空蝉

「良かったな、大人気で。浪士組にはたーんと独り身の男がいるから、婿探しに困らなそうだな」


 山崎が含み笑いを浮かべて、爽葉の背中をぱしぱしと叩く。吹き出しそうになる口を片手で押さえているが、声が震えている。こういう奴が一番、性質タチが悪い。


「こんな男臭い集団から誰がつがいを選ぶってんだ。まあ?僕はまだ若いから、まだ選び放題だよねー。僕を可愛がってくれる年上のお姉さんでも捕まえようかなぁ。春隆さんはもう年齢が年齢だし、焦ったほうがいいんじゃないかなぁ」

「知れた口を利くなよ、チビ。仕事が出来過ぎると恋人作りが億劫なんだわ」

「言い訳がましいー。二十七にもなって、そんなこと言ってて恥しくないのぉ?」

「男は年を経るにつれて価値が上がるんだせ。そもそも、見た目年齢も精神年齢も万年小僧のお前に言われたくないね」


 笑わぬ目と弧を描く口が不釣り合いな山崎と爽葉の組んだ両手が、突き合わされた顔の横でぎちぎちと押し合いを繰り広げる。魚の切り身を箸で摘んで口に運んでから、藤堂が首を捻った。


「爽葉、なんで目をずっと瞑ってるの?」

「糸里達につけるなと念を押された。でも碧眼をやたらめったら見せても徳なことは無いからな。今日は人が多すぎる、水口の奴等もいることだし」


 ぱち、と片方の青が覗いた。青海原を連想させる、冴えた群青。辺りを警戒して、その青はそっと奥に仕舞われた。


「それにしても、良く化けたなぁ。正直期待以上だったよ」


 松原はそう言って、ご褒美とばかりに落雁を爽葉の口に入れてやる。もぐもぐと動く、桃を優しく塗ったようなふんわりとした頬は、自然と視線を吸い寄せた。


「お前、本当可愛いな!?」


 原田が松原を真似て、餌付けとばかりに料理を次々に食わせてやると、膳の上の料理が瞬く間に消えてゆく。皆にわらわらと囲まれ、冷やかされ愛でられ、時に本気で見惚れられて、爽葉は完全に見世物状態。糸里と吉栄も彼等側について一緒になって爽葉を弄るので、八方塞がりだ。


「いやあ芹沢さん、よく爽葉を女装させた。これは見ておくべきだったよ。爽葉、俺は今からお前がお嫁に行く事の心配をしてしまうよ」

「うふふ、近藤さん?僕は男だよー?」

「でも本当に綺麗ですよ、爽葉。ほら土方君も、なんか言ってやったらどうです?」


 山南がいつもみたく彼を小突いて感想を催促する。目付きの悪い悪人面が、盃片手に振り向いた。


「潜入に使えるな」


 それだけ言って、彼はまた酒を嘗める。


「絶対そう言うと思った!嫌だからな、今回限りなんだからな!」

「あ?お前副長様に逆らうってか?良い度胸じゃねえか、こんな良い素材があるんだ、使わせてもらうぜ」

「副長様なんて知るか!」

「どうせお前の目が知られるまでの、一回限りの切り札だ。観念することだな」

「その一回も嫌!職権濫用!」

「いやこれは確かに使えるぞ。女装できるのは俺くらいだったけど、身長誤魔化すの大変だったんだ。お前適任だよ」


 前言撤回しよう。土方の肩を山崎が持った時が一番、性質タチが悪い。腹立ち紛れにぐい、と酒を飲んだ。


「儂のお陰で新しい才能が見出せて良かったな?小童。感謝しろ」

「誰が!」


 近藤と並んで上座に偉そうに座す男に、不服の顔を向ける。彼の掌の上で良い様に転がされている気分だ。奴に歯向かう度、背後のお梅がちらついて、結局毎度負け戦。今日もある意味酒が進みそうだと、また空になった盃に酒を入れてくれとせがむのだった。


 随分と時間が経った様にも、あまり過ぎていない様にも思える、宴もたけなわとなった頃。爽葉は完全に出来上がっていた。皆も程度は違えど酒が体に回り、酔いも回っていた。


「厠、厠にいく……」

「お前その格好でできんのかー?失敗すんじゃねーぞー」

「うっさい!この、変態がー」

「チビ、間違って口説かれない様になー」

「本当にありそうですねえ。なにせ、衆道が流行りつつあるらしいですから」

「お前ら揃って馬鹿にしやがってっ。僕はなぁ、益荒男ますらおだぞぉ!其処らの奴より漢気に溢れてんだよお!」


 よろよろと立ち上がり、頼りない平衡感覚をよすがに座敷に後にする。廊下をゆっくりと歩きながら、回らない思考の中で賢明に厠を探す。


「飲み過ぎたあ」


 重い体は勝手にふらつき、思うように動いてくれない。結局廊下の壁に手をついて、よたよたと進んでいた彼の肩が後ろから突然掴まれた。背筋を悪寒が走り、ひっ、とらしくもない変な声が出る。


