空蝉

「うわあ!」

「あんまり動くなよ」


 ざぶざふと足元を波立たせて、外に出る。野次馬の老若男女が、浪士組を遠巻きに見ていた。視線に敏感な爽葉は、全身に穴が開くほど見られている事を察知し、顔を顰めた。


「すんごい見られてる気がする」

「気持ち良ぃ視線だぜ」


 髪をかき上げて適当をほざく原田が、清々しい表情で彼等を煽る。

 野次馬が作った花道を闊歩する大柄な男の集団は相当目立った。注目を集める彼等は、壬生狼の名に相応しい大きな爪痕を残し、堂々と島原遊郭を後にした。


「屯所で飲み直すぞ」


 近藤の宣言に、皆一同にして沸く。屯所までの距離は短い。適度な酔い覚ましになるだろう。


「芹沢さん、いつもの如く見事な破壊神ぶりだったけど。あれいいの?」


 爽葉を抱えて立ち去る藍無地の着流しの背中を追って、藤堂が聞く。


「誰が奴の尻拭いなんてするか。まあ、して悪いようには働かねえよ。元より俺等はそこらの与太話じゃあ悪名高き野蛮な壬生狼だ。言わせとけ」

「この噂が広まれば、きっと浪士組の名をかたって押し借りを働く輩も減りますよ」

「俺等も参戦してもっと派手に暴れときゃ良かったか?」

「もう店の物は全部壊し尽くされてましたよ」

「そりゃあ残念だ」

「参謀達の考えがやっぱ一番怖えわ」


 永倉はちゃっかり店の酒瓶を持ってきている。それを飲みながら山南と土方の会話に苦笑した。


「これ、着たまま帰って来ちゃいましたね」

「今度返せばいいだろう」


 沖田は、未だ土方に担がれている米俵爽葉の顔をつついて遊んでいる。着なれない服装と歩き難い*木履おこぼでは時間が掛かると思われたのだろう、一向に降ろして貰える気配はない。土方の歩調に合わせて爽葉の身体が揺れる。島原の独特な空気から離れていく。足を踏み入れた時は少し倦厭した匂いが、去る頃にはすっかり癖のある香程度にしか思わなくなったことを、爽葉は不思議に思った。


「きっと皆、爽葉のことを芸妓だと思ってましたよ。傍から見れば完全に、浪士組の人相の悪い男が芸妓を攫ってる構図ですもんね。若い遣手やりてらしき人達が引き留めようとして、俺達見てすごすご戻っていったもの」

「誰の人相が悪いって?」

「やだなぁ、別に土方さんの人相が悪いなんて一言も言ってないじゃないですか」

「言ってるようなもんじゃねえか」


 土方の切れ長の目が、沖田を上からじろりと見た。彼の凄みを意に介さず、沖田は上機嫌で爽葉を弄っては手を叩かれそうになって引っ込めている。


「すぐ脱いでしまうのは、勿体無いと思っていたんです。芸妓付きで飲み直せるなんて今日は運が良いですね」

「酒は自分で注げよ」

「舞は?唄は?」

「左之助の腹踊りとトシの多摩の唄で十分だろ」


 爽葉は顰めっ面で非難の声をあげる。


涼暮月すずくれづきももう終わりですが、やはりこの時期の夜風は気持ち良いですね」


 山南が仄かに上気した頬を手で煽いだ。土方や原田に飲めや飲めやと囃し立てられて、思い切りよく何度も盃を空けた所為で、先程やっと酔っ払い状態から片足を引き抜いたばかりである。こんな風に皆と過せている今日は可惜夜あたらよだなあと、山南は幸せに満ちた表情かおを浮かべた。

 屯所に戻った彼等は早速広間で酒盛を始める。再開して間もなく、爽葉が寝落ちした。屯所に帰ったらすぐに着替えると言い張っていた着物も、沖田達に強制連行されてそのままだ。土方の怪我をした方の手を握ったまま、すやすやと気持ちよさそうに寝息を立てている。怪我を心配する彼の素振りは、悪戯後に叱られるのを懸念する子供のそれだ。


「幼子通り越して赤子か、こいつは」


 何度か外そうと試みたが、意外にもしっかりと握られた手を、彼の手の中から起こさないように引っ張り出すのは至難の業だった。その丸まった背中に井上が羽織を掛けてやる。


「爽葉が芸妓姿のままのお陰で、女に手を握られているみたいだね」

「中身は只のわんぱく小僧だけどな」


 四苦八苦してやっとのことで手を引き抜いて、土方は爽葉を部屋の端の方に転がした。まだ飲み直しの序盤の序盤である。先程浴びるように飲んでいたとは思えぬ速さで酒瓶が空くも、ゆっくりとした穏やかな時が流れていた。談笑していた彼等に障子越しに声が掛かり、すっと横滑りに戸が開いた。


