第18話
『Jackal』のギタリストの理央らしき人物が、
『【道草】の歌詞は虚偽です。斗真の実体験ではありません。』
そう、Twitter上で呟いた。
5時間後には削除されたそのツイートだったが、しかし瞬く間に拡散され、『#道草は虚偽』はトレンド入りした。
そして、関連のない呟きが横行する中で、あるアカウント名のツイートが、一部において俄に注目を浴びる。
『【道草】は作詞家koのでっちあげ。作詞家koは長江洸。【LABIY】にて駄文を投稿中。』
使用されたアカウント名は「サラサ」だった。
※ ※ ※
長江の作品に、夥しい数のコメントが寄せられた。そのほとんどが作品を批判するための誹謗中傷であり、見るに耐えない。
長江は、スマホを開くことができなくなった。
「店長、今日も顔色が悪いようでしたが、…大丈夫ですか?」
閉店後。
最近遅番を希望することが多くなった安堂が、パソコンに向かう長江の肩に手を添える。
「………」
長江の身体は、それを許容するようになっていた。
「…コウさん、」
「すまねぇが、…もう帰ってくれ。」
「………。わかりました。夕飯は、どうされますか?」
「………」
長江は何も答えず俯き、頭を抱えた。
安堂はその背を、甲斐甲斐しく何度も撫でた。
安堂が帰り、一人事務所に残った長江は天を仰いで暫く目を固く閉じていた。
そんな長江のズボンに入れていたスマホが不意に震える。
「………」
しかし取り出す気にはなれない。
それでもスマホは震え続けた。
「くそっ!」
目を見開くと同時に叫んだ。
刹那椅子を倒すように立ち上がると、ズボンの中からスマホを取り出し、地面に激しく叩きつける。
ガシャン。
静寂に包まれた閉店後の店内に響く陳腐な破壊音。スマホの欠片が幾つか散った。
「………くそ、」
今日ほど、マンボウになりたいと強く願った時はない。
※ ※ ※
帰宅すると、玄関のドアノブに保冷バッグが下げられていた。それが誰によるものかは、容易に想像できる。
ゆるゆるとそれを手にして玄関を開けた。
玄関脇の棚に保冷バッグを置き、そのままベッドに雪崩れ込む。
「………。」
数日前、安堂に見せられたTwitterの画面が、未だ目に焼き付いて離れなかった。
(『サラサ』も、所詮は虚構だったってだけだ。…信じた俺が馬鹿だったってだけだ。)
そう思おうと頭が何度も己の愚を呟く。
だが、心がそれを認めようとしない。
「………くそっ!」
心と頭の解離に、長江の精神はじわりじわりと蝕まれていった。
午前3時。
真っ暗な部屋の一角で、青白い光が冷たく漏れた。
立ち上げたパソコンを前に、表情を失くした長江は、機械的に手を動かしながらデータの削除を繰り返す。
二年あまり、書きためていた小説の一つ一つが、パソコン画面からあっさりと消え去っていった。
※ ※ ※
「店長!どうして小説を全部消したんですか!!」
開店前、勤務時間外のはずの安堂が、血相を変えて店に飛び込んできた。
早番のパート従業員の吉田が目を丸くして品だしをしている手を止める。そんな吉田の存在など目に入らない安堂は、吉田に挨拶もなく横を通りすぎ、レジの準備をしていた長江に詰め寄った。
「店長!」
「おはようございます、安堂さん。今日は遅番ですよね?」
「そんなことどうでもいい!なんで小説を消したんですか!答えて!」
怒りに顔を赤らめて、安堂は強い口調でヒステリックに長江を責める。長江は、営業用の笑みをたたえたままの表情で安堂を見下ろした。
「安堂さん、今日は遅番ですよね?」
そして同じ言葉を同じトーンで繰り返す。
手応えのない長江の態度に、安堂は一層真っ赤な唇を歪めて鋭く目を尖らせた。
「どうして!小説を辞めたら、あなたに何が残るんですか!こんな所で、しがない店長で一生を終える気なんですか!たかがネットで叩かれたぐらいで、全部捨てるなんてあり得ない!せっかく理央君に見出だされたのに!選ばれたのに!どうして!」
「………ふ、」
これが、剥き出しになった安堂の本音なのだと、今更気がつき、長江は自嘲気味に苦笑を漏らす。もう、笑うことしかできなかった。
すると、
「ちょっとちょっと、」
しばらく呆然と傍観していた吉田が、溜め息混じりに二人の間に割って入ってきた。
「安堂さん、アンタもう帰りぃ。人を追い詰めとる自覚あるん?この人は、仮にも店長じゃろ?口が過ぎるよ。」
「あなたには関係ないでしょ!」
その吉田の態度が気に入らなかった安堂は更に激昂した。
「この人は!こんなところの店長で終わる人ではないんですよ!『Jackal』に見出だされて!作詞家デビューもされて!『Jackal』の皆ともっと関わっていって、これからってときなのに!」
「………。もう止めろ。」
長江の声が低く響く。
安堂も吉田も、長江を見た。
長江は、一瞬全ての感情を捨て去り、しかしすぐさまその顔に笑顔を張り付ける。
「あと五分で開店です。安堂さん、これ以上は営業妨害と判断しますよ。」
そして平坦で穏やかな声で、静かに言った。
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