52 提案①

 


 アルティナはウッと喉を詰まらせたような表情をした。後ろに現われた女性は、黒い髪を後頭部で固く一つにまとめ、眉を鋭く吊り上げていた。


「すまない、ケリス。久しぶりに会ったから」

「それは扉の前で話して良い理由にはならないわ、バーランド先生。校長先生もです! ここには他の患者もいるのですから、廊下での立ち話は誰であっても固く禁止しておりますゆえ!」


 アシャロウは「すまぬな」と言って朗らかに笑った。「アズサ、ユキ、紹介しよう。ハンナ・ケリス先生じゃ。この学校の保健医で、皆の病気や怪我を見てくださっている。君たちの怪我も見てくれたのじゃ」


 ハンナ・ケリスと呼ばれた女性は、アズサとユキを強い目力を込めて見つめていた。二人はあの目に見られた部分に穴が空くのではないかと思った。

 

「どうやら身体も動かせるようになったようね。それならあなた達はまず食べて、動いて、寝て、また食べて、動いて、寝て、その薄っぺらい身体を――」

「オッホン」アルティナが小さく咳払いをした。

「まあ、回復してきたようで良かったわ。どうしてあなた達があんな怪我をしていたのかは聞かないけれどもね、またあのような無茶をしてこの私の保健室に来るようなら――」

「オッホン」アルティナはもう一度小さく咳払いをした。「ケリス、しばらく席を外していてくれないか」

「ここは保健室よ?」

「それは分かっている」


 ケリスはその言葉に片眉をさらに吊り上げた。しかしアシャロウにも「すまないが、ケリス先生」と言われるとすぐ、滑らかな素早い動きで部屋を出て行ってしまった。


 アズサは自分たちの怪我を治してくれた先生にお礼の一言を伝えたかったが、その隙も無いほど風のように動く姿に何も言えなかった。お礼はまた次の機会に言うしかない。


「ふう。ケリスの声が一番響くような気がするのは気のせいか」アルティナは苦笑した。「ああ。そう、ここで何をしているかだが、私は見舞いに来ていたんだ。……アシャロウ先生も、そのために二人を連れてきたのですよね」

「ああ。そうじゃ。二人とも心配しておったからな」

「あちらに。まだ目は覚ましていませんがね」


 アルティナは部屋の奥にある寝台にちらりと目を向けた。これだけ部屋中に喋り声がしていたというのに、その寝台に横になる人物が起き上がる気配はなかった。


「アズサ、バルクス先生がいるわ」ユキが言った。「眠ってる、みたい」


 バルクスはただ眠っていた。一見すると死人のようにも見えたが、胸のあたりの布が上下に規則正しく動いていた。けれどもその青白い顔を見ると、もう目が覚めないのかもしれないという不安がアズサの中に湧いて出てきた。

 

「バルクス先生は本当に大丈夫なんですか? いつ目を覚ましますか? 悪い魔法に当たってしまったって」

「そのうち目を覚ます。大丈夫。今は療養が必要だ。カイレンは魔法師ではないから、その分、回復にも時間が掛かっていてね。呪いに当たってしまったようで、その法式ももう取り除いてはいるんだ。だから大丈夫だよ」

 

 アルティナは眠ったバルクスを見ながら淡々と言う。その表情は落ち着き払っていて、それほど強ばったようなものでもなかった。アズサは無意識に入れていた肩の力を抜いた。 


「アズサ。そしてユキ。こいつのことは心配いらないよ。それをまず伝えたかったんだ。だからまず君たちはこれからのことを考えてほしくてね」

「それは、わしからも話をしよう」アシャロウが顎髭を撫でつけながら口を開いた。「二人は決めたぞ、バーランド先生」

 

 アズサはユキを見て、こくりこくりとお互いに大きく頷きあった。


「魔法師になりたいんです」

「私もです」


 アルティナは「そうか。そう言うと思っていた」と頷いた。

「その大事な話じゃが、まずは場所を移そうか。ここで話しをしていると、そのうちまたケリス先生が飛んで来そうじゃからのう」

 


 ◆◆◆



 アシャロウに連れられ、塔の一番上にある、一等豪勢な扉の前に二人はやってきた。アズサとユキは長い階段に息を切らしていたが、アシャロウとアルティナは疲れた素振りを一切見せなかった。