「俺等も混ざっていいですか?」

たに三兄弟」

「勿論ですよ」


 斎藤と山南が身体をずらし、三人の為に場所を空けた。彼等は嬉しそうに腰を下ろす。谷三兄弟は島田や松田と同時に入隊した隊士達である。


「ありがとうございます」


 次男の万太郎まんたろうが、ぺこりと頭を下げ、行儀良く座った。彼は兄弟の中で唯一のしっかり者。剣の腕前も良く、基礎が固まっている剣術はこれから伸び代が見込める隊士だ。どちらかと言えば、標準程度の剣術よりも、戦術を立てるなどの頭を使う方に才があるようで、入隊して間もないが屢々土方や山南と議論を交わしている。短めの黒髪が似合う、意志の固そうなくっきりとした目が特徴的だ。


「美味しいですっ」


 にこにこと愛想の良い三男の周平しゅうへいは、末っ子らしい性格の持ち主で、助言を良く聞き、吸収が早い。厳しい指導にも最後までついて行く、柔そうな見た目に反して根性のある男だ。最近近藤は彼に目を掛け、可愛がっている。近藤が大好きな沖田は、少々彼を目の敵にしている節がなくもない。


「俺にもくださーい」


 長男の三十郎さんじゅうろう。こいつがまた問題児で、剣の腕は頗る良いのだが、お調子者で性格に難があった。士道不覚悟に大手を掛けていると言っても過言ではない。原田に比肩する大酒飲みで、酒を注がれるや否や、それを一気に飲み下した。ちゃらちゃらとした薄っぺらな男だが、直心一派の奥義を極めた神明流剣術の指南役を受け持っていた腕前で、実戦経験も豊富。副長助勤候補の一人である。


「あれ、爽葉は寝ちゃったんすか?」

「好き放題騒いでたしな。そもそもこいつは酒が入るとすぐに寝る」


 永倉が答えた。三十郎は、徳利片手に隅で眠る爽葉の顔をまじまじと見つめた。ふわふわと触り心地のよさそうな和膚にきはだが、色鮮やかな襟から覗いている。ちょっかいを出そうと手を伸ばした矢先、視界を遮るように沖田が割って入った。実のところこの二人、仲があまり良くない。飄々とした態度や口調、特に人を揶揄う時浮かべる愉悦に浸った挑発的な表情はよく似ているが、根っこの性格は真反対だ。 


「寝かせておいてあげてよ」

「えー、残念。こんな格好で寝てる子いたら、男でも思わず手ぇ出しちゃいそうになるっすよ。ねえ?」

「手、出したらどうなるか、わかってます?」

「冗談だって。総司くん、怖いっすね」


 沖田に払われた手を対の手で揉んで、三十郎は首を竦めた。


「兄貴やめろって」


 癖のある軽そうな茶髪を片手で押し、万太郎が一緒に頭を下げる。


「兄がすみません」


 いつも兄の非礼を詫びるこの台詞は、次男坊の口癖になりつつある。


「二人共、似た者同士なんだから仲良くすればいいのにー」

「やめろ平助、揶揄い好きの二人が協力体制になってみろ。悲惨なことが起こるぞ」

「ちょっと、どういうこと?」


 三十郎と一緒くたにされた沖田は、眉間に皺を寄せた笑顔を貼り付け、斎藤のすまし顔に酒を掛けたくて震えている右手を押さえ込んだ。


「早く飲もうぜ。さっきの酔いが覚めちまう」


 三十郎と沖田の角突き合いなど、見慣れたものである。彼等はそんな二人などお構いなしに宴を続行した。結局喧嘩よりも酒宴を優先させた二人を含め、またしても体力尽きるまで宴は大盛り上がりとなった。その夜は、行灯の灯りがなかなか消えることなく、騒ぐ声が夜通し響いていたという。






 いつの間に寝てしまったようだ。


 爽葉はゆっくり身を起こし、猫がするように背中を仰け反らせて伸びをした。開いた障子から舞い込む風が爽葉の前髪を浮かすように撫でた。肌触りの良い湿潤な空気は、静寂しじまの中ほんのりと部屋に残る酒の匂いを淡く混ぜ込んでいる。皆の寝息が聞こえる。大部屋で雑魚寝状態だったようで、飲み始めとさして人数も変わっていない。


「人前でこんなぐっすり寝られるようになるなんてな」


 自嘲とも感傷とも取れる呟きを洩らして、爽葉は立ち上がった。少し着崩れた着物の首元を直し、大きな欠伸をしながら自室へと向かう。うなじの見える抜き襟など、余計性別が暴露る危険性がある。裾を引き摺るようにして廊下を歩いていた彼は、ぴたりとその足を止めた。人が揺らした空気の余波を感じ取ったのだ。


「こんな時間に誰だ」


 不審な挙動だ。屯所に居るにも関わらず、息と足音を殺し、忍ぶような足の運び。眠い目を擦って、気配に意識を集中した。

 ……近い。

 爽葉は自室に急いで戻ると、結び目を手こずりながら解き、光沢と重厚感のある御所風な緞子どんすの前帯と打掛を脱ぎ捨て、二枚も着込んでいた小袖を慌ただしく剥いだ。つむぎの小袖を羽織って帯を締め、髪から引き抜いた飾りを外して畳に落とすと、すぐさま部屋を出て、一度屋根の上へ移動した。辿った気配は外へ出たようだ。


