第21話


 更紗の書いた童話に、たった一件の「いいね」が付いた。

 「いいね」を付けてくれた人を確認すると、「NoName」とある。サイト外からのアクセスだった。


 それっきり、何の音沙汰もない。

 更紗の賭けは、惨敗に終わった。


     ※ ※ ※


 あれから2ヶ月。

 更紗は勤めていた工場を辞めた。


 登録販売者として一人立ちするためには、実務経験が2年必要となるためだ。

 医薬品販売に一度も従事したことのない更紗は、1日でも早く一人前になるために早急に転職する必要があった。


 もうすぐ更紗は36歳になる。


(リスタートはいつでもできるけど、早いに越したことはない。)


 焦りと共にハローワークへと通う日々は続く。

 貯金も目減りし始めていた。


(とりあえず、四の五の言ってられないわ。アルバイトでもいい。何としても実務経験を積まないと。)


 心の何処かで、資格さえ持っていれば、この先も保証されているような気がしていた。だが、このご時世、当然ながらそんなに甘くもない。


 更紗は毎日、求人サイトを貪るように閲覧した。


 そんなある日の昼下がり。


「えー!すごい!やったぁ!」


 部屋で一人、節約のために作り置きしていた三日目カレーを食べながら、更紗は歓喜の声を上げた。


 求人サイトに、ドラッグストア『サンカヨウ蒲田店』の求人があったのだ。


 もちろんアルバイトである。生活のことを考えると、独り身の更紗には収入面も勤務時間も若干物足りない。


 それでも、更紗は迷うことなくすぐさま電話をかけた。


 すると、


『お電話ありがとうございます。サンカヨウ蒲田店、ナガエでございます。』

「…っ!………っ、」


 更紗は、驚きのあまり言葉を失った。


『もしもし?』

「…あ、あの、…えっと、…ナガエ、さん?」

『はい。ナガエでございます。…どういったご用件でしょうか?』


 ナガエ、と言う名に脈拍が乱れて呼吸が荒れる。

 更紗は軽いパニックになった。頭が真っ白になり、二の句がうまく紡げない。


『…もしもし?』

 

 電話の向こうから聞こえる、先程よりも低い声。ナガエに不審に思われているのは明白だった。


「あ、あの、…あの、」


 だからこそよけいに焦る。

 よけいにうまくしゃべれない。


「あの、…あの、…あ、アルバイトの募集をネットで見まして、…それで、その、」

『ああ、アルバイト希望の方ですね?ありがとうございます。…ではこちらから、2、3お尋ねしたいことがございますが、よろしいですか?』

「あ、は、はい。…よろしくお願いします。」


 必死に動揺を抑え込みながら、更紗はナガエの話す募集要項をメモ用紙に記す。そして同時に、そっと、心を落ち着かせるため深呼吸を繰り返した。


『説明は以上になります。他に勤務時間や曜日など、ご希望があればお伺いしますが、』

「あ!はい!いつでも大丈夫です!」

 

 しかしちっとも心は安定せずに、焦る気持ちそのままに、少し大きめの声が口をついて出た。


(しまったっ)


 スマホを持つ手が震える。顔がどんどん熱くなり、赤くなっていっているのがわかる。


(でも、…でも!)


 それでも、どうしても更紗は『サンカヨウ蒲田店』で働きたかった。込み上げる焦燥感に突き動かされるように更紗は言葉を紡いだ。


「いつでも大丈夫ですので、ぜひ!ぜひよろしくお願いします!」

『…ふふ、』


 たかがアルバイトに前のめり過ぎる更紗の態度に、電話の向こうのナガエがうっすら笑う。


(………うわぁっ)


 その笑い声が、思いの外耳障りが良く、更紗の手の震えは一層強まっていった。


「…あの、私、…どうしても、そちらで働きたいんです。以前、そちらの店員さんに良くしてもらったこともあり、…だから、」

『…そうでしたか、ありがとうございます。こちらこそぜひ、面接させていただければと思います。』

「ホントですか!ありがとうございます!…ありがとうございますっ!」


 目が潤んでくる。


 事実、更紗は『サンカヨウ蒲田店』の女性店員に憧れて登録販売者の資格を取得した。だから『サンカヨウ蒲田店』の求人に飛び付いた経緯がある。

 

(嬉しいっ、どうしよう、凄く、凄く嬉しいっ)


 だが今は、少し違う意味で『サンカヨウ蒲田店』で働きたいと心から願っていた。


(不謹慎だって思うけど、でも、それでもやっぱり、嬉しいっ)


 電話の向こうのナガエが『長江洸』ではないことは重々承知している。

 それでも、更紗の心は未だに『長江』を強く求めていたことが、更紗にはとても嬉しく思えていた。


『最後に、もう一度お名前をお伺いしてもよろしいですか?』

「あ、はい!島田といいます!よろしくお願いします!」

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