 普段から山の中を歩いているアズサは、体力に自信があった。だからここ数日寝てばかりいたとはいえ、これほど息が切れることが信じられなかった。そして自分より何歳も――何歳だかは不明だが相当――上であるアシャロウが平然とした足取りで登っていたことに驚きを隠せなかった。


「ユキ、だい、大丈夫?」

「う、げほ、うん、ちょっと、まって。私、絶対、体力つける、から」

「あははは。野山で走り回っていた君たちにもこの階段は厳しかったみたいだね」

「な、何でそんなに疲れてない、の?」アズサは息を弾ませながら聞いた。

「うーん、まあ、この階段は特殊なんだ」アルティナは態とらしく笑った。「君たちもそのうち息を切らさず登れるようになる」

「えぇ……」


 答えなのか、答えでないのか、曖昧な返答を返したアルティナの隣で、アシャロウが扉に向かって声を上げた。


「【リディルサの意思を捧げようズーゼ・トゥ・リディーミア】」


 がこん、と音が鳴り、扉がゆっくりと開いた。アシャロウに招かれ、三人は部屋の中へと入った。


「ここはアシャロウ先生の部屋、学校長室だよ。入るには合言葉がいるんだ。合言葉は何度も変わるけどね」アルティナは小声で言った。「さっきのは【テーレの言葉テルダッシュ】だ。ズーゼは意思、リディーミアはリディルサという小さな白い花で、トゥは与える、捧げるという意味がある。つまり、『リディルサの意思を捧げる』と言ったんだ」

「リディルサの意思って……」

「うーん、まあ、そのまま、リディルサの花言葉は『意思』だからなあ。なんだか、随分しゃれた言葉ですね、先生」

「あの合言葉はわしが決めているのではないぞ。部屋があるとき突然合言葉を変えるのじゃ」


 まるで部屋が生きているような言い方だったが、アズサはこれまた部屋の美しさに気を取られていた。部屋の中は、一言で纏めると『森のよう』だった。部屋のあちこちが緑に囲まれており、ツル科の植物が上から垂れ下がっていた。天窓から指す青い光を浴びて、一枚一枚の葉が煌びやかな光粒を纏っている。


 植物とともにもっとも目を惹いたものは積み重なった本の山だ。まるで書庫みたいだとアズサは感じて、あの場所が恋しくなった。書庫にあった本はどうなったのだろうか。本のことも聞かなければならない、とアズサは頭の中に追加した。


 分厚い本、見たことのない魔法道具、何かの形を模した模型、棚に並ぶ薬瓶の数々。アズサは辺りを見回した。アシャロウはその様子を見て目を細めて笑い、部屋の中心に置かれた大きな机の椅子に腰を下ろした。


「幸いにも、ここは魔法の学び舎。魔法を学びたいというお主らにはとっておきの場所じゃ」


 アシャロウは話を切り出した。


「学園は常に、魔法を学びたいという者に扉を開く。当然、君たちにも。しかし、身元が確認できる者であるということがまず大きな条件となっていてのう」

「身元?」


 アズサは聞き返して、そして隣に立つユキの顔をそっと見た。


「そう。まず、アズサには戸籍もあるが、ユキ、そなたは突然現われた、どこの誰とも分からない者じゃ。君の身元をまずはっきりさせなければならない」

「それを確かめるために、私は首都で君のことを少し調べてきたんだ」アルティナは言った。「君たちと別れる時、そういう約束をしただろう。けれども、ユキ、君のような少女を探しているという話はどこにも無かったんだ。他の国からの情報も少しだけ調べてきたが、それも……」


 アルティナは普段の明快さを潜めて、申し訳なさそうに声を落とした。ユキも、視線を少しずつ下に落としていった。アズサは慌てて口を開いた。


「先生、その身元は、今の身元ということじゃ駄目ですか。ユキは、ユキは僕の家族のようなもので、それで」

「ああ、ああ。そう焦らずとも、責めているわけではない。それに、わしは提案をしようと言ったじゃろう。お主らの生活を保証するための提案じゃ」

「それは――、もしかして僕も?」

「そうじゃ」

「僕たちには、保護者がいないから、ということですか?」

「ああ。理解が早いのう、アズサよ。そうじゃ」


 アシャロウは大きく頷き、アルティナを見上げた。アルティナは自身の杖を一つ振った。ユキの目の前に、数枚の紙束がバサバサと音を立てて現われた。


「ユキ、まず君は、私の家と養子縁組をしないか。まあつまり、私が君の保護者になるということなんだが」



  



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