派閥

 彼はお梅の隣に座ると、刀を横に置きながら早速酒を促す。


「入隊早々、人の女に手ぇ出すんじゃねえぞ」

「出してないよ。大体、僕達を追い出したのはそっちの方じゃないか」


 お梅も芹沢に和らぎ水*を出しながら、口を挟む。


「妬きもちは嬉しいんやけどねぇ。芹沢はん、この子、女子なんよ? 手ぇ出すもあらしまへん」


 手をぴたりと止めた芹沢が、「はあ?」と声を荒げた。それから、目の前の少年を隅から隅まで舐め回すように熟視する。

 何か文句でもあるか、とでも言うように腕組みした爽葉は、彼の執拗な視線を真正面から受け止めた。


「てめえも奴と同じ態度か」

「どういう意味だ」


 首を傾げる爽葉を無視して、芹沢は小さく口の端を持ち上げた。明らかに、面白がっている様子である。


「ここで証明してみせろ」


 芹沢は命令口調で言い放つ。


「……なに、を?」


 ぎょっとした顔で爽葉が後退あとずさる。


「決まっているだろう。お前が女だという証拠だ」

「そ、そんなこと言われたって」

「近藤に話でもしてくるかな」

「待て待て待て、ふざけるな」


 立ち上がりかけた芹沢の、羽織のたもとを掴み、爽葉は彼を慌てて引き止めた。


「証明して、どうするんだ」

「真実か否か、儂の中で白黒はっきりつけるだけのことよ。……儂がやれと言ったら大人しく従うが吉だぞ。お前はもう、浪士組の隊士なのだから」

「横暴だ……そこまでする必要もないじゃないか……」

「ん?」


 芹沢の視線が、前川邸の方にちらりと向いた。

 こりゃあやるしかない、と腹を括った爽葉は、半ば投げやりにはかまの合わせを思い切り剥いだ。覗いたのは、華奢な鎖骨の下に何重にか巻かれた白のさらし。きっちりと何重にも巻かれているが、直接見てしまえばもう隠せはしまい。


「ほう。お前、結構……」

「おいこら。何の感想言ってんだ、黙れ」


 何故か満足気に笑んだ、芹沢の膝を隣からお梅が軽く叩く。爽葉はすぐさまあわせを引っ張って小袖こそでを着直した。


「このこと、黙っててくれはりません? 爽葉はんに約束、守らせたってくださいな」


 お梅のおねだりの甲斐があってか、単に面白がってなのかはわからないが、芹沢はやけにすんなりと了承した。逆に裏があるのではと、いぶかってしまいそうなほどである。

 左掌に包まれた鉄扇てっせんが、しゃらりと繊細な音を立てる。黒の親骨の武骨な印象からは想像のできぬ、快美な旋律であった。


「男の仕草が自然なところから察するに、小童こわっぱ。てめえは随分長いこと、こうやって男として振舞ってきたんだろうよ。どうだ?」


 安堵した爽葉を、夕餉の後ということもあり、猛烈な眠気が襲い始めていた。疲労感と倦怠感に苛まれる中、


「まあなぁ」


 と適当な返事を返す。

 欠伸の止まらない爽葉の肩に、お梅が褞袍どてらをかけてくれた。それはとてもぬくく、慌ただしい一日の疲労が溶けていくようだった。


「どういった経緯かは知らんが、暇潰しの余興ぐらいにはなる。黙っていてやるよ」

「そりゃどうも。有難いことで」

「お梅も楽しそうだからな、特別だ」


 芹沢はやけに愉しそうな表情で、酒をあおった。


「このお梅、爽葉はんの手助けはなんでもしたるさかい、たんと頼ってな」

「な、なんでも?」


 「なんでも」とお梅はたっぷりの笑顔を咲かせ、頷いた。彼女の存在は、この浪士組で爽葉が男として生きていくことに、大きく貢献することとなる。

 暫し三人で話をする。七輪で暖められた温かい部屋の温度と褞袍のお陰で、爽葉は次第にうとうとと微睡み始めた。剣を握らぬ彼女の純粋な慈しみは、安心できた。お梅は爽葉に対してひどく優しかった。爽葉も嫌ではなかった。


