第4話
「さて、ではそろそろ動き出すとしようか」
ちなみに怒られて追い出された次の日、芳佳はけろっと機嫌を直して普通にお茶汲みをさせてきた。この一週間で最もお茶を淹れる能力を向上させたのは、日本中を見渡してみても間違いなく僕だろう。そんなことを思いながら、僕は五人分のお茶を手際よく淹れていく。
机の上には顔写真の下にそれぞれ数個の情報が記載されている、指名手配書じみた紙が三枚置かれていた。よく見ると男性二人と女性が一人だ。
「いやーめっちゃキツかった。いつもの五倍くらい真面目にマッチングアプリ使ったよ」
いつもより少し洒落た格好の
この期間中、葵はお得意のマッチングアプリを駆使して女子大生を中心に調査(ナンパとも言う)を進めていた。服装を見るに、今日も、ここに来る前に会って来たのだろう。
「この一週間ちょいで二十一人マッチして十八人に実際会って、さらにその伝手の十二人とも会ったよ。そしたら二人ヒットした。一人は会った子の知り合いで、この加奈子ちゃんね。それでもう一人が別の会った子の友達の彼氏、若葉って言うらしい」
のうのうと語っているが、ただの女の敵なのではないだろうか。一週間で二十人切りとは、人斬り
「案外すぐ見つかるもんだね」
呆れ半分、感嘆半分で
「まぁ、この辺の女子大生しかマッチしないようにしたからね」
「へぇ、便利だね」
「いや、裏ワザ使っただけだよ。あ、今度ネットナンパの
葵は意地の悪い笑みを浮かべて僕に言った。さらっと非正規の方法であることを言うどころか、予備校の無料体験授業みたいなノリでそんな最悪な講座を開かないで欲しかった。
「晴人、ネットナンパ師になったら大幅減給を覚悟するように」
「ならないよ……」
精一杯の抗議をする僕を尻目に、今度は
「私は大学の友達中心に声かけてみたんだけど、普通に友達のサークルの先輩に一人見つけた。この我孫子裕也って人。こういうのって案外近くにいるもんなのね。世界って狭いわ」
「名称がわかったりしたかい?」
「詳しくはわかってないけど、買ったりするときは『K』って呼ばれてるみたい」
改めて、集められた三人のプロフィールを順繰りに見ていく。
国立A大学工学部三年
神奈川県公立高校出身、文京区在住(一人暮らし)
軟式テニスサークル副代表
サークル内で密かに流行しており、その使用者の一人らしい。
国立S女子大学文学部二年
東京都私立高校出身、千代田区在住(一人暮らし)
文芸サークル所属
周囲で使用者はいない。高校同期に所持者がおり、そこから購入した模様。
私立B大学経済学部三年
福島県出身、文京区在住(一人暮らし)
バレーボール部
ゼミの先輩に薦められた模様。交際者が偶然発見、そのことを本人には話していない。
……驚くほどなんの共通点もないな。三人に共通の知り合いがいる可能性は薄そうだ。
強いて言えばこの周辺で一人暮らしをしているということくらいだろうか。
とは言っても、家族の前でラリったりはしないだろうし、アキバ近くの大学で流行しているならこの周辺で一人暮らしなのは当たり前な気もする。
「二人で探してこの短期間でこれだけ見つかったと考えると、この周辺の大学にはかなり広がっていそうだね」
「この三人の誰かから普通に聞き出すっていうのは?」
挙手しながら夏生が訪ねた。
「厳しいだろうね」
「なんで?」
「恋人ですら使っていることを隠されているということは、
「む、それもそうか……」
となればどうするのが良いのだろうか。芳佳を見ると、耳の縁をなぞりながらしばらく思案をした後、懐から取り出したスマホ(桂花のものだ)を操作して、おもむろに電話をかけ始めた。
「……ぼくだ。……うん、……そう。四人くらいいると嬉しい。よろしく」
そう言って通話を終了すると、僕の方に向き直る。
「さて晴人」
「いやだ」
「まだ何も言っていないのだけれど……」
絶対ろくでもない内容だ。何をさせられるか、わかったもんじゃない。
「社会復帰、したくないかい?」
「全然、したくない」
そう言って僕はそっぽを向く。
「…………」
向いた先の撫子は、
「まぁまぁ。ちょっと他人と仕事を一緒にするだけだから」
曇りなき笑顔。純真な表情の奥に垣間見える、桂花を彷彿とさせる
「……はぁ、わかったよ。僕はどうすればいいわけ」
それを聞いた芳佳は
「それでは、ちょっとお使いに行って来てくれたまえ」
「おかえりなさいませ、ご主人様~♪」
ちりん、と涼しげな音の後に僕の耳に聞こえて来たのは、甘い女性の声だった。
内装はシックな雰囲気で、時折ぶくぶくと水の泡立つ音が聞こえてくる。僕が向かったのは、アキバの裏通りに位置する水タバコが吸えるメイド喫茶だった。
