33 家族①
食事を終えると、ゼンは片付いた机の上に四つの包みを置いた。大きな包みが一つと、中くらいの包みが二つ、小さな包みが一つ。大きい方はマルサへ、中くらいはディグレとアズサに渡った。お土産だ、と軽快に笑いながら。
「お土産! 開けてもいい?」
「ああ、もちろん」
「あらまあ、私にもあるのかい?」
「もちろんだ、母さん。父さんの分はそれだ」
さっそくマルサとディグレは包みを開いた。マルサの包みには上品な葉模様が描かれた濃赤のストール、ディグレのほうには厚手の丈夫な革手袋が入っていた。
「おお、手袋か。この前駄目にしたばかりだった」
「そういえばそうだったね。あら、素敵な模様! ゼン、とても気に入ったよ。どうだい、あんた。似合うかい?」
「ああ。似合っている。これからの時期に良かったな」
赤い色はマルサの髪の色に合って良く映え、革製の厚手の手袋はディグレの手にぴったりだった。
ゼンは二人のやり取りを聞いたあと、誰にも渡していなかった小さな包みを手に取って、それをユキに差し出した。
「……ユキ、これは君にだ。何が良いかは分からなかったから、気に入ってくれると良いんだがな」
ユキは戸惑いながらゼンを見上げた。
「私にも?」
「ああ。君も俺達の家族だろう。ウルの分までは用意することができなかったが」
「か、かぞく?」
「もう一緒にメシを食ったからな」
「ご飯を食べたから……かぞく」
ゼンの言葉と表情から嘘は感じられなかったが、出会ったばかりのゼンがそう優しい言葉を言うのか、ユキには理解できなかった。喉の奥に魚の小骨が刺さったような気分になる。かぞく、とはなんだろう。その言葉がユキの心の中にぽつんと湧いて出て、そして重たく圧し掛かった。
ユキは躊躇いながら小包を受け取ると、ゼンは口角を上げて喜んだ。渡された小包は軽く、丁寧に包装紙を外すと四角い黒い箱が中に包まれていた。
「本だ!」
ユキの隣で包みを開いていたアズサが上擦った声をあげた。
アズサの目の前には、アズサの顔より大きく腕よりも分厚い書籍が置かれている。意匠の美しい模様の施された重厚な表紙が、煌びやかに輝いていた。アズサへのお土産だ。
「もう世にはあまり出回っていない貴重品だぞ。なんせ、〈白銀〉が書いた魔導書――」
「え!」アズサは目を丸くして飛び上がった。「はっ、〈白銀〉の本!?」
「〈白銀〉って……?」と、ユキが聞く。
「う、うーん、悪い人らしいけど、すごく有名な魔法師だよ。たぶん大陸で一番強い魔法師だったんじゃないかって言われてる人。もう死んじゃってるけど……」
「そう……なんだ」
アズサは嬉しそうに目をきらきら輝かせて、「はあぁ」と感嘆の息を零した。するとどうだろう、表紙には魔法の仕掛けが施されていたようで、細かな表紙の模様が動き、そこに文字が浮かび上がる。
アズサとユキは表紙をまじまじと覗き込んだ。表紙は【
「――ア……『アル』……『アラ・ロア』?」
「【アラ・ルルブ・アラ・ロテア】――『魔法仕掛けの魔法の本』だって」
ユキがすらすらと文字を読み上げた。「へえ」と、ゼンが目を丸くする。
「……うーん、そのままだ」
「そのままね」
「ゼンさん、どこで手に入れたの?」
「取引先の知り合いから。苦労したんだぞ? この十二年で〈白銀〉の関わった魔導書は価値が跳ね上がっているし、元々出回ってる数が少ないから入手も困難だ。それ、結構な値打ちものだからな」
ゼンは誇らしげに胸を張り、腰に手を当てた。
「俺も一度は見てみたかったんだがな、さあぜひともアズサ、中を解読してみてくれよ」
「解読?」
首をもたげたアズサとユキは、お互いに顔を見合わせた。ゼンはにやりと笑う。
「世に出ている〈白銀〉の本は、ほとんどが大魔法師のアシャロウ・ロベルディと合作で執筆したものだ。だが、その本は〈白銀〉が一人で作り上げたものらしい。アズサ、中を開いてみろ」
アズサは言われたままに、表紙を捲った。
