TOKYOサバイバル

九条 寓碩

もぐらを叩く。そして女子高生を拾う。


 我思う、故に我あり

    ――ルネ・デカルト『方法序説』


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 俺が最後のもぐらの頭にハンマーを叩きつけると、にぎやかなファンファーレと共に、ゲーム台のディスプレイが明滅した。ド派手な「HIGH SCORE」の文字がディスプレイ上を駆けめぐる。


 志乃シノのあきれたような声が、すぐ耳元で響いた。


「〈イクス〉のエースがこんな所で何やってるんだ。ゲーセンのもぐら叩きに本気出すなよ、バカなのか?」


 今いちばん聞きたくない声だった。俺は思わず舌打ちした。


「体を動かしたいだけだっつーの」


 囁き返したが、レトロな音楽が大音量で流れる中でも、志乃は問題なく俺の返答をすくい取った。


「体を動かしたいなら〈イクス〉本部に来ればいい。トレーニング室には最新のマシンが揃ってる」

「誰が行くか。職場の施設でトレーニングじゃ、まるっきり業務じゃねーか。俺はね、遊びたいの。気分転換が必要なんだ」

「……奇遇だな。私もちょうど気分転換がしたかったところだ。本部の最上階の仮眠室で一緒に休憩しないか?」


 志乃が、突き出した豊かな胸を揺すってみせた。たゆんたゆんと重そうに揺れる肉塊に、俺は思わず視線をやってしまい、猛烈な自己嫌悪に襲われた。

 己のあさはかさが恨めしい。いんちきとわかっていてもおっぱいに目を引かれてしまう二十一歳の生理が恨めしい。


 志乃は、〈イクス〉本部が俺に割り当てた、擬人化されたオンラインサポート機能だ。生身の肉体など持ち合わせていない。

 俺の目の前に立つこいつ――凹凸の激しいボディを胸元の大きく開いたワンピースに押し込めた妖艶な美女は、俺の目にしか見えていないし、甘い声も俺の耳にしか聞こえない。すべて虚構バーチャルだ。


 俺は顔をそむけた。いまいましい虚像からも、飽きてきたもぐら叩きゲームからも。


「てめ、どんだけ俺を本部へ来させたいんだよ」

「ふむ。まあ冗談はさておいて。こんな場末のゲーセンで暴れている暇があったら、『エバーグリーン』や『下剋上伝説』にログインしてパトロールしたらどうだ」


 志乃は二大VRゲームの名前をさらっと口にした。俺は志乃の体を通り抜けて・・・・・、古びたパンチングマシンへ向かった。


「おまえ今『パトロール』って言いやがったな? それこそ、もろに業務じゃねーか、ふざけんな。俺は無償で時間外勤務はしねぇ。絶対にやらねーぞ。何が嬉しくて、オフの時間までゲーム世界に没入ダイブしなくちゃなんねーんだ」


 池袋の雑居ビルの一階にあるゲームセンターは、そこそこ広いスペースに、もぐら叩き、パンチングマシン、バスケのシュートゲーム、エアホッケーなど、体を動かす系のレトロゲームを多数並べている。妙に淀んで感じられる空気の中、さまざまな年齢の男女がゲーム機に取りついていた。全員に共通しているのは、運動不足でたるみきった体つきと、暗い表情だ。


 ――見ればわかる、こいつらは一人残らず在宅者ホーマーだ(少し前まで隠者ハーミットと呼ばれてたが、差別的だということで呼称が変更された)。昼間は家から一歩も出ず、何十キロ、何百キロも離れた事業所にいるアバターを遠隔操作して働く・・。遊びもほとんどバーチャルで済ます。今時は携帯用端末がありとあらゆる娯楽を提供してくれるし、人づき合いがしたくなればVRゲームがある。都民の九十九パーセント近くが複数のVRゲームに登録している。

