派閥
「いいじゃないか、歳。期待以上に喜んでるぞ。可愛いなあ」
近藤がにこにこと笑う。
「かっちゃん、もう酔ったか? あいつを甘やかすと痛い目みるぞ」
「おチビのとばっちりを食らうのは大体土方さんですから」
沖田が横から口を挟む。
「総司。お前が一緒になって悪ふざけをするからだろうが」
土方は日本酒の入ったお猪口をぐいっと傾け、一口にそれを飲んだ。焼くような熱さが喉を下り、美味い酒の肴に舌鼓を打つ。その熱さを拭い去るように流れる風が、肌に心地良かった。
「てめえも飲めよ」
「ありがとうございます」
隣で静かに茶を飲んでいた斎藤のお猪口に、土方は酒を並々と注いだ。
「俺等にもくれ」
差し出された山崎と永倉にも、同様に注いでやる。
とくりとくり。水が打つ音も心なしか
「あいつ、本当に元服しているのか」
本気の疑念を含みながら、永倉が訊ね、酒を大胆に飲み干す。彼の視線の先には、木の幹をこれでもかと蹴って、桜の花をもっと落とそうとしている爽葉の姿。何でも花見が初体験らしいのだが、明らかに楽しみ方を間違えている。
「そういや、多分っつってたぜ。チビちゃん、自分事でも興味がないと雑なんだよな」
そう言ってけらけらと笑う原田は、最早酒瓶から直接酒を飲んでいる。出っ張った喉仏が上下し、酒瓶の中身は大きく減った。肩が剝き出しの派手な出で立ちで豪快に流し込んでいく姿は、見ていて清々しい。
「大体、おチビが何で長州相手に人斬りしてたのかすら、結局知らないじゃないですか。そろそろ問い詰めてもいい頃合いだと思うんですけどねぇ。今だったら、くすぐり程度ですぐ吐きそう」
猪口を手に、頬杖をつく沖田が片笑む。
「色々探っても、大した経歴は何も出てこおへんかった」
山崎がぼやいた。
山崎はとても頭の良い、優秀な監察方である。棒術の腕は一級品、医術の心得もお手の物。調査、情報の拡散収集は勿論、裏社会からの情報収集も得意で、隊士としても監察方としても、最強の男である。その彼が、お手上げと言っているのだ、もうこれ以上何をしようというのか。
「彼のこと、私達は何も知らないのですね」
山南の言葉が静寂を呼ぶ。風が桜の花を撫でる音に紛れて、向こうで
そんな中、土方は酒を
「あいつは、自分の気持ちには馬鹿正直な野郎だ。そんな奴は本心に従うがままに剣を振れる場所を選んで、味方になりたい奴の味方をするもんだ。だから、大丈夫だろうよ。……馬鹿だしな」
「ほんま、欲に忠実な子やもんなぁ。芹沢の懐刀にされちゃあ、鎖の外れた狂犬の出来上がりや」
山崎は切れ長の目を伏せて、桃色を反射した水面を傾けた。
「躾のなってねえとんだ狂犬だな。あいつにはお座りから教えなきゃなんねえ」
土方が皮肉る。
「おチビの手綱握るのが土方さんで良かったですね。鬼が相手じゃあ、誰にきび団子差し出されたとしても、尻尾振ってこっちに来ますよ」
沖田が意地悪に笑う。
「誰が鬼だ。兎に角、要らん心配をする前に、あいつには一から常識を叩き込むことの方が先決だ」
土方の言い草は随分と適当だった。さっぱりとそう言い放つと、原田に負けず劣らずの速さでどんどん酒を空けていく。
信用しているのか、馬鹿にしているのか、そのどちらでもないのか。彼の隣で飲んでいた近藤は彼の不器用な信用を感じ取り、肯定的な相槌を打った。
「ま、今は花見だ! 思いっきりハメ外そうぜ!」
原田の一声で春爛漫のなか、騒がしい喧騒が一気に増す。そこに藤堂が、遅れて爽葉も飛び込んで来て、盛り上がりに更に拍車が掛かる。
