらの自業自得ですからね」


 アズサは一抹の不安を覚えた。先ほどはつい強気な言葉を言ってしまったが、本当にやって行けるのだろうかと。


「セノル先生。ユキにはまだ続きの話があっての。ユキ、君はもう少しだけ残っておくれ。先程の書類について話をしよう」

「あ、ええと……はい」青い瞳が伺うようにアズサを見た。不安げな色が見えて、アズサは頷いた。

「またあとで、ユキ」と言えば、ユキは「うん」と小さく首を動かす。

「時間は有限だ。それではアシャロウ先生、それからバーランド先生も、失礼します」


 振り返りもせず颯爽と出て行くセノルの背中を追いかけ、アズサは部屋を後にした。


  ◆◆◆

 

「えー、改めて。ロイエ・セノルだ。この学校で教師をしている、というのは分かっているよな。それで君、名前はなんだっけ?」

「アズサです。アズサ・リアンタと言います」

「リアンタ――、リアンタ。東の文字と似た響きだな。珍しい姓だがどこの出身だ? 随分、アシャロウ先生に気に入られている。なぜ、アシャロウ先生が? ここに来る前はどこにいたんだ?」


 セノルは部屋を出てすぐ、尋問をするかのように、矢継ぎ早に聞き始めた。


「ええと、出身は水の国です。アシャロウ先生は、僕の後見人になると言っていました」

「へえ、後見人。なるほどねぇ。御家族は?」

「それは……」

 アズサが言葉に詰まると、セノルは「おっと、悪いことを聞いたみたいだな」と頬を掻いた。「じゃあ君と一緒にいたあの子は? 君のきょうだいにしては似てないと思ったけど」

「ユキは、血は繋がってません。一緒に暮らしてたんです」

「へえ」

 

 軽く相槌を打ったきり、セノルは口を閉ざした。アズサは居心地が悪くなった。矢継ぎ早に問われると答えなければと焦る気持ちがあったが、急にその波が止まば返って不安な気持ちがじわじわと広がる。


「どこへ向かっているのですか?」

「ん、うーん、そうだな。どこ行くかなぁ」


 セノルは何を考えているのか分からない表情で、校舎の中を進んで行く。アズサは今自分が何処にいるのか、校長室の位置や入ってきた門からの道順もすでに忘れてしまっていた。

 しばらく歩き、セノルは静かな中庭で足を止めた。時折、生徒や教師と思わしき人間が中庭に面した廊下を歩いて行く。誰もがセノルと、その隣にいる制服を着ていない子どもに目を向け、物珍しそうに通り過ぎて行く。

 セノルがさて、と声を上げた。

 

「まずは魔法とは何かについて知る前に、試験のことについて話そうか」


 セノルは指先を振った。ちょうどアズサの目の高さに、人の形を模した絵が三つスルスルと描かれた。


「この学校に入ってくる生徒は、大きく分けて二種類いる。一つは魔法師の家系に生まれた魔法師の子ども。もちろん、魔法師の家に生れた子どもは有利な立場にある。そういう子どもは幼い頃から力の扱い方を知るよう教育を受け、入学することもだいだい決まっているんだ。まあ、一応、試験があるけど」


 可愛らしい二頭身の人形は、それよりも大きな二つの男女の人形に挟まれていた。男女の手にはそれぞれ杖が握られており、子どもの手にも杖がある。大きな二つの人形が親であると同時に魔法師、小さな人形は子どもだ。

 セノルはまた腕を振った。その隣に、杖を持たない背の高い男女の人形に挟まれた、杖を持つ子ども。子ども人形は居心地の悪そうな表情で周りを見渡している。


「もう一つは、魔法師の家系ではない家に生れた『天音の心』を持つ――、【魔力アラ】を持ち、扱える子どもだ。彼らにも魔法、そしてその制御を学ぶことが求められる。そういう子どもを入学させるために行なうのが、君の受ける試験だ」


 再びセノルが指先を動かすと、絵は溶けるように消えて無くなった。


「当日、どんな試験になるのかは俺には分からないし、分かっていても言わないけどな、まあ一つだけ誰もが分かりきった絶対条件がある」

「絶対条件?」

 セノルが頷く。

「まず、【魔力アラ】を制御できること、それを使って、決められた魔法を紡ぐことができること。それから、ある程度、魔法に関する知識を持つこと。この三つだけさ。入学前にそれほど高度なことは求められないけど、かたや、幼い頃から魔法について学んでいる子どもがいる環境だからね」