「爽葉君。君、本当に綺麗だね。私は惚れ直したよ」

「た、武田かよ。びっくりさせやがって」

「普段から顔の下半分だけでも可愛い顔だとは思っていたけど、いやあ。これから私の前では包帯を外しておくれ」

「なんで、だよ」


 しゃっくりをしながら武田の手を振り払う。彼の視線が爽葉の頭から爪先までを舐め回す。爽葉の脳内には危険信号が鳴り響いていた。剣を抜くという簡単な手段で解決できない気味の悪さは昔から苦手だ。

 武田観柳斎。彼の男色の噂は本当だったのかと、仰反るように身を引く。文武共に優れた彼は近藤に重宝されているようだが、少々癖のある厄介な男だと勝手に認識していた。爽葉を見る目がやたらと不快感を煽る視線なのだ。


「どいてくれ、僕は厠に行くんだ」

「一緒に行くよ」

「はあ?来るなよ!」


 追い縋る彼の手を再度叩き落とし、肩を怒らせて去ろうとするも、しつこく彼はまた行手を阻んだ。こんな格好をしていなければ、直ぐにでも張り倒したものを、と爽葉は歯軋りする。この着物、途轍もなく重いのだ。廓の華奢な女が着るものでは無い、と吉栄に愚痴を言ったら、この派手さに敵うものはないと言われてしまった。着物だけではない、頭の飾りも豪奢にすればするほど重くなる。髪の短い爽葉はまだ良い方である。山崎がそういうことを言うから、と内心当てつけて、込み上げるしゃっくりを押し込んで、武田に再度邪魔だと言い放った。


「私、君の事をとても気に入ってるんだ。でもやっぱり私は普段の袴姿の方が好みなんだけどね」

「聞きたくない。どけ」


 酔っ払いの滑舌の悪さの所為で威力の半減した怒りをぶつけ、押し退けて進もうとした爽葉を、武田は壁に縫い付ける。


「いった。なにすんだ!」

「でもこれはこれで良い目の保養だね」


 もう我慢ならないとばかりに、爽葉の脚が裾を割り、動く。


「いい加減、うざったいんだよ」


 武田は酔っていたのか、直ぐにその場に倒れ込んで気絶した。しかし、足を振り上げた片足立ちの体勢は酔っ払いには支えきれず、尻餅をつきそうになる。


「何してるんだよ」

「烝」

「本当に襲われてやがんの」

「お前のせいだ。言霊って知ってるか」

「そんな訳ないだろ」


 爽葉を抱えていた片腕で、彼はそのまま体勢を戻してくれる。酒で火照った身体に回された、山崎の少し低い腕の温度が気持ち良い。


「にしてもチビ、お前容赦ないな。男の急所を蹴り上げるとは」

「気色悪い事してくるこいつが悪い」


 廊下で寝こける武田に唾を吐く。


「酔っ払いの諸行じゃなかったら肋骨の一本くらい折ってたぞ」

「気を付けろよ。ちびの下戸が女の格好してるんだ、危なっかしいったらありゃしない」


 彼の顔を見上げる。心配してついて来てくれたのかと少し気分が良くなった。もう少し飲めそうだ、とひっそり相貌を崩す。


「一人で平気だけどな」

「確かに見事な蹴りだったな。思わず自分のを押さえちまったぜ」


 まるで自分がけられたように、痛そうにする山崎の冗談に、爽葉は吹き出した。


「待っててやるから、厠行ってきな」

「わーい。送迎付きだー」


 意気揚々と千鳥足で厠へ入っていく着物姿の爽葉を見送って、山崎は壁に背中を預ける。あれだけ飲んでも顔色の変わらない彼はまだ余裕な様子で、腕組みをした。普段の慧敏けいびんな性格は酔っても削がれることなく、寧ろ際立つばかり。廊下を行き来する仲居達は綽然しゃくぜんと佇む彼に視線を奪われた。


「気付く奴が居るかと思ったが、案外押し通せるもんなんだな」


 面白がっていることが見て取れる、歪んだ口許から独り言が呟かれる。


「お待たせ」

「ああ」


 松の間へ戻った二人を出迎えたのは、思ってもみない怒号だった。


「主のもてなしが悪い!」


 芹沢が鉄扇を片手に店内の物という物を片端から壊して回っている。食器の割れる音、障子の破れる音、芸妓の悲鳴。


「どしたの、これ」

「さあ」


 散り散りに屯所へと戻る隊士もいれば、暴れる芹沢に気付きもせず呑気に寝ている者、構わず飲み続ける者もいる。混沌だ。床に散乱したものを踏まないよう、山崎に引っ張られながら沖田達の元へ戻る。


