第2話 ようこそ珍客

 柚の家は、戸塚(とつか)宿で旅籠を開いている。


 東海道の宿場町、戸塚。東海道は、東京と改称されたばかりの江戸・日本橋から、京都を結ぶ、重要な道筋。戸塚は、その東海道五番目の宿場町。


 京方面を目指して夜明けに日本橋を旅立てば、初日の宿場にもっともふさわしいのは、ここ戸塚。武蔵国から、お隣の相模に入った最初の宿場で、否が応にも漂泊への気分が高まる。旅籠の数も多いほうだ。東海道のほかに、鎌倉や大山方面に抜ける道もある。


 開港して間もない横浜村など、比較にならないほど、かつての宿場は栄えていた。途切れることのない、賑やかな人馬の流れ。大仰な大名行列。ごみごみしていると非難する人もいるけれど、柚は雑多な感じの戸塚宿が好きだし、自慢だった。町が静まり返っていたりしたら、どうにも落ち着かない。


 しかし、横浜が開港されて早十年。人とモノが横浜一点に集中し、珍しい舶来物が入ってくるようになったが、高価な絹や銀などが安価な価格で海の外に流れてゆく。ものの値がどんどん上がり、追剥に山賊、夜盗と物騒になった。東海道から人がまばらになるのとほぼ同じころ、暮らしがいっそう苦しくなっていった。往来がより盛んな横浜や品川まで、戸塚から出稼ぎに出る人もいた。


「この子、助かる? ねえ。助けてあげてよ、父さま」


 柚は、少年を旅籠の中にかかえて運んだ父に問いかけた。父は、汚れた少年を見るなり、無言で迷わず背中の刀を慎重に外して柚に預け、少年をかかえた。はじめて持たされた刀は重くて驚いた。

 そのまま、二階のもっとも奥まった、静かな客室に上げる。まるで知り合いの子どもを救うように、父の動きには澱みがなかった。


「もっと静かに看ていなさい。ほかのお客さまにも迷惑になる。起きたら、知らせるように」


 朝は忙しい。朝餉を出し、出立を見送ったり、必要とするお客さまには昼のおにぎりを作ったり。そのあとは掃除がはじまる。


 父は、足音を立てないように、そっと部屋をあとにして仕事に戻った。


 どこか遠くから流れて来た者や、身寄りのない者、宿賃すらない者もよく泊めてやった。そんな父が立派だと、柚は思っている。


「関内で働いていた子かな。それとも、外国船? 働くことがつらくて、逃げてきたのかしら」


 突然の闖入者に興味津々の、柚。


 ひとりごとにしては、やけに大きな声を出したせいか、少年はううっと呻き、目を醒ました。両目を、袖口でごしごしと数度、こする。なんとも子どもっぽい仕草をするものだ。寝ぼけているせいだろう。


 焦点の定まらないとろんとした目で、柚に向いて言う。


「お……おなか、減った」


 喋った。きちんと、話ができるのか。どうでもいいことに感心していると、重ねて少年が切望する。


「恐れ入りますが、なにか食べる物を、お願いします」


 ぽかんと口を開いたまま、少年の顔を眺めていた柚は、ようやく我に返った。


「あ、ああ。食事ね。そうね、待っていて。すぐに、もらってくるから」

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