「魔法を使う……」


 アズサが不安げに肩を落とすと、セノルはにっこりと人の良い笑顔を浮かべた。


「マ、そんなに緊張しなくても、アシャロウ先生が後見人をしているなら、大丈夫だと思うんだけどねぇ、俺は」

「ですが、僕まだ……一回ぐらいしか魔法を使ったことがないです」


 セノルの形の良い笑顔が一寸ほど固まった。


「ちなみにそれはどんな魔法だ?」

「それは……ええと、分からないです。光がこう溢れて、わーっとなって、何て言うか、ぐるんとして……、あの時は無我夢中だったんです」アズサは身振り手振りを使って言った。「でもそれが僕にとって初めての経験でした」

「へえ、初めて魔法を使ったのは?」

「えっと、その時だけです」


 セノルは疑いの目つきをアズサに向けた。生まれた子どもに【魔力アラ】が在るか否かは、誕生からおおよそ七歳までの間に判明するというのが一般的だ。成長してから魔法が使えるようになるということは滅多なことではない。

 その視線が段々と細くなり、またも見定められるような瞳に射貫かれる。自分のを見られているような感覚に、居心地の悪いアズサは視線を地面に落とした。

 すると、セノルはおもむろに懐から丸く透明な球体を取り出した。指先に収まるほどの大きさで、その中には何も入っていない。


「これ、この硝子玉の中には光を放つ石が入っている。マァ、見えないけどね。この石は【魔力アラ】に反応して光を放つんだ。いいかい、よく見てな。――【灯れウルーシェ】」


 セノルが魔法を唱えると、硝子玉の中で淡い黄色の丸い塊がぼんやりと現われ、静かに光を放った。アズサが「わぁ」と声を上げると、今度はその硝子玉をアズサに差し出した。


「同じようにやってみな」


 アズサが触れると黄色の光は消えてしまった。けれどもアズサは、胸の辺りがむずむずとする心地になった。幼い頃から夢見ていた魔法が使える。触れた硝子玉が、まるでこれが現実だと実感させるように、仄暖かさをアズサの指先に伝えきた。


「【灯れウルーシェ】、だ」

「……ウ、【灯れウルーシェ】」


 アズサは指先に僅かに力を入れたが、その期待を裏切って、硝子玉の中には何も生じなかった。アズサは、光が硝子玉の中に現われることを思い描いた。それでも何も起こらない。あの雨の日に見た、流れるような光の線を、濁流のように押し寄せる波を思い描いた。――が、何も起こらない。


「【灯れウルーシェ】――、【灯れウルーシェ】!」


 力任せに叫ぶと、耳元でパチンと音が鳴った。アズサがはっと顔を上げると、セノルが指で音を鳴らしたような形で手を掲げていた。


「いいよ、分かった、分かった。なるほど道理でね。今の様子を見ていて確信したが、やはり君に【魔力アラ】があるのは確かだけど、君はそれをきちんと扱えない。残念だけど、それはこれから特訓したり、勉強したりしても、あまり変わらないだろう」

「どう、いうこと……、ですか?」アズサは言葉を詰まらせながら聞き返した。

「【魔力アラ】は俺たちの身体の一部、血のように全身を流れてる。だけど君は、身体の【魔力アラ】の流れる道が所々がせき止められて、流れていない部分があるんだ。これは君の元からの体質なのか、何なのかは分からないけど、のが原因だろうなぁ。俺は専門じゃあないから何とも言えないけど、その何かのせいで、君はこれから先、うまく【魔力アラ】を扱うことができない」

「何かのせい……」

「思い当たることがあるみたいだな」


 その言葉を手がかりに、アズサはアシャロウから聞いた話を、頭の片隅から引っ張り出す。刻印。封じられた魔力。【語れぬ者カエナン】として育てられてきたこれまで。アシャロウが言った『困難な道』とは、魔法が使えないということだろうか。アズサは、口端を少しだけ引いた。


「でも、アシャロウ先生は僕は魔法が使えるようになるって」

「全く使えない、というわけじゃない。使えないんだよ」セノルは平坦な声で続けた。「俺は、アシャロウ先生のように甘いことは言わない。だから試験に受かる受からない以前に、そしてこれから魔法が使えるようになるかならないか以前に、君に言っておきたいことがある」


 躊躇いのないまま簡潔に、そして断ずる言葉をセノルは告げた。


「君が魔法を使うことは相当厳しい。まァつまりね、才能がないよ、君には」







 ――――――――――


 とても久しぶりの投稿になってしまいまた……(泣)

 長くなりましたが、読んでいただきありがとうございます!

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