第5話

 翌朝、僕は白山駅前でミツキさんを待っていた。

 十月というのは、なかなか中途半端な季節だ。早朝とはいえもう太陽は昇っているし、少し肌寒いけれどコートを羽織はおるほどではない。

 付近には学校があるようで、朝練に向かう生徒がちらほらと見えるだけだった。

 これまで「中途半端」という言葉を多用してきたけれど、僕は比較的「中途半端」という概念が気に入っている。僕自身がどっちつかずであるがゆえに、そうした概念の中でゆったり漂っていることが心地よいのかもしれなかった。

 けれど一方で、それがいいことであるとは思わなかった。僕がやっているのはただの停滞で、きっと最後には腐り落ちてしまう。中途半端な位置に居続けることは、いつか自分の身を滅ぼす。誰もいなくなって、最後は空虚な自分だけが取り残される。

 だからこそ、僕は桂花けいかをその最後の一人にはしたくない。それは桂花を置いていく後ろめたさもあるけれど、やっぱり能動的にそうしたいと思っているところがあった。

「おはよう」

「……おはようございます」

 なんていうことを考えていると、ミツキさんが到着した。彼女は僕のつま先から頭のてっぺんまでを眺め回してからふむ、と軽く息をついた。

「……あの、何か」

「ま、合格」

 何が。僕の抗議の目を一蹴して、服装の話よとミツキさんはぶっきらぼうに言った。

 なるほど彼女はキャップを被り、裾の長い若草色のブラウスに下は白いレギンスパンツ、靴は灰色に近いパンプスという出で立ちで、一見シンプルに見えてもお洒落な雰囲気が出ている。そもそも白、黒、灰色以外の色を使える時点でもうお洒落だ。

 一方の僕はと言うと、灰色の半袖パーカーに黒いチノパン、靴は普通のスニーカーだ。これでは一緒に歩いていると釣り合わないこと請け合いである。

「すみません、気をつけます」

 謝りつつ、僕はミツキさんの後ろを歩いた。さっきのはギリギリ合格といった意味合いなのだろう。

「え?あぁ、ダメって意味じゃないわよ。無駄に派手だったり、異常にダサかったりすると目につきやすいから、シンプルに記憶に残らないような服が良いってこと」

「それ遠回しな悪口ですよね?」

「あ、バレた?」

 本当にそうなのかよ……と僕が恨めしげに睨むと、ミツキさんは楽しそうに笑っていた。

「まぁ、その辺は置いといて。とりあえず行くわよ」

 そう言って歩き出したミツキさんの後を慌てて追う。

 今日僕たちが早朝から集まったのは、我孫子あびこ裕也ゆうやを尾行するためだ。彼はA大学にほど近い、この辺りに部屋を借りているらしい。

 本来なら僕とミツキさんは八時間交代制で見張るべきなのだけれど、大変申し訳ないことに僕はこういったことを経験したことがないから、今日は二人で十六時間見張りつつ、尾行の基本的なことを教わることになる。

 尾行をしないのは二十二時から翌六時まで。その時間内に我孫子裕也が外にいる場合はそのまま続行。何時ごろにどこにいたかはメモをする。変に隠れる必要はなし。普通に通行人のようなふりをしてそれとなくついて行く。バレているような気がしたらすぐにさくらさんに連絡すること。ただし、そう思ったからと言って変に動揺しないように……等々。

「まぁ、人間って基本的に知らない人間の顔とか覚えないから。気負わずやって」

「はぁ」

 後ろめたいことをしている人は基本的に入るのだろうか、などと考えつつ生返事を返していると、ミツキさんが突然立ち止まり、僕の方を向いて左側の建物を指さした。

「ここよ」

 目の前に見えたのは、白かったのであろう壁が若干くすんでいて、階段がびついている、安アパートのイデアみたいな建物だった。

「ていうか、どうやって家を特定したんですか」

「歴史の中で最も人を殺したのは、情報らしいよ」

 それだけ言って、ミツキさんは意味深な微笑みを浮かべて黙った。大方、SNSなどを駆使したのだろう。恐るべし、情報社会。僕もこれからは気を付けよう。

「じゃ、ちょっと待ってて」

 ミツキさんはそう言い残して静かに階段を昇っていき、ものの数分で戻ってきた。

「何したんですか?」

「扉のところにセンサーを付けてきたの。開閉すればあたしのスマホに通知が来るようになってる。ついでに簡易盗聴器もついてるから、宅急便とかの時もしっかりわかるわ」

「法律犯してないですよね?それ」

「あたしに聞かないでよ。法律なんて知らないし」

……不安になってきた。


 尾行と言えばなんとなくカッコいいような雰囲気が出るけれど、ぶっちゃけやってることはストーカーと一緒だ。日はとっくに昇っているが、我孫子裕也がさっぱり出てくる気配を見せない。僕たちは駅前のファストフード店でセンサーの通知が来るのを待っていた。

