51 魔法の城
こん、こん、こん、と靴の踵と杖が軽快な音を立てた。アシャロウは大きな杖をついて歩いていたが、おそらくは杖がなくとも普通に歩けるのだろう。その足取りは軽かった。
アシャロウの後をついて、二人は墓所のある森の中を通り抜けると、普段過ごしていた教員宿舎――とはいえ使われていない第三宿舎棟でほぼ人と出会う事は無かった――を通り越した。そしてまた鬱蒼とした森の横道を進み、穏やかな水面を揺らす噴水庭園の長い回廊を歩いた先。
「わぁ!」
豪華な鉄の門の前で、二人はその向こうの景色に目を見張った。
学校――とは聞かされていたものの、アズサは想像していたものの数百倍大きな建造物の姿に口を開いたまま足を止めた。建物からまだ遥か遠くにある門の前だというのに、動かした首は真上を向きそうなほどだった。
普段過ごしていた教員宿舎は木々に囲まれていたせいか遠くの景色までは見えなかったし、木々の向こうに巨大な何かがある事は気づいていたが、その建物が巨城だという事に、ここ数日のアズサには気づく余裕がなかった。
「ここは全ての魔法が集まる場所であり、全ての魔法師の家」
「このお城が学校なんですか?」
「そうじゃ。だがこの城だけではない、城の外に広がる杖の街『ラノエ』の全てが学舎でもあり、魔法の街なのじゃ」
「魔法の街!」
アシャロウは柔らかく目尻を細める。慈愛に満ちた視線が、アズサとユキを見て、そして目の前の美しい城をとらえた。
翡翠の三角屋根が高低に重なり、太陽の光を跳ね返す白磁の壁が眩しい。眼前にそびえ立つ荘厳な巨城は、誰もが思わず喉を鳴らしてしまうほどの荘厳さと美しさを併せ持ち、圧倒されずにはいられなかった。
「すごい……あの、あれは何ですか?」
門の左右には奇妙な姿形をした生き物の石像が二対、台座の上に鎮座していた。
アズサはその姿が、まるで本の挿絵で見た竜種のように思えた。竜は大きく尖った羽を広げ、門を潜ろうとする人間を、鋭い目つきでギョロリと睨んでいる。アズサはその視線にピリピリとした緊張感を感じた。
「あれは門の守護精霊。
「あの石像は動くの?」今度はユキが聞いた。
「ああ、彼らもまた命のある存在。この門を守っているのじゃ」
アシャロウは門の前に立ち、手にしていた杖の先で地面を軽く三回叩いた。すると杖先から広がった白い光の波が鉄の門を照らし、最後に二つの石像の羽根先まで広がってゆく。
「通してくれるかの?」とアシャロウが二体に向かって声を張った。応えるように、石像はゆっくりとその羽根を懐に折り畳み、
「うむ、さあ、ようこそ。我らが魔法の学び舎へ。こちらじゃ。着いてきなされ」
門を潜るアシャロウの後へ続き、二人は慌ててその後を追う。
遠くの校舎まで続く庭園は、まるで静かだった。人気もなく静まり返った様子にアズサが周りを見渡していると、見かねたアシャロウが説明を始める。
「学校は今、今期最後の試験期間中での。だから静かなのじゃ。もうすぐ鐘が鳴れば、晴れやかな顔をした生徒で溢れかえるぞ」
「試験?」
「ああ。試験が終わると休暇が始まる。
ゴォーン、ゴォーン、ゴォーン。城の右端にある塔の上から、鐘の音が大きく鳴った。何の合図だろうと二人が鐘を見上げながら歩き続けると、遠くから近づく雨音のようなざわめきが徐々に大きくなって聞こえてきた。それから地鳴りのような足音もどんどん早まって近づいてくる。
「おっと、授業が終わったかの。では、わしらは左の塔から進もう」
アシャロウは長い外套の裾を翻し、急に足先を左へ向けた。
二人がざわめきのほうへ顔を向けると、右側の塔と中央の塔の至る出口から大勢の子ども達が溢れるように飛び出してきた。彼らは皆同じような服装をしていた。違う所と言えば、制服の一部の色が違うくらいだろうか。
先ほどの静謐さが嘘のように、庭園は一気に賑やかになった。三人はその喧騒に巻き込まれないように、左の塔へと入った。
左の塔からも出てくる者もいる。人の数は疏らで、しかも落ち着いた様子で談笑を交わしながら歩いてくる。反対の喧騒にいる生徒たちは、どちらかと言えばアズサやユキと同じ年齢のようだったが、こちらは年齢が高いのか右の塔の生徒たちよりも背が高く、顔も大人びていた。
彼らは擦れ違うアシャロウに対して丁寧に挨拶をし、アシャロウもまた朗らかに挨拶を交わした。誰もが、その後ろをついて歩く二人の子どもを興味深そうに目で追った。まるで新しい噂の種を見つけたと言わんばかりの目つきだった。
