第25話


(そういえば、…そんな小説、前に読んだ。)


 思い返せば、長江の発表していた小説の中に、セクハラを疑われて社会的地位を失い、最後には自殺する男の物語があった。


(あれは、…長江さんにとってはノンフィクションだったのかもしれない。)


 商品の品だしをしながらも、更紗の眉根は悲壮に歪み、歯を食いしばってないと悔し涙が零れそうだった。



 あの日以来、更紗は長江に避けられているとはっきり自覚している。

 だが幸い、業務自体には支障はないため、意識して気にしないようにした。


     ※ ※ ※


 数日後。

 金城の発案で、歓迎会が行われることになった。参加したのは、更紗の他に新しく入った学生バイトも含め、遅番早番シフトの従業員、総勢13名。

 

「座る位置、気を遣っておいたよ!」


 会が始まる前、更紗は幹事の金城に得意気に耳打ちされた。


(…なるほど。)


 会場となる居酒屋に着いた更紗は、通された宴会場で、金城直々にわざわざ用意された一番奥の角の席に座る。

 その遥か遠く、対角線上の角に、長江は座っていた。


「……よし。気持ちを切り替えよう。」


 とりあえず、今日という日を、更紗は「会ったこともない古参の従業員の顔を覚えるための日」にしようと決めた。ゆえに会の半ば、徐に席を立っては、従業員一人一人に挨拶に回った。


(やっぱり、…あの時の店員さん、いないんだ。)


 しかし、更紗が登録販売者を目指すきっかけとなった『サンカヨウ蒲田店』の研修中だったあの女性従業員の姿は、この会場には見当たらない。


 挨拶の道すがら、古参の一人、最年長の伊達にそっと尋ねると、


「ああ、和田さん?…彼女、新井店長が異動された際に辞められたのよ。」

 

 と何故か意味ありげに微笑まれた。


 内包されている事実には触れるべきではないと悟り、更紗はただ微笑み返すに留める。


(そうか。…それはちょっと残念だったな。)


 そして更紗は席に戻ると、結露まみれになったぬるいウーロン茶に口をつけた。



 会は滞りなく終わりを迎え、居酒屋を出た頃には23時を回っていた。

 そこから二次会へ行く者と帰宅する者とに別れようとしている。

 更紗はそっと長江の動向を伺った。


 長江は古参の従業員たちの輪の端で愛想のような笑みを浮かべたまま、彼らと挨拶を交わし、帰宅の途へとついていく。


 その姿を見て、更紗は咄嗟に駆け出していた。



「長江店長!」


 他の従業員たちとの距離ができた頃、人通りの疎らな商店街で、更紗は長江の背中に少し大きめの声をかけた。


 すると長江は立ち止まり、振り返る。


「………っ」


 その時、更紗は小さな違和感を感じとり、思わず息を飲んだ。


 長江の顔に、まったく表情がなかったのだ。


「………あの、」


 ましてやいつもの白衣ではなくダークグレーのスーツ姿の長江は、一層いつもと違う雰囲気を孕んで夜に染まっている。


 更紗は気後れして、言葉が上手く紡げなかった。


 それでも、この好機を逃すことはできない。

 更紗は改めて強く拳を握り締めた。


「…あの!」

「………」

「あの、店長は、…あの、」

「………」

「…店長は、【LABIY】に小説を投稿していた『長江洸』さん、なんですよね?」

「………っ」


 一瞬、驚いたような顔をした長江は、しかしそのまま俯いてしまった。


「………」


 こんなこと、本当は聞くべきではない。

 それは、更紗が歓迎会の間中、長江を盗み見ながら考えていたことだ。しかし考えれば考えるほど、逆に意識してしまい、心が焦った更紗は聞かずにはおれなくなってしまった。


「………」


 沈黙の中で、更紗はただじっと長江を見据えた。

 しかし長江は決して更紗を見ようとはしなかった。


(でも、ここをクリアにしてからでないと、…私は前に進めない。)


 それは、おそらく更紗のエゴ。

 社会人として、上司に対して貫き通す決意ではない。


(それでも、)


「店長は、…やっぱり今でもマンボウになりたいんですか?」


 更紗の声は確かに震えていた。

 しかし長江は顔を背けたまま、一度も更紗を見ることはなく、


「違います。」


 その一言のみ残して、踵を返した。


「私は!」


 更紗は追いすがるように、その背に咄嗟に言葉を投げ掛けた。


「私は、長江さんの小説がとても好きでした!長江さんのくれたチャットがとても好きでした!…私が今ここに立っていられるのは、長江さんに出会えたからなんです!店長!」


 通行人が必死に叫ぶ更紗を振り返っては失笑を漏らす。

 それでも更紗は気にも止めずにさらに口を開きかけた。

 だが、


「…島田さん、場所を変えましょう。」


 項垂れたままの長江は、振り返ることなくそう告げて、ゆっくりと歩きだした。

 

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