 そんな生活をしていると、ときおり無性に体を動かしたくなるものだ。保険適用のEMSトレーニング機だけだとヤバいぐらい筋肉が衰える。

 高級なEMSを買ったりパーソナルジムに通ったりする余裕のない低層労働者は、こういう場末のゲームセンターで、あり余る肉体的エネルギーを発散することになる。


 志乃の鈴を転がすような声が俺の背中を追ってきた。


「コード赤紫だ、ケン」

「……いつも忘れちまうんだが、『赤紫』って何だっけ?」

「百秒以内に君はトラブルに巻き込まれる。トラブルの危険度は低く、切り抜けることは容易だが、軽微な法令違反を犯す必要がある。そういう意味だ」


 都の中央コンピュータとリンクし、俺を中心とする半径一キロメートルの範囲の状況を常に監視している志乃は、近未来を予知することができる。


 案の定、俺の左手の方角で、ざわめきと小さな悲鳴が起こる。


「いちいち説明が要るようなややこしいコードを使うなよ。伝統的に、コードといえばせいぜいレッド、イエロー、ブルーまでだろーがっ」


 俺は騒々しい方角へ向き直った。


 紺色の制服を着た、明らかに高校生らしい少女が、必死でこちらへ駆けてくるところだった。息を弾ませている。懸命に出口を求めるその瞳には絶望が見える。どうやらビルの裏口からこのゲームセンターに駆け込んできたらしい。

 黒いスーツ姿の男が三人、少女を追っていた。

 三人とも見たところちんぴらではない。だが、妙にのっぺりとした、人間性をどこかへ落としてきたような面立ちをしている。


 先頭を走る男の手が、少女に届いた。

 腕をつかまれ、少女はけたたましい悲鳴をあげた。


「いやぁ! 放して! 誰か……誰か助けてっ!」


 スーツ男たちは、つかまえた少女を取り囲んだ。

 ばしっと鋭い音が響いた。叫び続ける少女の頬を、男の一人が打ったのだ。


 ゲーセン内が凍りついた。

 客は大勢いたが、誰一人として、少女を助けるために動こうとはしなかった。在宅者ホーマーというのは基本的に身体能力の低い連中だ。VRゲーム内ならともかく、生身リアルで戦いを挑んだりしない。


「やだぁ……お願い……死にたくないよぉ……」


 少女の哀れっぽい泣き声が響く。


「志乃。警視庁システムに〈パーミッション三十五〉のリクエストを頼む」

合点承知がってんしょうちすけでぃっ!」

「……いつの時代のフレーズよ、それ……?」


 俺の言葉にかぶせるように志乃の「完了ダン」の返事が来る。俺は駆けた。最初の標的は、少女の長い髪をつかんで振り回している男だ。


「食らいやがれっ! 正当業務行為パンチ!」


 俺は跳腰はねごしっぽい動きで男の体を投げた。そして、倒れた相手の股間を激しく踏みつけた。――少なくとも戦闘中は、俺の辞書に「正々堂々」の文字は存在していない。


 残る二人の男たちが、少女から手を放して俺に向かってきた。


「時間外労働キーーーック!」


 俺は左側の男の顔面に肘打ちを入れた。続いて、右側の男をつかみ、内股の要領で投げた。


「君、叫んでる技名とやってることがバラバラじゃないか」


 志乃がふっくらした唇を尖らせて指摘したが――当たり前だろう。本当の攻撃名をわざわざ敵に教えてやるわけがない。


 髪を乱し、頬を腫らした女子高生が、ぼんやりした涙目で俺をみつめていた。


「逃げるぞ」


 俺は少女の手を引いてゲーセンを飛び出した。カラフルな照明に彩られた夜の繁華街が眼前に広がっていた。

 この辺りは駐車禁止区域のはずだが、歩道に沿って何台かの車が停まっている。そのうちの一台の屋根に、志乃が脚線美を見せつけながら座っていた。


「この車はフル充電されている。借りていくか」


 美しい顔に浮かぶ不敵な笑みに導かれ、俺は少女と共に車に乗り込んだ。志乃が車のシステムをジャックしているので、ドアは開くしエンジンもかかる。


 ゲーセンから黒スーツの男たちが駆け出してきた頃には、俺たちの乗った車はすでに走り出していた。


 警視庁から〈パーミッション三十五〉を受けているので、俺の行為は非公式治安維持部隊〈イクス〉の正当な業務として、刑法三十五条に基づき合法化される。人を殴っても車を盗んでも、罪に問われる心配はない。あとで謝りに行かなくてはならない場合はあるが。

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