記憶消去執行人
福山慶
師匠
太陽が上り始め、辺りは明るくなってきている。
山の中を一人の青年が歩いていた。黒い服の上にぶかぶかの茶色いコートを羽織っている。背中には大きなリュックを背負っており、野暮ったい服装だ。青年の名前はカイヤ。
山と言っても人が歩けるくらいには整備されており平坦な道が続いていた。この先に集落がある。おそらくそこの人たちが整備したのだろう。
山を抜けるとすぐに集落が見えてきた。木や藁で家が作られており、田畑が広がっている。川も通っており豊かな所だと印象を持つ。生活に困窮はしてなさそうだ。
少し歩いていると田んぼで作業している高齢の女性を見つけた。カイヤはその女性に話しかける。
「すいませーん」
女性がこちらに気づいて近寄ってくる。
「あらあら、こんにちは。旅人さんかい?」
女性は微笑んでそう答えた。なんだか少し嬉しそうだ。
「いえ、自分は仕事でここに来ました」
「仕事?」
「はい、ナツ、という方から依頼が来まして」
女性は少し驚いた様な表情を見せた。
「こんな辺鄙な所に来る人はだいたい旅人か行商人だからね。ここに仕事で来たっていう人は初めてだよ」
確かに。この仕事をしているとよく旅人だと間違われる。
「それにしてもここに別の所から人が来るなんて何ヶ月ぶりだろう。歓迎のパーティーでもしましょうか」
「いえいえ、悪いですよ。仕事が終わったらまた次の仕事に行かないとですし」
実際依頼は立て込んでいる。少しずつ名も知られるようにになり、依頼の件数も増えてきた。
「ところでナツさんは何処にいるのでしょう?」
「ナツ、その男の子ならそこの角を右に曲がったら石でできた建物があるから、そこにいるよ」
「男の子、ですか?」
「えぇ、でも子供が仕事の依頼を頼むなんて、貴方、どんな仕事をしているの?」
女性は怪訝な顔を浮かべて聞いてきた。
まあ子供が仕事の依頼を頼むのは珍しい事だろう。この仕事では割と子供の依頼者もいるのだが。カイヤは女性の質問に一言で答えた。
「記憶消去執行人です」
女性と別れてすぐに、石でできた建物が見えてきた。ドアは無くそのまま中に入れるようになっている。流石に無断で入るのはまずいだろうと思い声をかけた。
「すいませーん。ナツさんは居ますか?依頼があってきました」
すると上からドタバタと音が響いてきた。階段から13歳くらいの男の子が降りてくる。カイヤの目の前に来ると勢いよく頭を下げた。
「こんにちは!今日は遥々ここまで来てくださってありがとうございます!」
凄く元気な子だ。ずっとお辞儀をしている。
「ああ、うん。取り敢えず頭を上げて」
頭を上げた男の子はずっとニコニコしている。
「えっと、君がナツくんでいいかな?」
「はい!」
「そっか。依頼があって来ました。記憶消去執行人のカイヤです。それではお話を聞かせてください」
「分かりました。それでは客間に案内しますね」
ナツに付いていくと畳の部屋に案内された。広さはおよそ5畳ほど。中央に木でできた背の低い机が一つあった。
「お茶を淹れましょうか?」
「ああ、大丈夫ですよ」
子供とは思えないなっとカイヤは思う。ナツはとても気遣いができて礼儀正しい。
「じゃあ本題に入ろうか」
「そうですね……」
ナツは少し顔が暗くなり声のトーンも下がっていった。
「僕には師匠がいました。その師匠の記憶を消して欲しいんです」
ナツは話し始めた。カイヤは無言で続く言葉を待つ。
「師匠は狩人です。毎朝5時に起きて猪や鹿を狩りに山に行っていました。僕は十歳の頃に弟子になり罠の掛け方や山の歩き方を教わっていました。それで一年前……いつもの様に師匠は狩りに出てそのまま帰ってきてないんです」
「そっか……」
少し沈黙が続いた。それを破ったのはカイヤだ。
「それでナツくんはどうして師匠の記憶を消したいのかな?」
正直な所、今の話を聞いた限り記憶を消す必要は感じられない。カイヤは純粋な疑問をぶつけた。
「僕はずっと師匠の帰りを待っています。だけど、もう帰ってこない……それを自覚しています。僕は狩りの仕方をまだ教わっていない。自分一人では何もできない」
「うん」
「それで、このまま帰ってくるはずのない師匠の帰りを待つより忘れてしまったほうがいいのかなって」
ナツの声は聞き取れないほど、どんどん小さく掠れていった。
「今僕はこの家を掃除するくらいしかしていないんです。今の僕は本当に何もしていない。だったらいっそ全部忘れて」
「ナツくん、それ本気で言ってるの?君の本心?」
カイヤはナツの話を途中で遮った。
「君は師匠の事をどう思っているの?」
「狩りのことを教えてくれた人」
「そう……」
カイヤはナツに対して少し怒りを覚えた。師匠に対して薄情ではないかと。
だけどカイヤは記憶消去執行人で、依頼を受けてきた、赤の他人なのだ。これ以上何かを言うのは余計なお節介でしかない。
だけどナツは本当にそれでいいのだろうか?
