06 洞穴




「ひっ……と、だ」


 アズサは思わず息を乱して立ち尽くし、言葉を失ったまま、唖然と目の前の大塊を凝視した。


 目を凝らすと、半透明の塊の中に人が眠っているのが見える。白い指先が五本柔く丸まっていて、手の近くには鼻先があり、青白い頬には銀色の糸が被さっていた。


(ひと、だ……えっ、ひと? 人だ!)


 紛れもなく、それは人間の形をしていた。

 アズサと同じ形だった。

 手足が、胴体が、頭がある。髪の毛もあるようだ。見るからに服も着ており、盛りあがった小山は、まるで動物が丸くなって眠るような体勢の人影に沿って出来上がっていた。


 アズサは端から端までをランタンで照らした。急に心臓が掴まれたように、ひゅと身体が縮まる。闇深い森よりも、養父の怒った顔よりも、今目の前にある光景の方が恐ろしく感じた。


(女の子だ)


 身体を丸めて横たわっているその姿は、まるで眠りについているようだ。銀色の髪に覆われた顔だけは全く見えないが、その手のひらや腕は死人のように真っ白で、アズサはごくりと喉を鳴らした。


「……死んじゃってるの?」


 そう呟いたアズサに対して、獣は、グウゥ、と喉を鳴らした。


「きみのご主人様だった?」


 身体があるだろう場所をランタンで照らしながらアズサは聞き返した。


「じゃあ、友達とか家族とか? 一体、どうしてこんな場所に? それにこの塊はなんだ……」


 獣もじっとアズサを見つめていた。何かを求めている視線に、アズサは眉を落して狼狽えた。


 ただ、この少女を見つけて欲しかった訳ではない様子だ。アズサには獣の言いたいことがどことなく分かってしまった。きっと、助けて欲しいのだろう。


「もし、もしこれが氷なら、体温で溶けてもおかしくない。でもこれは氷じゃなさそうだ。もしかして魔法なのかな」


 アズサは灯火の揺れを見た。ランタンを近づけてみたが、表面はその光をはね返すだけで、少しの変化もない。


「何の魔法だろう。まほうの……、石? 大きな石の塊か。色が変わって、中心から広がって生れていて、でも……あっ! まさか、【魔力原石テウラン】?」


 アズサはハッとして顔を上げた。

 魔法師が魔法を紡ぐためには、自然の中に溢れる【大いなるものテーレ】を操るための【魔力アラ】が必要である。しかしごく稀に、この力は何かしらの作用――この作用とはある種の圧力、または熱、または未だ知りえぬ謎の力――によって完全に可視化され、物質化し、そして硬化することがある。それを【魔力原石テウラン】と言う。


 アズサが魔導書のその一節をぼんやり思い出した時、隣にいた獣が塊へ鋭い爪を立てた。その爪はどんな物でも綺麗に切り裂けそうなほど鋭かったが、塊には傷一つとしてついていなあった。


 【魔力原石】の一つの特徴は、例え刃物でも傷つけることは不可能であるということ。そう、つまり。

 アズサの隣でのそりと獣が動き、何度も懸命に前足を動かして、塊に爪を立てた。何度も何度も、獣は爪で塊を引っ掻く。中にいる少女を掘り出そうとしているのか、獣は必死にまえあ足を動かした。


「傷が!」


 獣の身体から血が大量に流れ落ちて、アズサは悲鳴をあげた。獣の動きを止めようとしたが、獣は尚も爪を立てた。


「そんな必死に……」


 それほどの繋がりが、獣と、そしてこの少女にあるのだろうか。

 何かできれば、助けてあげたい。気持ちが湧き上がってきて、アズサは獣の前足を止めるために抱きすくめようと腕を出した。


「ほら、傷が開いてるから、落ち着いて――アイタッ!」


 右の手首にその鋭い爪が掠った。爪は服を貫き、アズサの白い肌に赤い線が滲む。ぱっくり開いた傷口から血が肌を伝った。そこだけ熱を生み出して、じわりと痛みが広がってくる。


(いたっ……)


 獣は動きを止め、ピンと耳を立てた。その金色の瞳が、僅かに大きく見開かれる。


「あぁ、このくらい大丈夫だ」


 アズサは鞄の中から包帯用の白い布を取り出した。


「もしかして気にしているの? ほんとに大丈夫だって、ただ掠っただけさ。それよりきみの怪我を……」


 耳は力なく垂れ下がって、クウン、クゥ、クゥンと、悲しそうに、少し潤んだ声音で獣は鳴いた。鳴いて、そしてもう一度、塊の中の人間を見下ろした。


「その人を助けたいんだよね。……でも、僕、『天音の心』は持っているんだけど、魔法は全く使えないんだ。才能かな、なんだろう、たまにそういう人が生まれてくるってゼンさんは言っていたけど」


 アズサは視線を足元に落とした。


「【魔力原石テウラン】を壊す方法が僕には分からない。今、きっと僕じゃあ力になれないんだ。でも、きみの大切な人がここから出られるように僕も方法を探すから。絶対にここから出してあげるからさ」


 魔法に対するものは、魔法しかない。

 魔法を使う事のできないアズサには、今の状況をどうすることもできない。それでも瞳を揺らす獣に、何かをしてやりたいと思ってしまう。アズサは肩を落として、獣の頭を撫でた。

 その気持ちが伝わったのか、獣はアズサの指先をぺろりと舐めて答えた。


「あはは、ありがとう。慰めてくれてるのかな。だからね、まずは一緒に帰って、きみの怪我の手当てをさせて欲しいんだ。えっと……」


 アズサは獣の頭をそっと撫で続けながら首を傾げる。

 

「うーん。君には名前があるの? まあ、それも後で考えよっか」


 獣はスンと鼻先を鳴らして、アズサの腕の下に頭を擦りつけた。その視線は随分と柔らかくなっていたので、アズサは嬉しくなった。


「灯光石は持った。あと、目印を立てて……。あ、そっか、あなたにもちゃんと約束しないとだね。約束って、世界で一番大事なものだってゼンさん言ってたんだ」


 アズサはその姿をもう一度確かめようと、身をかがめた。小さく光る輝きの中で、真白の衣服に包まれた姿はぼんやりと光って見えた。それほど、少女は白かった。

 獣に約束したように、この人にも約束しよう。そう心に決めたアズサは、膝を付いてさらに身を寄せ、つるりとした表面に額を当てた。


「待っていてね、絶対にここから出してあげるから」


 一方的にそう告げて、アズサは上体を起こそうと右手を着いた。

 その時、獣の爪に裂かれた傷がじわりと痛み、手首に血が伝った。赤い糸のような細い線が、手のひらと、青い地表の間に染み込んだ。


 ――その瞬く間に、洞穴の中が白い光で満たされた。



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