花見酒

空飛ぶ兎

第1話

 右へ左へと元気よく跳ね回る、つややかなポニーテール。それにどこか懐かしさを覚えながら、私は声を掛けた。

「予約していた坂口と申しますが」

「あ、はい! ご予約ですね。確認いたしますので少々お待ちくださいませ!」

 快活に返事をし、バックヤードへ駆けていく店員。その後ろ姿に、学生かな、とぼんやり思う。

「お待たせしました。ええと……」

 その表情に若干の戸惑いを滲ませながら、店員は言った。

「屋形船貸切コースの坂口様——一名様のご予約でよろしかったでしょうか?」

 私はにっこりと笑って答える。

「ええ、そうです」



 屋形船から見えるのは、桜。

 薄桃色の花びらは若干赤みが掛かった照明で照らされている。背景の夜闇も相まって、見る者を惑わすような、妖艶な美しさを放っていた。実物の迫力だろうか、以前にテレビで見た夜桜とは何もかもが違って、思わず見惚れてしまいそうになる。

「これを独り占めなんて贅沢ー」

 うへへ、と締まりのない顔で笑ってみせる。お猪口を時々口へ運びながら、私は一人夜桜を眺めていた。

 時刻は午後九時。仕事を終え、その足でこの屋形船へ乗り込んだ。正直、体は疲れ切っているが、食事がとても美味な上、この美しい桜を眺められるのなら来た甲斐はあったと思う。

 私は空いている左手でゴソゴソとバッグをまさぐる。取り出したのは、一枚の紙切れ。

 手紙だ。

 二つ折りのそれを、開かずにそのまま見つめた。内容は、ついこの前読んだから覚えている。

「渡した相手が気づかないようなところに仕込むなっての。まったく」

 友人からの、タイムカプセル。高校生の頃に二人でハマっていた漫画に挟まっていた。それも真ん中あたりの巻に。わかりにくいこと、この上ない。

 文面は、たぶん、タイムカプセルにはよくあるものだと思う。帰り道にスタバへ寄った話とか、この漫画のラストはどうなっているのか、とか。なんてことない、その時の当たり前の日常について書いていた。

 一つだけ目に留まったのは、お花見について書かれていたことだ。

 どうやら、この手紙を書いた日には二人でお花見をしたようだった。スタバで新作のフラペチーノを買い、大きめの公園へ寄って写真を撮ったのだとか。実のところ、自分はあまり覚えていない。

 けれどその時、私と友人は約束したらしい。大人になっても一緒に花見をして、お酒を呑むと。きっと今と変わらない、漫画や流行の話をするんだと信じて疑っていない文章だった。

 私は目を閉じて思い返す。

「結局、あの漫画も二年後くらいには完結しちゃったっけ」

 私も友人も、今や立派な社会人だ。

 友人からは、ついこの前結婚したと報告があったところだった。久しぶりのランチで話してくれた、あの嬉しそうな顔を思い出す。

 友人は、ちょっと抜けているところもあるが、いつも前向きで明るい。きっと、幸せな家庭を築けるはずだ。


 私は目を開いて手紙を見つめる。

 そして、二つ折りの手紙を、折った状態のまま思い切り破る。一回、二回、三回……四回目はさすがに小さすぎて破けなかった。

 一口サイズのチョコレートみたいな、小さな手紙の欠片。それを両手の上に乗せ、そっと待つ。


 仲違いしたわけではない。疎遠にもなっていない、とは少し言い難いけれど。でも、未だ仲が良いと言える。

 桜フラペチーノが、オシャレなランチに変わった。それだけだ。

 それだけなのに——あの頃とは、やっぱり違うのだ。


 木々がざわめく。

「来た」

 強い風が吹いた。桜の花びらが一斉に舞い散る。

 手の平に乗せた小さな思い出達も、一緒に飛んでいく。私はそれを見つめて、笑った。


 私の大切な友人へ。



「幸せになれよ、バカヤロー」


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花見酒 空飛ぶ兎 @rabibi_uto

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