「学校サボりですかね」

「単に授業がないだけじゃない?」

「なるほど」

 ふと時計を見ると、もう十時半をまわる頃だった。僕とミツキさんは、かれこれ三時間ほど静かに座っている。

「暇ねぇ……」

 ストローをがじがじと噛みながら、ミツキさんがため息交じりに呟いた。

「……」

 僕はと言えば、疲れていた。頭が痛い。そもそも、僕がよく知らない美人と長時間行動を共にすることがおかしいのだ。ほぼ引きこもりの僕には重労働過ぎる。これがあと一週間続くなんて……。

「ちょっと、聞いてる?」

「え、はいなんでしょう」

「きみは、なんでこんなお仕事をする羽目になってるわけ?」

「あー……はい、えっと」

 かくかくしかじか。僕は桂花と葵と夏生の話をかいつまんで話した。

「へー、じゃ今、私の雇い主変わってるってこと?電話だと全然気付かなかったわ……」

 聞いたところ、やはりミツキさんは桂花も芳佳も会ったことがないらしい。

「ま、高校卒業しとけばどうにでもなるっしょ」

「それはミツキさんの経験則からですか?」

「ん?いや、違うわよ。あたし、高校ドロップアウトしてるし」

「……え」

 地雷を盛大に踏み抜いた音がした。思わず目が合わないようにと、慌てて視線を自分の手元に移す。

「あーいや、別に気を使ったりしなくていいわよ。そんな気にしてないし。ていうか、キミも似たようなもんじゃない?」

「そう、でしょうか」

「同じよ同じ」

 僕は言葉に詰まる。同じではないような気がする。

 それは決して悪い意味ではなく、陳さんに感じているような劣等感だ。何者にもなれない、どちらにも振り切れない僕が抱いてしまう、どうしようもない疎外感。若干の憧れを含んだ、強烈な自己嫌悪。

「別にやましいことがあって退学したわけじゃないの。なんていうか、ちょっとめんどくさかったっていうか、さ」

 黙りこくってしまった僕を見て、わき腹をさすりながら少し寂しげにミツキさんは笑う。

「調子乗って刺青いれずみなんかも入れちゃってさ。もうそれから四年になるのねー……。時が経つのは早いわ」

 ミツキさんは案外僕と結構年が近いらしかった。高三で退学していても二十二歳。三歳しか違わない。

「言っとくけどあたし、いま二十一だからね」

「あ、はい」

「何か失礼なこと考えてない?」

「いや、年齢の割に大人びてるなぁ、と思って」

 十中八九、刺青の所為だと思いますが。ミツキさんは大して気にしていなさそうなため息をついた。

「物は言いようね」

「はは……」

 愛想笑いで追求を逃れる。以後デリカシーに欠ける発言は気を付けよう。

「高校退学してから一年くらいプー太郎しててさー、親に縁切られてどうしよっかなーって行きついた先がたまたまあのカフェだったってわけ」

「奇妙な縁ですね」

「ほんとにね」

 と、雑談をしていた所、不意に机の上に置いてあったスマホが細かく振動した。それに気づいたミツキさんは、すかさずそれを手に取って耳に当てる。

「動きましたか」

 ミツキさんは僕を手で制して黙らせた。しばらく無言の時間が続く。

「………なんだよう」

 一分ほど経っただろうか。唇を尖らせてそう呟きながら、ミツキさんはスマホを置いた。

「どうしたんですか」

「ただのフードデリバリーサービスだったわ。ちぇっ」

「ピザとかそういうやつですか?」

「や、違う。なんか最近流行ってるやつあるでしょ?自転車に乗ってるアレよ」

「あぁ」

 アキバでも最近よく見るやつか。

「きみはあれ使ったことある?」

「いや、ないですね。お金で運んできてもらうっていう行為がなんだか変な感じがして」

「あーそれね。なんかわかる。しかも誰が運んでるかわからないのがねー。途中で食べられてたとか、中身開けたらぐちゃぐちゃとか聞くしね」

 収穫がなかったことで、空気は一瞬で弛緩しかんした。僕も相槌あいづちを打ちながら、雑談に何とか応じていく。向こう半世紀ぶんくらいは他人と会話した気がする。来週には三世紀先まで無口でもいいと思っているのかもしれない。なんてことを思うくらいには暇な時間ばかりだった。

 結局その日、彼は一度も家から出ることはなく、僕の初仕事はミツキさんの雑談相手ということになった。幸先さいさきが悪いような気がした。

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