薩摩の初太刀は必ず外せ

fujimiya(藤宮彩貴)

第1話 まぼろしだったらよかったのに


 見てしまった。


 どうしようもなく、鼓動が早まる。驚きのあまり、悲鳴を上げるどころか、喉に自分の声がべったりと張りついてしまい、とっさに叫べない。


 はじめに見たときは、冗談かと思った。


 次には、ふざけているのかと、つい腹立たしくなった。辺りを何度も見回しても、こういうときに限って、街道沿いなのに誰も通らないので、助けも呼べない。

 仕方なく、もう一度振り返って確認してみることにした。もしかしたら、単なる見間違いか、幻かもしれない。錯覚ということも、ある。


 しかし、それでも。


 やはり、人が倒れている。よりによって、人の家の前で。早朝、店先を軽く掃除しようかと思って出たのが、運のつきだ。他人に箒を持たせておけば、少なくとも最初の発見者にはならなくて済んだのに。


 冷えた固まった指先で、かろうじてつかんでいた箒を使い、倒れている人の腕をそっとつついてみた。肩がかすかに上下しているから、たぶん呼吸はしているはずだけれど、いつまで待っても動かない。土肌色の両手が、力なく道に投げ出されている。


 行き倒れだ。

 自分の家の前に、人がうつ伏せに倒れていた。


 外見は、自分と同じくらいの歳ごろの少年。着ているものは洋装。しかも、筒袖の、黒い戎服(じゅうふく)だった。この辺でも稀に通る異国人が着ているものによく似ていたが、少年の顔つきはまったくの日本人。困ったことに、少年は服も顔も薄汚れ気味。


 背中に、朱鞘の長い刀をくくりつけている。相当使い込まれたらしく、柄はところどころ装飾が剥げ落ち、痛んでいた。使った痕跡がある、ということは人を斬った、ということだ。想像しただけで、鳥肌が立つ。ただの少年にしか見えないのに、剣の腕は相当なのだろうか。いや、長過ぎる。近頃では、長い刀が流行していたとはいえ、少年の体格には合わなさそうだ。


 このまま、放っておくわけにはいかない。家の前。ごほん、とひとつ気合いをつけるために、ため息をこらえ、咳払いをしてみる。情けないことに、少年に触れる勇気もない。ましてや、かかえ上げてどこかへ運ぶなんて、考えただけでも震え上がる。十五歳の自分たったひとりでは、どうすることもできなかった。


 箒を投げ捨て、走って家の中に戻ろうとする。梅雨時期の、なまぬるい風が頬にぶつかって、まとわりついてきた。手で、無理やりこすり落とす。


「ねえ。外に、人が倒れているの。早く、父さまっ」


 ようやく自分の声を取り戻し、大きく張り上げることができた。

 柚(ゆう)は着物の袖を振り乱しながら、父が営んでいる旅籠に飛び込んだ。



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