まず目に入ったのは一面の真白。次も同じ。どんどん捲る手を早めてみると、捲っても、捲っても、文字の書いてあるページが一つもないまま、最後まで辿り着いてしまった。
「何もないよ」
「そう、そうなんだ! これはどんな魔法師も手が出せず、解読すらできなかったっていう魔導書のうちの一つさ。〈白銀〉が自分の魔導書を世に出すからって多くの魔法師がこぞって買ったんだが、表紙を開けばこの有様。〈白銀〉の魔導書にはそういうものが結構あるんだが……。ほら、『魔法仕掛けの魔法の本』だ。何かあるはずだってそう思わないか? それを見つけるのも面白そうだろう」
「絶対何か書いてある?」
「ははは、それは誰も分からないさ」
「た、ただの白紙ってことじゃないよね……?」
アズサは自信ありげな表情をひそめて、困惑気に聞き返す。するとゼンは、「たぶんな」と頬を掻いた。
「まだ同じような本が数版あるが、そのうちいくつかはアシャロウ・ロベルディが解読している。そこには魔法式がびっしり書かれていたらしい」
「じゃ、じゃあこの本にも魔法式がびっしりあるかもしれないんだ」
「そういうことだ。この本を手にした魔法師は何人もいるが、誰もまだ中身を見れちゃあいない。その最初の一人になるのも良いだろう?」
ウーン、とアズサは唸った。
「でも僕、魔法使えないけど、魔法仕掛けなら魔法が必要じゃない?」
「ああ。だが良い助っ人が隣にいるじゃあないか」
ゼンはアズサの隣に目を向けた。それにつられてアズサもユキの顔を見る。二人の視線に、ユキは目をぱちりと瞬いた。
「ユキ、どうかな、一緒に」
「え……あっ、うん。もちろんだよ」
「本当に? よかった。ありがとう、ユキ!」
溢れるような笑顔を向けられて、ユキは思わず下を向く。貰った包みを手にしたままで、「そういえば」と、アズサは小包を指さした。
「まだ開けてないの?」
「うん。まだ」
「開けてみない?」
「……うん」
ユキは丁寧に包装紙を外していった。
包装紙の中には四角く黒い箱が包まれていた。アズサが、わあ、と息をのんだ。その蓋を上へ押し上げると、蓋の下から手で握れるほどの大きさの、光輝く青い鉱石が現れる。鉱石はまるで星空を散りばめたような不思議な光をその内側に含んでいる。
ゼンは何も言わず、優しげな視線で二人の様子をじっと見つめていた。
「これは、石?」
「ただの石じゃないよ」みとれた声音でアズサが言う。「たぶん、これは『夜空の石』だ。すごい、初めて見た。ユキ、『夜空の石』って知ってる?」
「よぞらの、いし?」
しばらく唸ってから、ユキは首を振った。
「魔法師が魔法の法式陣を書くときに使う、【
「よく知っているじゃないか、アズサ」
「そのくらい知ってるよ! でも、本当に綺麗だね」
「ああ。魔法が上手く使えるのなら、それに利用できるものがあればと思ったんだがな。組式の羽ペンも持ってないってんなら、墨だけやっても意味ないだろう? まして羽ペンをやるわけにもいかない。あれは自分の相性に合うのを自分で選ぶものだ。そんな時に偶然この石を見つけてな。砕いて【
「だってさ、ユキ。よかったね。ほとんど加工されちゃうから、原石だと珍しいよ」
アズサの反応を見る限り、貴重な魔鉱石なのかもしれない。本当に貰っていいのかと、ユキはゼンを見上げた。
「本当に、私……もらって、いいの?」
「ああ」
ゼンは大きく頷いた。
ユキはもう一度、手元の『夜空の石』を見た。窓の外に広がる夜空の世界と同じものが詰まっているようだが、握ってみると、暖かな温度がじんわりと手のひらに伝わってくる。
「ゼンさん、その……あ、ありがとう……。何かをもらうって……うれしい、のね」
しどろもどろに言葉を絞り出すと、隣のアズサが満足そうに微笑んだ。マルサとディグレも暖かな眼差をしていた。
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