浴びるように酒を飲んで、飯を食い、また飲んで。いつものように原田が腹を出して古傷を晒しながら踊り出せば、永倉と藤堂も立ち上がって参加する。笑い声が大きく波打つ。近藤が握り拳を、大きく開けた口の中に突っ込む。それから、斉藤と沖田の一騎討ちの腕相撲。負けた斉藤が何杯も酒を飲まされている横で、沖田と山崎が良い勝負をしている。藤堂が一本の酒を豪快に飲み干した。それを真似ようと、爽葉が永倉の袖を引っ張り、酒をねだる。
「爽葉、お前本当に十九なんだろうな」
「実は十とそこらでした、なんて洒落にならんことはやめてくれよ。舐めただけで卒倒されちゃ困るからな」
「お前らが発育良いだけで、僕はちゃんと大人なんだぞ」
不貞腐れてみせた爽葉の肩に手を置き、余裕の風情で藤堂がにやにや笑う。
「爽葉が来てくれてよかったぜ。お陰で俺は低身長で
「二人揃って揶揄ってるんですよ。お役御免と思わないで下さい」
胸を張る藤堂の肩を、嘲笑を抑えられない沖田がぽんぽんと叩く。
「はあ? 俺は爽葉よりこーんな高えんだぞ!」
「これから成長するんだよな? 爽葉?」
「近藤さん、流石にそりゃ無理だと思うぜ?」
近藤が爽葉の持つお猪口に少しだけ酒を注いだ。くん、と吟味するように爽葉は香りを嗅ぐ。
「うえー、あれだ、日本酒だ」
「チビ、くいっていけ、くいって」
皆が見守る中、勢い良く酒を飲み干してみせた爽葉は、目を
「いける!」
と頬を紅潮させながら高らかに宣言した。
「俺も追加ーっ」
藤堂が自分の猪口を空に突き上げた。
「総司、僕にももう一回注いで!」
「俺にも頼む」
「よし、同い年で勝負だ!」
「それ俺も巻き込まれてんじゃん!」
酒一つでこんなにも大騒ぎの宴は、夕刻になっても尚、勢いを全く失わなかった。
「歳! あれ歌ってくれ」
「え」
顔を赤くした近藤が、そう言い残して立ち上がり、踊る原田達の輪の中に入って行ってしまう。土方の返事など、聞いてやいやしない。
「んー……。えー、なんだ? 酒か? 踊りか?」
「お前……酒弱いのな。これ以上は潰れるぞ」
隅で猫のように微睡んでいた爽葉が、むくりと起き上がり、大欠伸をしながら土方の方ににじり寄って来る。緩みきった、締まりのない
「歳!」
向こうから、近藤達に唄を早くと急かされた。
「歌うのか?」
「チビ助、お前ぜってぇ俺の音痴を期待してるだろ」
「それ以外、何を期待すればいいんだ」
日を追うごとに、爽葉は
肩を竦めてみせる爽葉の頬を抓ってから、土方は残っていた酒を飲み干して、咳払いを一つした。薄い唇が開き、少しだけ空気を吸い込む。息と一緒に紡ぎ出されたのは、土方の出身地、
不覚にも、爽葉は聴き惚れてしまっていた。低音なのに聴きやすく、朗々としてよく響くのに、艶っぽくて美しい。宴会の馬鹿騒ぎの余興に添える唄にしては、勿体無いぐらいである。
いつの間に歌い終えていた土方は、どうだ、と口角の上がったにやけ面で、爽葉に耳打ちした。突然耳元で低音が響き、息が耳にかかる。驚いた爽葉は、咄嗟に耳を押さえ身を引いた。
「なんだ、どうした」
その反応に土方も拍子抜けしたようで、やや音量を下げて、少し真剣な眼差しで訊ねる。爽葉は大丈夫だというように、首を横に振った。
気配に聡くあるべきで、唄一つで惚けて時を忘れ、隙を作ってしまうなど、爽葉にとってあってはならぬこと。
「……ま、まあ。下手ではなかったな。うん」
「素直に上手かったって言えよ」
「やだ」
絶対に、言わない。
唄上手いんだな、だなんて。一生言ってなんかやらない。
いい声だね、だなんて。……口が裂けても言うもんか。
爽葉は口を固く結び、酒に火照る頬を必死に手で煽ぐのであった。
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