53 提案②


 紙束をユキの腕の中に渡しながら、アルティナは明快な口調でそう言った。ユキは腕の中に詰まった紙束――養子縁組に関する書類を見て、困惑げに眉を寄せる。


「ど、どうして?」


 そこまでしてくれるのだろう、とユキは思った。ユキはまだアルティナに一度しか顔を合わせたことがなかったはずだ。ユキには、なぜまだ会った回数も少ない子どに保護者になると言えるのか、まるで検討が付かなかった。


「それはまあ、……私は君が悪い子ではないと思っているよ。ここ半年、いたって何もなかったということをバルクスも言っていた。だが、こう言ってはあれだけどね、まだ私たちにとってすれば、君は不安のある存在だ」

「バ、バーランド先生!」


 アズサは思わず声を上げたが、それはアシャロウの上げた片手に遮られた。


「言ってしまえば君を目の届く場所に、身元の確かな場所に置いておきたいということでもある」


「バーランド先生。先生は――、先生も、どこの誰とも分からない私を、受け入れてくれるんですか――」


 だから、とアルティナが言いかけるよりも先に、ユキは白紙の紙を胸に抱え直して言った。アルティナは目を丸くしてやれやれと息を吐き出す。


「……今のは、理由の一つだ。私は君にかかった呪いについてもまだ見なければと思ったし、以前君の魔法の力を見て、君がいずれ力のある魔法師になる気がするから、ぜひ今のうちに縁を結んでおこうと思ったり、まあ色々と理由があるんだが」

「なるほど、なるほど、バーランド先生は相変らず手が早いのう」

「先生はお静かにお願いします。それにユキ、まだ決まってはいないから、君が嫌なら無理強いはしないと、そう言おうと思ったんだが」

「嫌じゃありません!」ユキは首を振った。「私、あの――ありがとうございます、先生」


 ユキは、自分のことが自分でも分からないけれども、その分からない部分も含めて、アルティナがそう決断したのだということに気づいた。残るはユキがその答えを決めるだけだった。


「もちろん、君が良いのなら、こちらからよろしく頼む。私の家は古くから続く【魔法医ラファネイ】の家系でね、まあ、跡継ぎを残せやら結婚をしろやら、煩く言われているんだ。でも君が養子になってくれるのなら、その煩わしさもなくなる」


 アルティナはニッと笑った。一番最後の言葉が一番の理由であるような言い方だ。

 ひとつ話の波が途切れたところで、今度はアシャロウが口を開いた。その視線はアズサを真っ直ぐ見つめていた。


「そして次に、アズサ。君の後見人はわしが務めよう」


「アシャロウ先生が、僕の」


「お主のご両親が残した遺言の一つじゃ。ご両親が亡くなった場合には、まずゼンが後見人となることが決まっておった。しかし、もしお主が成人になる前にゼンに何かあった際、わしが引き継ぐことになっておるのじゃ」


「……はい」


 アズサはゆっくりと頷いた。後見人。保護者。その言葉が当てはまるのはアズサにとってゼン一人だ。アズサは、まるでゼンが死んでしまったという事実の薄片に、心のどこかを刺されたような気がした。


「きみにとって、保護者というのはゼンだけじゃろう。そのことはよぉく分かっておる」


「あ――」


 アズサの複雑な気持ちを見透かしたように、アシャロウは優しい表情のまま続けた。


「しかし、お主の世界は変わった。お主は先に進もうと決めたのではないか。これはその一歩を進むために必要なことじゃろう」


 ――乗り越えなさい。そう言われているような気がして、アズサはぐっと拳を握った。


「分かりました」

「受け入れてくれてありがとう、アズサ。それから、アズサよ、もう分かっているかもしれないが、然るべき時が来るまで――せめて、お主の生まれについては伏せておかなければならない。大刻印を持っているということを知られれば、またいつ、どこの誰に狙われるかも分からぬ。お主は《虚の狐》だけではなく、水の国のに巻き込まれたいかのう?」

「いざこざ?」アズサは小首を傾げた。

「政治、貴族、魔法。水の国の内側にある様々な騒動に君は巻き込まれることになるじゃろう。ゼンはお主がそのいざこざに巻き込まれないように君を守っていた」

「アシャロウ先生、それは少々なのでは?」


 アルティナは首を傾げているアズサの顔をちらりと見て、苦言を呈する声音で口を挟んだ。


「そう、そうじゃな。お主らはわしが思う年頃の子どもより随分大人びて見えるから、思わず難しくしてしまった。――つまりはまあ、なるべくわしはお主を危険から遠ざけたい。じゃから、お主はこれまでと同じように、ミエラル村で育ったゼン・バーリオの息子、君はただのアズサ・リアンタということにしたいのじゃよ」

「ゼンさんの、息子」アズサは言葉を繰り返した。「ゼンさんが、そのいざこざに巻き込まれないようにしていてくれたのなら、僕はそれを破ったりしたくないです。それに、自分から危険な目にあいたいとは、僕は思っていません」