今まで帰りを待ち続けていたのだ。家を掃除していたのだ。きっと自分の中で踏ん切りがつけていないのだろう。だから記憶消去執行人にこの記憶を消してくれと依頼した。自分ではこの先どうすればいいか決められないから。今までの記憶を消して。
「分かりました。あなたの中にある師匠に関する記憶を消去します」
「……」
「それでは眠ってもらいますね。眠っている間に記憶を消しますので」
カイヤは睡眠薬をナツに手渡した。ナツはそれを飲まずにずっと眺めている。次第にナツの瞳から涙が溢れ始めた。
「……師匠!師匠!」
涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしながら嗚咽混じりで叫ぶ。
「師匠のこと忘れるなんて嫌だ!もう帰ってこないことなんて知ってる!死んじゃったんだろ!?そんなことずっと前から分かってる!……だけど、だけどそんなの認めたくないんだよ!いつ、帰ってきてもいいようにずっと掃除だってしてた、それでもこんな毎日は駄目だって、自分で理解して、何かしないとって思って!嫌だ、忘れたくない……」
それからナツはずっと泣いていた。カイヤはそんなナツを抱きしめて頭を撫でていた。本当はいろんなことを我慢していたのだ。泣かないで、大人であろうとしたのだ。
「だけど……」
「え?」
「だけど、僕から記憶を消してください」
「どうして?」
「もう、僕はこのままじゃ駄目なんです。いつまでも帰ってこない師匠の帰りを待って、こんな生活を続けるのは駄目なんです。師匠のことが大好きだった。師匠のようになりたかった。でも、僕が師匠のことを覚えている限り何も変われない。ずっとこのままなんです。だから……」
ナツは泣き笑いを浮かべて「この記憶を消してください」と、そう言った。
やがて嗚咽は収まり寝息が聞こえてきた。
外は月が出て、星々が綺麗に輝きを放っている。ナツが体を起こし、半目を開いてカイヤの方を見る。
「……えっと貴方は?」
「こんばんは、僕は記憶消去執行人のカイヤ。ナツくん、君から記憶を消してほしいと依頼を受けて、とある記憶を消しました。」
「えっと……」
状況が飲み込めていないナツをカイヤは村長のところまで連れて行った。
カイヤはナツの記憶を消した。その後、村長に事情を説明してナツを預けてもらうことにした。
彼はナツの師匠が帰って来なかったときからずっとナツの事を心配していたらしい。記憶を消したことについてカイヤは村長から罵倒を受けた。「記憶消去執行人というのはどれだけ残酷なんだ!人の心はないのか!」カイヤはそれに「彼が望んだ事なので」と、表情を変えずに答えた。
カイヤはナツを村長に預けてその場を後にした。いつもは心地よい夜風が今夜はやけに冷える。ナツの記憶を消したことを後悔している訳ではない。しかし、時折分からなくなるのだ。果たして人から記憶を消すというのは良いことなのか。
師匠。
カイヤにも師匠がいた。今どこにいるのか、名前すら知らない師匠が。今回の件でカイヤは昔のことを、師匠との出会いを思い出していた。
一人の少年がベッドで眠っている。彼の名前はカイヤ。少年から青年へと変わっていく年頃だが寝顔はまだあどけない。目元は赤く腫れていた。
カイヤの近くに40代くらいの男がいる。男は頬杖をついて目を閉じている。
カイヤが身動ぎすると「あ、起きた?」と男が語りかける。
目が覚め、辺りを見回す。宿の部屋だろうか?記憶が曖昧だ。カイヤはこの男を知らないし何故ここに居るのかも分からない。
そして強い喪失感があった。なにか大切なものを失ったような……なにも思い出せない。
「あの、貴方は?それにここはどこですか?」
「俺は記憶消去執行人さ。依頼があってね。ここは、ええとなんて名前だっけ?まあ都市だよ。その、普通の宿。」
カーテンを開け窓から外を見下ろす。たくさんの建物が建っており、田舎に住んでいたカイヤはすぐにここが家の近くではないと分かった。しかし、何処か見覚えのある街並みだ。
「えっと僕がなんでここにいるのか貴方は知っているんですか?それに記憶消去執行人……。依頼ってなんの事なんですか?」