その視線から感じた居心地の悪さは、すぐに気にならなくなった。視線よりも二人は、城の中の様子に目を奪われたからだ。廊下を照らす証明はフワフワとあたりを浮遊しており、廊下の扉は消えたり現われたりを繰り返している。石像には突然声をかけられ、開いたままの扉の先には吹雪の景色が見える。
その巨大な城の中はさらに大きな空間が広がっていた。見上げるほど高い天井には、魔法で作られた空があり、一つ一つ形の異なる白い雲が、悠々と天井の端から端へ流れていく。
三人はその天井へ向かう長い階段を登り、途中でこれまた長い廊下を歩いた。一体全体、どのような構造の城であるのか、アズサにはさっぱり分からなかった。けれども心は、風に乗った羽のようにフワフワと浮き立っていた。アズサは隣を歩くユキに、「すごいね」「あれも魔法だ」「どんな魔法かな」としきりに声を掛けた。魔法を目にしたユキの目がいつもより輝いているように見えて、アズサはもっと嬉しかった。
そしてようやく、大きな扉のある部屋の前で、アシャロウの足は止まった。アシャロウはゆっくりと部屋の扉を押し開けた。部屋の中でまず目を引くのは、白いシーツがパリッと張られた簡素な寝台。それが等しい感覚でいくつも並んでいる。
清涼な空気の中からツンと鼻につく匂いがした。アズサにはその覚えがある。バルクスの纏う匂いだった。
「ここは……」アズサはアシャロウの顔を見上げた。
「医務室じゃよ」と、アシャロウが答える。「学校の中にある病院のような場所じゃ」
なるほどバルクスと同じ匂いがしたのだ、とアズサは思った。そして、バルクスはどこにいるのだろう、とも。共に此処へと辿り着いたが、悪い魔法に当たってしまった、という話をアシャロウから聞かされていた。無事だという事は言われたものの、その後の事は分からない。アズサは、バルクスに聞きたい事が沢山あるのだ。
寝台のいくつかは上から垂れるカーテンに隠されているものもあったが、その横をサッと通り過ぎて、アシャロウは部屋の奥にある一つの扉を潜った。その先の廊下には数個扉が並んでおり、アシャロウは一番手前の扉を叩く。「わしじゃ、ケリス先生。入っても?」と呼びかけると、しばらくして扉が開いた。
奥から顔を覗かせたのは、アルティナ・バーランドだった。
「おや、此方に来ておったか。久しぶりじゃのう、首都からはちと時間がかかったじゃろう」
「お久しぶりです、アシャロウ先生。まあ色々とありましたが、無事に戻って来れましたよ」
「――バーランド先生」
アシャロウの斜め後ろから、アズサは恐る恐る名前を呼んだ。アルティナの姿は半年前とさほど変化のない様子だったが、その顔はどこかやつれていた。
アルティナはハッとした表情で二人を見た。そして床に膝をつくと、二人の片手をそれぞれ手に取った。
「怖い思いをしただろう。二人とも、怪我は?」
アズサは二度、ふるふると首を横に振った。
アルティナは二人の様子を頭の上からつま先までサッと眺め、安心したかのように小さく息をつく。言葉を探すように視線を一度俯ると、また二人を真っ直ぐに見つめた。
「話は聞いた。夫妻とゼンのことは言葉も出ない……、すぐに駆けつけられなくて、申し訳無かった。でも、君たちが無事で良かった」
「バーランド先生は」
知っていたの。半年前、初めて会った先生も。
飛び出ていこうとした言葉は、アズサの口の中で声にならずに消えた。聞かなくとも、とうにアズサは気がいていた。アルティナは知っている側の人間だ。
アズサは自分の中にある気まずさを自覚していた。誰かに会う度に、その気まずさをアズサは感じている。信じられない気持ちと、信じられる気持ち。理解できる気持ちと、理解したい気持ち。それをどう言葉にしていいかも分からない気まずさだった。
そして、それに蓋をするように、気づけば口を閉じてしまう。
「どうしてここに?」
ユキが不自然なまま途切れたアズサの言葉を繋いだ。アズサはユキが言葉を繋いでくれたことに、腹のあたりで凝り固まっていた何かが少しだけ解けたような気がした。
ああそれは、とアルティナは腰を上げようとしたところで,部屋の中から「いつまでそこで立ち話を?」と鋭く高い声が刺さった。
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