……僕は一体、何をしているのだろう。いや、わかってはいるのだけれど。
「一名さまですか〜?」
目の前に立っている、シックなロングスカートに身を包んだメイドさんの、間延びした声が脳に響く。ふわっとした肩にかかるくらいのボブが雰囲気によく似合っていた。名札にはさくら、と書いてあるのでさくらさんなのだろう。
一呼吸してから、目の前にいる怖いくらい笑顔のメイドさんに告げる。
「あー……えーっと、探偵の要件で来たんですが」
「……あぁ。あんたがオーナーの言ってた人ね。奥の控室に行って」
メイドさんは、途端に態度を一変させてぐっと奥の方を指し示した。なんという変わり身の早さ。雰囲気に似合っている髪型とはなんだったのだろうか。僕はもう、一生アイドルやメイド喫茶の類を楽しめないだろう。
言われた通りに、客の好奇の目線をくぐり抜けて、店の奥の控え室に向かう。
「し、失礼しまーす……」
こんこん、と二度ノックしたのち、数秒待った末に返事がなかったので、そうっと控え室の扉を開く。
「…………」
「………………」
目の前にはワイシャツのボタンを留めながら、煙草を咥える女性の姿が。
僕は無言で扉を閉めた。世に言うラッキースケベと言うやつなのだろうか。しかしながら、僕は全く嬉しくなかった。なぜなら脇腹のところに
何者なんだあの女は。というか、いるんならせめて何か言って欲しい。
等々一人でぐちぐち思っていると、先程の女性が(今度は服を着て)控室から出てきた。
赤みを帯びた長い茶髪。先端が少しだけ巻かれている。かなりの長身で、ヒールを履いているのもあるけれど僕と同じくらいの目線だ。ワイシャツにパンツスーツという格好が、より一層そのスタイルの良さを際立たせていた。
頭を気だるそうに掻きながら、彼女は僕に告げる。
「あんたも煙草吸う?」
「あ、いえ。僕は未成年なので」
「ここ、シーシャ喫茶なんだから未成年禁止よ?」
「あぁ、はい、そうですね。すみません……じゃなくて!」
他にもっと聞くことがあるのでは……?
僕の心の叫びが聞こえたのか、女性は
「何よ」
「あ、えっと探偵の件で伺いまして」
「……あー」
思い出したという風な表情。それから頭を軽く掻くと、まぁ入りなよと言って控室の扉を開けた。
「あたし、ミツキ。ここの店長とでもいえばいいかしら」
僕に椅子を勧めながら、ミツキさんと名乗った女性は机を挟んだ向かい側の椅子にゆったりと腰掛けて、優雅に足を組む。それから煙草を一本取り出して目配せしたので、僕は無言で頷いた。
かちっとライターの音がして、ミツキさんのゆっくりした呼吸だけがしんとした空間に沁みていく。
「で、尾行だっけ。今回は」
「そうですね」
ここの店は、桂花、そして彼女がいなくなってからは芳佳がオーナーをしているのだそうだ。もとは安全な場所で直接面会したい時などに使っていたのが、そのうち店長のミツキさんを含め数名が尾行を申し出たことで他の仕事も行っているのだとか。
「桂花ちゃんも大変ね」
一瞬違和感を覚えたけれど、芳佳は基本的に電話でやりとりを済ませてしまうらしいから、オーナーが変わったことを知らなくても別に不自然ではない。僕にも少し幼げというくらいで、桂花と芳佳の声はほとんど変わらないように聞こえる。
今回は『K』を使用しているらしい三人の尾行だ。一週間のおおよその生活を把握する。
「オーケー。私とさくら、あともう三人って話だったよね」
さくら、というのはさっき受付にいた女性だろう。彼女もそれなりにこの店では偉いらしい。芳佳が誰をご氏名なのかはよくわからないので僕は
「これ、今回の尾行対象です」
「ありがと。……ってこれ三人じゃん。一人につき二人交代でやるにしても、五人じゃ回らないわよ?」
「あ、ええと、その件なんですけど。……僕が入ります」
「あぁ、そういう」
まぁ最近店が人手不足だからありがたいけど、と言いながらぺらぺらとミツキさんは順繰りに資料をめくっていく。
「自宅以外の場所では基本的に動向をチェック、大学内での動きも極力調べること……なるほど、なかなか骨が折れそうね」
「ミツキ、どんな感じ?」
「あら、さくら。ちょうど良いところに来た」
シフトの時間が終わったのだろうか、肩を揉みながら先ほどの女性(さくらさんと書いてあった人だ)が入ってきた。
「あたし、今回この子とペアでいろいろ教えるから、今回あんたが全体統括ね」
「え、え〜……」
露骨に嫌そうな顔をするさくらさん。なんかごめんなさい。流石のミツキさんも少し苦笑している。
「まぁまぁ、そう言わずに。手当は出すからさ。……じゃ、キミは明日白山駅に集合。朝7時ね」
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