「なあお梅、今日はここで寝て良いか」


 もう耐えられないとばかりに、爽葉は畳に額をくっつけるようにして、駄々を捏ねた。


「こないな処で寝たら風邪引いてまうさかい、部屋に戻った方がええ」


 甲斐甲斐しくもお梅は、脱力しきった爽葉の腕を引っ張って起こそうと奮闘するも、爽葉は寝こける寸前だ。

 困り果てたお梅の姿を笑った芹沢が、


「そういやぁ」


 と口を開いた。


「土方が、湯浴みの時間までには帰って来るよう言ってたな。すっかり忘れておった」


 ビクッと大きく身体を揺らして反応した爽葉は、眠気は何処へ行ったのかと訊きたくなるほど俊敏な動きで立ち上がると、破竹の勢いで部屋を飛び出して行った。


「芹沢の阿呆! 早く言え!」


 と、文句を叫ぶことも忘れずに。

 爽葉の去った後を、暫し呆然と眺めていたお梅は、くす、と微笑んだ。芹沢を振り返えると、彼は片膝を立てて素知らぬ顔をして、酒を嘗めている。


「いけず*はあきまへんよ?」

「いいじゃねえか」


 お梅に酒を要求しつつ、芹沢は機嫌良く目をすがめるのであった。






「遅え! 入る前に一声掛けろ! 障子は丁寧に開けろ!」


 駆けつけた爽葉を、土方は怒声でって出迎えた。


「むぅ。……あれ、皆も何してんだ」


 土方以外にも、幹部達の存在を嗅ぎ取った爽葉は、不貞腐れた表情から一変、ご機嫌で部屋に足を踏み入れた。「座れ」と土方に命ぜられて、丁度手前にいた沖田と斎藤の間に座って胡座をかく。


「で、話ってなんです?」


 沖田が訊ねると、近藤が頰を緩めた。


「歳が街の呉服屋と話をつけてくれてな。隊服と隊旗を揃えたんだ」

「隊服!」

「隊旗?」


 早速食い付いた皆の質問に、近藤も答えている内にだらしなく顔がどんどん緩んでいく。騒ぐ藤堂や、興味津々の爽葉は、「どんな色なのか」、「どんな柄なのか」と近藤を問い詰める勢いで尋ね、原田や沖田は嬉しそうに「遂に隊服が来たね」と笑っている。皆完全に有頂天だ。


「金はどう工面したんだ?」


 はしゃぐ彼等を尻目に、原田がこっそりと土方に訊いた。土方も少しだけ原田の方に半身を傾け、口を開く。


「両替商、平野屋ひらのや五兵衛ごへえに百両提供させた」

「なるほど」


 笑う原田の奥で、斎藤が、「ああ」と納得したように声を洩らした。


「なんだ、斎藤」


 訝しげに眉を寄せる土方に、斎藤は至っていつも通り、静かに口を開いた。


「てっきり土方さんのことなので、女と逢引していたのかと思っていたのですが、取引でしたか」

「逢引?」


 最近耳にしたばかりの言葉に、暫し考えを巡らせてやっと、爽葉も合点がいった。藤堂と斎藤と乱闘騒ぎに巻き込まれた先日の一件の直前、土方が女と密会しているところを目撃したことを言っているのだろう。爽葉の場合は、目撃とは言えないが。