「そうか、そうか。それならよかった」

「先生が後見人だと言うことは、公にするのですか?」


アルティナが聞いた。目尻を和らげていたアシャロウは、一転して悩ましげな表情を見せた。


「正直なところ、伏せておきたい気持ちでもある」

「先生の名前にはがあるから――」

「しかしかえって、わしの名前が牽制になるじゃろう」

「そうですね」

「それに、いつかは知られることでもあるじゃろう。人はそういったことに敏感じゃ」

 

 名前に力があるとはどういう意味だろう。

 二人の会話に置いてけぼりにされたアズサは、困った顔でユキを見た。ユキは何故アズサが自分を見たのか分からずに、きょとんと首を倒す。「なんだか、いろいろ難しい話になっちゃった。巻き込んで、ごめん、ユキ」アズサが小声でユキに耳打ちすると、「巻き込まれたなんて思ってないよ。それに、二人はアズサのことを考えてくれてるんだよ」とユキも耳打ちをして返した。

 確かに二人はアズサのことを考えてくれている。それはもうアズサは十分に気がついていた。

 アシャロウとアルティナは二、三の言葉を重ね、すぐにアズサに顔を向けた。


「わしがお主の後見人になるということは、一応、公のことにしよう。しかし……、わしの名前はお主のこれからに影響するかもしれん」

「先生は魔法師の間では有名人なんだ。だからその分、君にも大きな期待が掛かる、と思う」

「期待、ですか?」

「そこには良い面もあるかもしれないが、良くない面もある。これからわしが後見となることで、君は他者から様々な視線を受けることになるかもしれん。けれども、そのようなことは気にせず、自分のしたいことをするのじゃ。わしの名前の力ではなく、わしは、お主が自分自身の力でこれから先の道を切り開いていけると思っておる」

「えっと、は――、はい。先生がそう言うのなら、秘密にします」


 アシャロウのその言葉にアズサは曖昧に頷いた。

 この時アズサは、アシャロウ・ロベルディという名前が魔法師の界隈の中でどのような影響力を持つのか、そして目の前の老爺がどのような人物であるのかを、未だよく理解していなかった。


「それからもう一つ。先ほども言ったが、学園は、魔法を学びたいという者を広く歓迎しておる。しかし、それほど多くの生徒を受け入れることが出来ないことも事実。じゃから我々は生徒の入学を決める際に、いくつかの規則に沿って生徒の入学を決めておる」

「――僕たちは、どうすれば入れますか?」


 アシャロウは「まあ、まあ、待ちなされ」と目の奥を光らせる。


「入学者の受入れについては、年に二回、一般向けに行なわれる選定試験がある。一回目の日程は既に終わってしまったが、これから二ヶ月後に、ちょうど二回目の選定試験がある。君たちにはその試験受けてもらいたい」

「いったいどういうことをするのですか?」

「魔法に関する簡単な筆記の試験と実技試験があってのう。その試験を受けて、晴れて入学ということになる。無論、お主らの境遇は考慮に入れるべきかもしれんが、お主らを特別扱いすることもできぬし、当然、わしが後見人であっても、試験は公平中立に行なうことがこの学校の決まりじゃ。そのことは分かっておくれ」


 アズサは「もちろんです」と素直に頷いたが、心のうちにでは不安だった。

 勉強をすることは嫌いではなかったが、実技、と言われれば話は違う。アズサは魔法についてならば知っていることもある。けれどもそれを使という事に関しては、魔法師の素質がある幼児と同じレベルなのだ。


「うむ。では試験は新明月にいあけづき(*1月頃)の十日……」アシャロウは細長い指を折って数えた。「おっと、もう二ヶ月もない。はっはっは。まあ、お主らは大丈夫じゃと信じておる――、が」

「が?」


 アズサとユキは揃った声でまた首を傾けた。今日何度首を傾げたのか分からないほど傾けている。アルティナは二人の様子にクスクスと笑った。


「もちろん、特にアズサ、お主は魔法の使い方が分からんじゃろう。じゃから試験までに、魔法の初歩的な使い方について学ぶ必要があるじゃろう」


 アズサは反射的にアルティナの顔を見上げたが、アルティナは「すまないが、私は別件で忙しくてね」と言う。続いてユキを見たが、ユキは勢いよく首を振った。

 またその視線をアシャロウに向けたとき、不意に、アズサ達が入ってきた扉を叩く音が聞こえてくる。


「おお。噂をすればちょうど良い」アシャロウは言った。「入りなされ」

「失礼します、アシャロウ先生。セノルです。お話があるとお聞きしたンです、が……」


 扉が重たい音を立て開く。その隙間から堂々と入ってきた人物は、背の高い細身の若い男だった。バルクスやアルティナよりも随分と若い。黒い重厚な外套を羽織っており、それは学校内ですれ違った生徒の服装でもなかった。

 男は部屋に入ると、アズサ達の姿をその目に入れ、直ぐに立ち止まった。癖のある黒髪の後ろを撫でつけるように掻く。


「……アー、エー、一年生……? ええーっと、俺が呼ばれたこと間違ってないですよね?」

「間違ってはおらん、セノル先生」


 セノルと呼ばれた男は、困った顔のままへらりと愛想笑いを浮かべた。







*今回少し長めになってしまいました……。読んでいただきありがとうございます!

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