「記憶消去執行人ってのはその名の通りその者の記憶を消す人だよ。俺以外にいるかは知らないけど。ある人に依頼されて君の記憶を一部消した。ちなみにこれは本人の同意がないと出来ない。君自身が記憶を消すことを了承したんだよ。」
なるほど。喪失感はそのせいか。
「あ、それと記憶を消したことは本人に伝えておかないといけないんだ。依頼主は記憶を消したという事を君に知られたくなかったみたいだけど決まりでね。まああとは君を故郷に帰すよ。それで終了」
話はこれで終わりだというように男が立ち上がった。
そうだこのまま終わるのが一番いいのだろう。実際カイヤは記憶を消すことを了承したんだ。
……だけど、だけどこのままで終わりたくない。これ程の喪失感には耐えられない。絶対に後悔する。まだ幼いカイヤはそう思った。
「あの、僕はどんな記憶が消えたんですか?教えて下さい!」
「それは出来ない。こういうことを言ってくる奴は一定数いる。だが全員にその申し出を断っている。そういう決まりなんだよ」
そういう決まり。そんなことを言われればどうすることもできない。ただ一つ男の言った言葉で気がかりなことがあった。
依頼主……
カイヤの記憶を消すように依頼した人。カイヤはその人に心当たりがないのだ。
「あの、依頼主というのは?」
「お前の記憶を消して欲しいと依頼してきた人」
「えっと、そうではなくて……」
カイヤがどもどもしていると男は溜息をついて話始めた。
「その依頼主っていうのはお前から自分の記憶を消してくれって願ったんだよ。面倒くさいな、さっき消した記憶に関しては話せないって言っただろ」
悪態をつきながらも男は依頼人について教えてくれた。簡単に話している時点で決まりというのはそこまで重要なものではないのかもしれない。
依頼主。
その人はカイヤにとってどういう存在だったのだろうか。
こんなにも喪失感があるのだ。それだけ大切な存在だったんだろう。それなのになぜ僕はそれを了承したのか。カイヤはそう自分を攻めたてる。心に空いた穴が大きすぎる。
「記憶を復元させる事は可能ですか?」
「できない」
「……」
やはりこの漠然とした想いをずっと抱えて生きていかなければならないのだろうか。
「今の所はな」
「……え?」
「なんだってそりゃ記憶を消せるんだぜ?記憶を取り戻すこともできるだろ」
……この言葉を信じてもいいのだろうか?
カイヤの中に微かな希望が生まれた。
「だけど、どうやって、これから先僕はどうしたら……」
「……そんなに自分の記憶を取り戻したいのか?」
男はやけに低い声でそう問う。
もし取り戻せたとして、その記憶にカイヤは苦しむことになるのかもしれない。記憶を取り戻したことを後悔するかもしれない。
過去のカイヤは記憶を消すことを選んだのだ。これほどまでに強い喪失感を与えるほどの記憶。それを思い出したら……。
「それでもやっぱり僕は記憶を取り戻したい」
カイヤは強くそう思った。男の目を見据える。少しの間、沈黙が続き、男は口を小さく開く。
「それなら俺と一緒に記憶消去執行人をやらないか?」
「……え」
「この仕事をしてる人は多分俺しかいない。俺は記憶を消す方法を知ってる。俺もそろそろ弟子を持ったほうがいいかと考えてたしな」
「え、いやちょっと待って」
「もしかしたら記憶を復元する方法、分かるかもしれないぞ」
「……!」
確かに何もせずこのままの日常をおくるよりはいいのかも知れない。
それに
(記憶消去執行人…か)
カイヤはこれから先どう生きていくのか検討もついていなかった。この人の弟子になって記憶を消していく……記憶を取り戻す旅をする。
それがどういう結末を辿るのかは分からないがカイヤには言い知れない昂揚感があった。
「あの……!貴方の弟子になってもいいですか?」
男は微笑を浮かべ
「ああ、勿論だ!これからよろしくな」
こうしてカイヤは男に弟子入りした。
それから5年、師匠はカイヤの前からいなくなった。
記憶消去執行人になった日に。
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