第22話


 若干不審な電話だった。


 受話器を置きながら長江は訝しそうに頭をかく。


(…面接だけして断るか。)


 長江は1ヶ月程前、『サンカヨウ蒲田店』への異動が決まったばかり。


 以前勤めていた『サンカヨウ北広島店』で女性アルバイトとトラブルになり、長江は入社して初めて自ら異動希望を出した。そしてようやく実った転勤だった。


(どこへ行っても、…所詮問題となるのは人間関係か。)

 

 長江は深く濁った落胆の息を吐く。


 そして徐に白衣の胸ポケットからスマホを取り出すと、ブックマークしていた短い童話を開いては、目を細め、それを眺めた。


     ※ ※ ※

 

 その女性の面接は、思いの外好印象だった。


「失礼します。」


 事務所に通された女性は、入室前、立ち止まって軽く頭を下げた。とても簡単な行為ではあるが、面接時にそれを行うアルバイトはあまり見かけない。


「………」


 あの電話の印象があまり芳しくなかっただけに、長江は少々面食らった。


 着席を促した際も軽く頭を下げる。

 礼儀を重んじる女性だと思った。


「では履歴書を拝見しますね。」

「はい。よろしくお願いします。」


 そして、履歴書を受け取り、


「……っ」


 長江は息を飲んだ。


 面接希望の電話時に、彼女はフルネームを名乗らなかった。そのため、長江はこの時初めて島田と名乗った女性のファーストネームを知る。


 彼女は「島田更紗」といった。


(…更紗、)


 『さらさ』という名前の響きは、長江を動揺させるのに十分だった。だが、公私の分別を弁えている自負のある長江は、


「島田更紗さん、ですね。よろしくお願いします。では、」


 努めて冷静に対応した。


 面接を終え、事務所を出る際も、島田更紗は軽く頭を下げて「失礼します。」と退出した。


「はい。お疲れ様でした。結果は一週間程でこちらからご連絡致します。」



 …長江がこちらに赴任してまだ1ヶ月程しか経っていないが、前任の店長の人望が厚かったのか、既に一人辞め、さらに二人ほど退職希望を出している。


 人員補強は避けられない。

 

 長江は島田更紗の採用を決めた。


     ※ ※ ※


 この種のサービス業の経験のない島田は、良くも悪くも要領が悪かった。

 客に捕まれば時間をかけて過多な対応をしたし、レジ経験がないため覚えるのにも時間がかかった。


「いらっしゃいませ!…あ、ありがとうございます。頭痛時のお薬ですか?あ、そうですね、こちらは専門家による説明が必要となる商品でして、…あ、すみません、私はまだ研修期間中なもので。すぐに対応できる者を呼んで参りますね。少々お待ちください!」

「………」


 それでも、懸命に仕事に取り組む姿には好感が持てる。仕事に対する必死さが、他の従業員と比べても頭一つ抜けていた。


「島田さん、僕が応対しますよ。どちらのお客様ですか?」


 だからこそ応援したくなる。

 長江は純粋に上司として彼女に目をかけ、さりげなくフォローに回った。



 そんなある日。


 急な客の問い合わせがあり、事務所のパソコンへと向かった長江の耳に、ロッカールームにいる従業員たちの話し声が飛び込んできた。


「本当マジ長江ムカつく。いちいち指図してくるしさ、細かいんだよ。前の新井店長の方が絶対良かったよ。良い意味でウチら放置してくれたじゃん?」

「そうそう。もっと従業員を自由にさせろっての。私ら信用してないんじゃないの?」


 古参の従業員たちの長江への不平不満。

 新しく赴任した先ではよくあることだった。


「で、でも、長江店長はとても丁寧に教えてくださるので、私はとても助かってますよ!」


 そんな古参の従業員たちに異を唱える声。


「………!」

 

 ロッカールームとの境にあるドアに視線を投げ、長江は驚きのあまり口を抑えた。


 あの声は、島田更紗だった。


 ドアの向こう、古参の従業員たちを前に、入ったばかりの新人が意見するなど、今後のことを考えれば得策ではない。それでも、島田は迷いなく言葉を続けた。


「私は入ったばかりで凄く要領も悪いのに、嫌な顔一つしないで手を貸してくださいます。教えてくださいます。…仕事に対して細やかであることは、わたしはいけないことだとは思いません!」

「えー、島田さんは前の新井店長知らないから言えるんだよ。新井店長はさぁ、」


 従業員たちが前任の店長を持ち上げるのをどんな気持ちで聞いているのか。想像するだけで胸が痛む。


「………っ」


 長江は急いでパソコンで客の問い合わせがあった商品の入荷日を確認すると、逃げるように事務所を後にした。

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