20 懐旧




 目の前に書庫への入口である巨木の枝が被さるまで、二人の間には沈黙が広がったが、不思議とそれは嫌な雰囲気ではなかった。


 暗い森を抜けた先にある一本の大木の下を二人は潜る。目の前で、茜の明るい色と暗い闇の色を混ぜ合わせた夕刻の静かな空が山際を包み込んでいた。


 緩やかな勾配のある小路と畑、カラカラと回る小さな風車。暖かな風が二人の間を縫って吹き抜け、その先に見える小さな建物を見上げてアルティナは感嘆の声を溢す。

 バルクスはその横側に笑みを浮かべた。自身も初めて此処へ訪れた時、似たような反応をしたからだ。


「すごい。流石だな」


 ここです、とバルクスは少し目線を上げた先を指し示した。


 高等魔法だ、滅多に見られない、何処に法式が――と、興奮に顔を赤らめたアルティナが、ぐるりと書庫の周りを歩き回りそうな勢いでその一歩を踏み出す。バルクスは慌ててアルティナの服の袖を引いた。


「まずは仕事です、仕事!」

「ああ、そう、そうだった! それで、見てほしいという子はどんな様子なんだ。本当に魔法が関わっているのか?」

「魔法が関わっているかどうかさえ分からないから貴女あなたを呼んだのですけど?」


 バルクスは、これまでにも――言い方は色々とあるが――患者を目の前にしたことがある。彼らにはあまり手の施しようもなかったが、もしも魔法が作用し、その原因を対処できるというのなら話は別だ。


「貴女に連絡を取った時はまだ昏睡状態でした。今、目を覚まして起きていますが、何と言えば良いか、貴女を呼んだ理由はそれだけではないんです。アズサがその子を見つけた時の状況がかなり異様だったようで」

「異様?」

「ええ」眉を吊り上げたアルティナに、バルクスは頷いた。「どうやら【魔力原石テウラン】の中から出てきたらしいんです」


 バルクスはそう言って、アルティナの反応を待つ。

 しかし、すぐに返ってくると思っていた反応はなかなか返ってこなかった。バルクスはおかしな事を言ってしまったのかと、ふと、右上にある顔を見上げた。


「――【魔力原石テウラン】だって?」


 アルティナは信じられないと言いたげに、眉間にくっきりと皺を寄せてバルクスを見返した。それはいささか怖い顔でもあり、そのような表情を浮かべるアルティナはとても珍しいものだった。


「本当に【魔力原石テウラン】の中にいたのか? 子供を一人包み込むほどの?」

「え、ええ。何かご存じで?」

「いや……。そもそも高濃度に凝縮された【魔力アラ】の中にいて生きていたこと自体驚きだ。まさか、【活屍鬼フドゥー】じゃないよな?」

「ちゃんと生きてましたよ」


 眉間の皺を深めて、アルティナは口元に手を当てた。


「子供は何歳くらいだ?」

「うーん、アズサと同い年くらいに見えますから、十くらいでしょうか」

「十? 十……」

「年齢と何か関係が?」


 アルティナは首を振った。


「分からない。相当の【魔力アラ】を持っていなければ【魔力原石テウラン】を生み出すことはできないし……相当のというのは、アシャロウ先生くらいかそれ以上だ」

「大先生くらいですか。それは、また、信じられない度合いで……」

「そもそも人間一人を包み込む【魔力原石テウラン】を作るとしたら、第一に【魔力アラ】が失われて死に至るだろう。だから普通の魔法師は小石くらいの【魔力原石テウラン】を作るだけでも精一杯だ」


 アルティナは思い悩む様子で、足下を見ながら続ける。


「だが……、その子が相当の【魔力アラ】を持っていたとして、可能性があるとすれば、六歳から八歳頃の子供に見られる【魔力】の暴発だ。そこで偶然【魔力原石テウラン】が発生したか……、そうだな、十の子供にも起きないわけじゃないとは言われているから、あり得ない事ではないだろう……だが……」

「ううむ、なるほど。やっぱり貴女に頼んで正解でした」


 木は木こりに、花は花屋に、剣は鍛冶屋に、魔法は魔法師に聞くことがやはり一番正しいのだ。バルクスはそう考え、自分の肩の力を抜いた。

 その様子を見たアルティナが、やや迷惑そうに顔を歪め、おいおい、とため息交じりにバルクスを見やった。


「私だって、今まで多くの患者を見てきたが、こんなことは初めてだ。お前はいつも無理難題を私に押しつけてきて……」


 アルティナは大きく息を吸い込み、背筋を幾許か伸ばした。


「だが、まあ……、そうだな。癒やしの女神サヌと【魔法医ラファネイ】の名にかけて、手を尽くすことは約束しよう」


 その言葉に、バルクスが大きく頷く。


「ええ、ええ。お願いします、アル――、バーランド先生」

「それ、わざと言っているだろう?」


 アルティナが目を細めて見遣ると、バルクスはおどけた口調で笑う。


「そんなわけないじゃないですか、癖で、癖。さぁ、着きましたよ」


 そうして二人が書庫の入り口までの坂を登り切り、書庫の扉の前で足を止めたその時。バルクスが古びた扉の取っ手に手を伸ばしたところで、目の前の家の中から耳を裂くような悲鳴が飛んだ。


 「……確かに厄介そうだ」


 アルティナは気を引き締めるように顎を引いた。


 

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