05 金色の瞳
アズサから目を逸らした獣は、振り返ることなく先を進んでいく。
もしかしたら言葉が通じているのだろうか。意思疎通ができ、知能が高いのかもしれない。アズサは左右に揺れる鱗の尻尾を追いかけ、その背中を見つめた。
アズサの家は小さく古びた見た目をしているが、家の中は大量の書物で溢れている。それこそ小さな図書館である。家主である養父によって、古今東西の一般的な書物から絶版の品まで余すことなく収集されていた。
ここ数日、アズサは狼のことを知ろうとした。しかし獣の特徴に合致する記述は見つからず、代わりにある伝説の獣の記述が目を惹いた。『銀王狼』と呼ばれる魔獣の話だ。
『銀王狼』とは、かつて大陸の北の大地に生息していた魔獣である。
人に対しては友好的であったが、見目の麗しさから乱獲の被害に遭い、そして数百年前に絶滅したとされる生物だ。その特徴は銀の毛並みを持ち、狼のような見た目をしているが、背に二対の荘厳な羽と尾に竜のような鱗があるという、美しい獣だと。
何処かへ導こうとしている目の前の存在が、果たして絶滅したはずの『銀王狼』であるかは定かではない。漠然と記された特徴が少し当てはまるだけで、確かな証拠もない。北の大地に生息していたという獣が、大陸の中部地域にあたる水の国に現われるだろうか。
それでも小さな記述を見つけてから、アズサの心は少しばかり期待に溢れて弾んでいた。――もしも、誰も見たことがない伝説の『銀王狼』だったとしたら?
「きみは、どうしてこの場所にいるの? どこからやってきたの? この先に何があるの……って言っても分からないよね」
何気なく銀糸の背中に向かって話し掛けたところで、獣は一瞥もくれない。足を引きずって歩く姿は痛々しく、アズサは何処となくもどかしさを感じた。
「もしきみが許してくれるなら抱っこしてもいいかな、なんて……あはは」
たちまち獣は立ち止まり、身体は前を向けたまま顔だけを向けた。
蒲公英色の瞳がランタンの光の揺らめきを映し、蜂蜜色にじわりと溶け、無垢な瞳がアズサをジッと見つめていた。不意のことに、その瞳に、アズサはドキリと身を固くしてした。もしかすると受け入れてくれたのだろうか。期待が、頭の中に一瞬だけ過ぎ去る。
ところが、獣は後ろを振り返ってすぐに、今度は周囲を見渡し始めた。
素早い動きにつられてアズサも顔を向けた。獣が立ち止まった場所は洞穴の行き止まりであった。
「わぁっ!」
アズサは声を上ずらせた。
ランタンだけが頼りであった暗闇の中に、無数にきらめく光が現れたのだ。天井に、壁に、地面に、青い壁の中に満点の星空が映されている。それはミエラル村を覆う夜空より、明け方の東の空に近い色合いをしていた。
洞穴の奥へと進むにつれて、星のような輝きが煌めく。アズサの歩く速さに合わせ、まるで草の葉についた夜露や煌びやかな宝石のような美しい光が川のように流れていく。
「こ……ここがきみの来たかった場所」
氷のようで氷ではない塊に座った獣は、アズサを見上げて、「クウン」と弱々しく鳴いた。
「どうしたの?」
アズサは困ったように眉を寄せた。獣は洞穴の行き止まりの、一番大きな青い塊を見ているようだった。
まるで吸い込まれてしまうような深い金色の目が、彼、もしくは彼女の言いたいことをまざまざと語っているようだった。そして獣は何かを訴えるように、もう一度顔を上げた。
星を吸い込んだように輝く視線を、アズサはつられて追いかけた。壁際には一つ弧を描いて膨らんだ箇所があった。
岩肌のような塊がなだらかなに盛り上がり、一か所だけ、うっすらと丸みを帯びている。洞穴を覆う美しい塊はその小さな丘から広がり、アズサの足元のあたりから始まっている様子だった。
獣は盛りあがった箇所に近づき、塊の中心を鼻先で軽く触れた。アズサも盛りあがった塊の前に立ち、ランタンの明かりを近づける。――が、そこにある物をみた瞬間、アズサは後ろに仰け反った。
「ウワッ! な、なにかありえなものを見た気がする! 気のせい、だよね? きっ、気のせい……」
もう一度ランタンを掲げ、アズサは恐る恐る同じ場所を照らした。
そこには、長さの違う白くて細い棒が五本、同じ方向に自然へと折れ曲がっているのが見える。五本の棒の先端にはつるつるとした光が跳ね返っていた。
あ、とアズサは喉を震わした。
――指。それは、人の指であった。
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