「何の騒ぎ?」

「芹沢さんが店の態度に腹を立てて、この有様だ」


 背後で什器が飛び交っているにも関わらず、悠長に酒を飲む土方が答える。空いた酒瓶片手に彼の傍にしゃがんだ原田が、耳打ちする。


「おいおい、あれ大丈夫かよ」

「止めるのもめんどくせえ。好きなだけ暴れさせておけ」


 芹沢だけに留まらず、騒ぎに乗じて新見や平間もここぞとばかりに暴れている。座敷は忽ち木っ端微塵になった陶器で溢れた。身の危険を案じた芸妓達は混乱の中、既に逃げ出したようだ。


「僕が女装してもしなくても結局暴れてるじゃないか」


 美しい襖も見るも無惨な姿に変わり果て、止めようと近寄る店主の横っ面を鉄扇で叩くと、片手のいなしにも関わらず、店主は吹っ飛んでゆく。騒ぎを聞きつけ、店の周りに野次馬が増えてきた。近くの店々の格子戸も開けられ、好奇の視線が角屋に集まる。


「芸妓、舞妓だけ出しときゃいいなんて考えるんじゃねえ!うちのもてなしには仲居の一人も出せねえってか!?」


 新見の投げた陶器が狙いを外れ、爽葉の頭目掛けて飛んでくる。


「おチビ、危ない!」


 パリン!と割れる音が爽葉の耳の近くで砕けた。そして鉄の臭い。


「トシ?」

「土方さん、大丈夫か?」

「ああ、平気だ。舐めときゃ治る」


 永倉が差し出した布を受け取って、握るようにして止血する。皿を投げた当の本人は未だ好き勝手暴れている。あれは記憶があるのか?とその暴れっぷりに土方は溜息さえ出ない。


「トシごめん」

「気にすんな。大したことない」


 土方の前に膝をつき、爽葉は手を伸ばした。血の匂いを辿る。彼の無骨な手に触れた。少し湿った布をしっかりと血が止まるように巻きつけた。


「ありがと」

「ああ」


 ぽんぽん、と土方は目の前のしょぼくれた頭を撫でた。豪華な飾りが邪魔をして、いつもの滑らかな指通りではない。申し訳なさそうな顔はいつもより淑やかな表情で、やたらと扇情的。

 バキイ!と木の金切声が上がる。目をやれば、廊下の手摺りが外れている。


「流石。毎日鍛えてるだけあるな」

「感心してる場合か?」


 背丈の二倍を越す長さにも関わらず、新見が手摺りを振り回す。隊士達が持ち前の運動神経を活かして、迫り来る障害物を、酒が入っていることを忘れさせる機敏な動きでに器用に避けた。一階に降りた彼等は寄って集って*帳場に山のように積んである瀬戸物を粉々に微塵する。芹沢の鉄扇が酒樽の飲み口を叩き落とした。立て続けに、新見の担いでいた手摺りが酒樽に叩きつけられる。清酒が川を作り、直ぐに海となって帳場を水浸しにした。刀が無くとも暴れるだけでこの破壊力を持つ浪士組の話は、瞬く間に広がるだろうなと土方は流し目で酒の匂いが充満した下階を見下ろした。


「桂川より、酒の川!」


 飛び込もうとする着物の襟首を掴んで、藤堂が梯子を飛び降りようとした爽葉を止めた。芹沢が大声で角屋主人の名を呼ぶ。


「角屋徳右衛門!その不埒な行いによって七日間の謹慎、営業停止を申し付ける!」


 そうして芹沢は新見達を引き連れ、意気揚々と角屋を出て行った。膝頭をぽんと打って、土方が盃を捨て、立ち上がる。気付けば、近藤や山南も皆立ち上がっていた。


「俺等も引きあげるぞ」


 火が灯る音と葉が燻せる匂い。その場に只唖然と座っている例の公用人の肩に土方が手を置いた。その肩をびくつかせた彼の耳元に、煙を吐く口許を寄せる。


「ものはよく考えてから言動に移した方が良いですよ。仮にも幕府絡みの用務をなさるんですから。くれぐれも、京の狼に喰われないようにお気をつけください」


 芹沢達に続いて、近藤を先頭に浪士組の隊士達は全員角屋を退出していく。酒で浸水した帳場を通るのに、土方の背後で裾を持ち上げてもたつく爽葉を振り返る。借り物の着物を酒漬けにしてはならないと、酔っ払いながらも必死こいて歩いている。砕けた瀬戸物で足場も尚のこと悪い事で、余計時間がかかっているようだ。


「遅え」


 すぐさま土方は数歩戻って、米俵のように爽葉を軽々と担ぎ上げた。




帳場…台所

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