 爽葉は、思わずにやけそうになるのを、口に手を当て必死に抑えた。


「女に関して信用されてないな」


 爽葉が小馬鹿にすると、即座に拳骨が飛んで来る。


「実は先程隊服が届けられてな。全員分あるぞ」


 近藤の言葉に、「おお!」と一同色めき立つ。爽葉は、ぱたぱた脚を動かした。


「おいこら。これぐらいで騒ぐんじゃねえ」


 仏頂面で叱る土方の肩に腕を回し、近藤がにっかりと笑った。拳も入る大きな口から、綺麗な白い歯が覗く。


「んだよ」


 と土方は、彼の腕から逃げるように体をずらした。


「歳、もっとニヤけていいんだぞ。本当は凄い嬉しいんだろう」

「あれぇ、土方さん。恥ずかしがってるんですか? 悲しい性格ですねぇ、素直に喜べもしないなんて」


 ここぞとばかりに、沖田が煽れば、隣の爽葉も便乗する。


「うっわぁ、格好つけてるのー? うっわぁー」

「るせえ。俺は注文したからな、もう感動は薄らいでるんだよ」


 嘲笑付きで馬鹿にする沖田達に血管を浮かせながら、土方はそっぽを向いた。


「なあ、トシ。隊服と隊旗、どんななんだ? 早くくれよ、着たいぞ!」


 土方の着流しの裾をぐいぐい引っ張って、爽葉が駄々を捏ねるように注文を付けた。


「早くぅ」

「分かった、分かった。今配ってやるよ」


 面倒臭そうに腰を上げた土方は、大きな風呂敷包みを持ってすぐに部屋に戻って来た。襖付近にいた永倉は立ち上がり、その包みを運ぶのを手伝う。彼等の作る円の中心に置かれた風呂敷。平助がその結び目を急くように解いた。さらりと布が優しく広がって。


「わあ……凄いですね。浅葱あさぎ色ですか」


 山南が感嘆の息を吐く。

 中から綺麗に畳まれた羽織が顔を出した。麻を藍染めしてできたその浅葱色の羽織は、袖口がダンダラ模様で白く染め抜かれており、背中には大きく文字が記されていた。


 まこと──。


 武士の為の一字であり、武士を表す一字である。そして、武士道で大切にされている言葉のひとつ。


「この白いダンダラ模様は、忠臣蔵ちゅうしんぐら赤穂あこう浪士が吉良邸討ち入りの際に着用していた羽織の柄と同じにしたんだ。どうだ、派手で良いだろう?」


 誇らしそうに言う近藤の解説を他所に、藤堂や原田は我先にと隊服を羽織ってみては、歓声をあげた。そんな彼等に対し、未だ、ぼけっとした顔の爽葉を見て、山南は微笑んだ。


「爽葉君、浅葱色って分かりますか」


 爽葉が首を振れば、やはり、と山南は顎に手を当てた。そして、浅葱色を説明するのにうってつけの言葉を模索する。


「青よりも緑色に似て、藍より薄い……薄いねぎの葉の色なのですが。分かりますか?」

「葱の葉……なんとなく?」


 爽葉は、暫し固まったように考えを巡らせていたが、終いには納得のいかない風ではあるが、首をゆっくり縦に振った。結局他に良い例えが思い付かなかった山南は、咄嗟に隣にいた井上に話を持ち掛けてみる。


「源さん、他に何か、良い表現はありますかね」


 源さんとは愛称で、本名は井上いのうえ源三郎げんざぶろうという名である。温和な性格の持ち主で、源さんと皆から慕われる年長者だ。近藤の兄弟子でもある。


「ええ! 私ですか。何でしょうね……」


 突然話を振られた源さんは真剣に考えるも、特にこれといった例えが思い浮かばず、困ったように唸るだけであった。


「夏の空」


 と低い声が突如、そう紡いだ。


「雲のない晴れた日の水溜りに映る、巳の刻ぐらいの夏の空の色、だ」


 そう言い切った土方は、どうだとばかりに顎先を持ちあげて不敵な笑みを浮かべた。爽葉が得心のいった様子で頷く。その傍でにやつく沖田が、からかうように土方を見た。


「流石は豊玉さん。感性豊かでいらっしゃるようで」

「てめぇ……。今すぐ此処で叩き斬ってやっても良いんだぜ?」


 土方がカチャリと刀の鞘を揺らし、沖田を脅すも、隣で騒ぐ近藤達の笑いがそれをあっという間に打ち消した。彼等は隊服の包まれていたものとは違う、もう一方の風呂敷を開いて、赤い隊旗を取り出していた。部屋の中に広げられたその隊旗の堂々たるや。実に目の醒める姿であった。その素晴らしさは、皆の胸のうちに宿る炎を、烈火の如く燃え上がらせた。沸々と湧く興奮、滾る闘志。それは一時いっときの沈黙を呼んだ。