「おかしいなぁ」


 爽葉は一人、首を傾げる。

 浪士組には門限がある。その門限を破って無断外出など、有り得ない事であった。夜廻りの時間帯とも違うのに、一人で屯所を出る用事とは何であろうか。これはよんどころない事態であると胸中で言い訳。それに、何かしら掴めば咎めは無しかもしれぬと、爽葉はにやつきながら屋根を降り、気配の後を追った。その其のはやきこと風の如く、其のしずかなること林の如し。

 人影が止まった。周囲を確認し、警戒しながらも何かを探している素振り。爽葉は闇に溶け込むようにして物陰からひっそりと様子を伺う。暫くすると、さざれ声が、爽葉の鼓膜をはっきり揺らした。


「……けられていないね?」

「はい。今日は一同総出で酒宴でしたので、全員寝ています」


 爽葉はだらしなくまなじりを下げる。その薄笑みはやや猟奇的りょうきてきに映った。


「よし。良くやった、くすのき。引き続き頼んだよ。これから沢山活躍してもらう事になりそうだ」

「お任せください。誰も俺達の事は気付いていません」

「ありがとう。警戒は怠らないようにね」

「はい、ではまた」


 気配がその場から散った瞬間、爽葉は飛びつく様に密会現場に接近した。残り香を余す事なく嗅ぐ。既に薄らぎつつある二つの匂いを脳内に刻み込むように、慎重に記憶した。


「こりぁ、大変なことになりそうだ」


 楠。知っている、浪士組の平隊士だ。とんでもない秘密を握ってしまったぞ、と爽葉は顔を上げてほくそ笑む。それも切腹ものだ。秘密。なんて甘い響きなのだろうか。しかし彼は、悦に入った表情を途端変えることとなる。


「ん? これ、両方知ってる匂いだ」


 どこで嗅いだのだろうと、地面から顔を離した。屯所に戻る道をのろのろと考えながら歩く。


「うーん。どこで嗅いだんだ?」


 腕組みをして唸りながら、夜道を歩く。碁盤の目状に張り巡らされた街路が交差する場所を通過した時、鼻先を掠めたそれは、密会相手の匂い。爽葉は踵を返して匂いを追いかける。しかし、極めて希薄な香りは夜風に流され、その残映ざんえいは儚い。消えぬうちにと必死に辿る爽葉の足は次第に早足になり、集中していたが故にいつもより注意力が散漫になった彼は、周りが見えていなかった。迂闊であった。






 幕府が攘夷決行の意思を固めた五月、長州は下関の海峡を通過した外国船に砲撃を加えた。後に、外国艦船砲撃事件と呼ばれるこの事件をきっかけに、海防上の問題が発覚。例えば、長州藩の砲台では海峡の反対側を通る船舶には弾が届かないことなど、外国と戦うには海上戦を中心に軍事力向上が必須かつ急務であることは明らかであった。


「結局、松蔭しょういん先生の水陸戦略を実践して難を流れたから良かったものの、ありゃあまだまだ対策が必要そうだ……」


 攘夷実行と同時に起きた京都政界の急変に対応するため、松下村塾しょうかそんじゅくの門人たちは皆、京都、山口、馬関の間を駆け巡らなければならなくなった。朝廷に繋がりを多く持つ久坂は、朝廷への攘夷実行の報告と対岸の小倉藩への協力要請の為京都に出ていたが、勿論彼も例外ではなかった。


「クソ! 九一の野郎、いっつも身勝手に動きやがって!」


 総動員で久坂達が駆け回る最中でさえ、彼が駆け巡る訳がない。彼は吉田松陰先生の思想を敬愛する松下村塾門下生達の中でも、最も過激な思想を助長した人間と言えた。その範疇は、攘夷活動の域を超えている。


「高須も馬関防衛で忙しくしているしなぁ」


 久坂は四月に帰藩した際、外国艦隊からの防備を目的とした部隊編成の為、光明寺党こうみょうじとうという部隊を結成していた。しかし久坂が京都で活動している今、高須が馬関防衛の任を任され、彼は光明寺党を元とした新しい部隊、奇兵隊きへいたいを編成。総監として部隊を率いている。

 夜も深い時間ながら、目が冴えた久坂は攘夷に関する考えを巡らせつつ、ぶらぶらと散歩をしていた。今日は桂の命で壬生浪士組に忍ばせた*間諜かんちょうからの新たな報せも入る筈である。また策を練り直さねば、とこの所次々に迫る難題に唸りながら角を曲がった時、駆けて来た小さな影と危うくぶつかりそうになった。


「うわっ、ごめんなさい」

「わっ。こっちこそすまんな」




 木履…底の高い下駄

 間諜…敵の様子を密かに探り、情報を味方に知らせる者

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