 隊服同様、端をダンダラ模様の染め抜き、赤字に金字で、誠の文字の刺繍。部屋の中に立てられたそれは、低い天井など感じさせぬほど凛々しかった。それを眺めているうちに、彼等の緩んでいた口許は徐々に引き締まり、背筋は伸びて、気高さすら感じる精悍な顔つきに様変わりする。


「……隊旗は闇夜を背景に爆ぜる火の粉の赤と、夕陽を浴びた秋の銀杏の葉みてぇな金」


 土方が付け加えた。


「触ってもいい?」


 爽葉が訊く。

 

「いいぞ。爽葉、存分に触って感じるんだぞ」


 近藤がすぐさま了承した。

 爽葉も皆と同じ気持ちになりたくて、隊服や隊旗に触れた。仕立てたばかりの柔らかな肌触り。そして、ぶっきらぼうな言い草だが、爽葉にとっては分かり易い土方の言葉から、色を連想した。


 江戸から京まで遥々上京してきた近藤や土方達とはまだ出会って間もないが、爽葉の志はもう彼等と共にあった。だからどうしても同じ思いを抱きたかったのだ。何故ならば、それは、彼等と一緒に生きてみたいと思ってしまったから。自分勝手で、途方もなく直感に近い衝動的な考えだが、そんなことは爽葉にとって些細な事だった。


「ついに始まるんだな、俺等の活躍が。この国背負って、一旗あげてやろうじゃないか!」


 おう! と皆が呼応して立ち上がり、勇ましい喊声かんせいは次第に、叫んだり踊ったりのどんちゃん騒ぎになった。がやがやと騒がしい部屋の中で、土方と近藤は肩を小突きあい、笑いあった。口角を持ち上げた強気な笑みと、大きく口を開いた快活な笑み。それは全く異なっているように見えて、全く同じだ。


「歳」

「かっちゃん」


 二人の腕が交差し、笑みは深まる。


「こっからだ」

「ああ。気ぃ抜くんじゃねえぞ」


 彼等の、戦いの歴史の始まりであった。






「桜だあっ!」


 大木となり、枝一杯に薄桃色の花を咲かせているのは桜だ。今日は全員揃っての花見の日である。

 ぼふっ、とくぐもった音をたて、散った桜の花びらで出来た薄桃色の敷物の上に、爽葉は飛び込んだ。泳ぐように転げ回り、大量の花片を撒き散らし、仄かな桜の芳香を胸いっぱいに吸い込む。


「うおー、いい香りだぁ。もっこもこだぁ」


 爽葉は両腕一杯に花びらを掻き集めては、空に散らして遊ぶ。それを見た土方は、呆れた口調で


「阿呆」


 と言った。間違いなく悪口だが、機嫌の良い爽葉は、聞かなかったことにする。

 花見とは桜の花を愛でながら食事や会話を楽しむものだと、山南が教えてくれた。しかし、生憎桜の見れない爽葉の目的は飯と酒だけだ。そう思ってやって来たのだが、これがまた思いの外、散って積もった桜が面白い。


「総司もいるか? ほらよーっ」


 バサァッと酒を飲み始めていた沖田の上に、爽葉は思いきり桜をぶっかけた。


「ちょっ、何するんですか。最悪。ああ、酒ん中に土入った……」


 沖田に反撃を食らう前に逃げようと背を向けるが、大量の土と花びらをきっちり頭からかけられた。背中に入った土が冷たい。


「爽葉ー! こっちにもっとあるぞ!」


 藤堂の声が呼ぶ方に、爽葉は嬉々として駆け寄る。藤堂の方には、また大量の桜の花びら。爽葉は桜でできた小さな山に、勢い任せに体当たりをした。


「本当だっ。おおーっ、ふかふかだ!」


 子供のように興奮してはしゃぎまくる爽葉を見て、土方は再度、「阿呆」と呟いて酒をあおった。




 和らぎ水… 日本酒を飲みながら飲む水のこと

 いけず…意地悪

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