第2話
残業を終えて帰路につく最中、信号待ちをしていた更紗の耳に、垂れ流しにしていたラジオから気になるワードが流れてきて思わずカーステレオに視線を投げる。
「………」
視線を投げたところで詳細がわかるわけではないが、目を向けたことで更紗の心はラジオを強く意識した。
それは月替わりでメインパーソナリティーが代わる音楽番組。今月のメインパーソナリティーは、最近出した曲がヒットしている新進気鋭のバンドのボーカルだった。
「…あ、【道草】の人だ。」
【道草】という曲は、中年女と若い男の出会いと別れを綴ったスローバラード。
ただ、解釈の仕方によっては不倫の曲にも聞こえるため、世間はひどく彼らの歌を酷評していた。それでも一部に支持されているためか、彼らの曲【道草】は、ビルボードチャートの高い位置に今もある。
『僕らの曲って、当たり前ですが人間が作って人間に向けて歌っているもんだから、どうしてもリアリティを追及したくなっちゃうんですよね。だから、実際に体験したことじゃないと、曲にできないって気持ちが強くあって、』
『お?それって問題発言じゃないですか?なら今流行ってる君らの曲【道草】も、実体験が元ネタなの?ってなっちゃうよ?』
『まあ、確かにあれは作詞のko君の実体験みたいなんですよね。…あ、ko君ってのは僕らのバンドメンバー
『え?koさんはバンドメンバーではないんだ?』
『そうですねぇ、今回は実験的に外部刺激を入れてみるかってメンバーで話し合ってたときに理生が紹介してくれたのがko君で、実は僕らも会ったことはないんですよね。ko君、どうやらひどく厭世的な人みたいで、』
『厭世的っ!なにそれ、コミュ障ってこと?』
『ええ、まあ、…表現は個々人のご勝手にお任せしますが、』
「………」
そのラジオから流れる会話は、不思議な感慨をもって更紗の胸を強く抉った。
アマチュア作家の「コウ」。
それがどういう字面を当てる「コウ」なのかも、ラジオから流れてくる音源からだけでは探ることができない。
「…コウ君、コウ君かぁ、」
だが、更紗はその「コウ」という存在に、何故か強い興味を抱いた。
ハンドルを握っていつもの帰り道を進んでいるだけなのに、高鳴る鼓動を無視することができない。自然と口角が上がっていき、ワクワクが心をじわりじわりと熱くした。
「………っ」
自宅アパート前の決められたスペースにいつものように駐車して、高鳴る胸に踊らされるように小走りでアパートの鉄筋の階段を駆け上がる。スニーカーのため足音は響きにくいが、それでも軋む金属音が夜の静寂に無粋に轟いた。
いつもなら気にするその音さえも耳に入らない。更紗は一刻も早く自宅に帰って「コウ」を調べたいという気持ちを抑えることができなかったのだ。
「…早く、早く、」
玄関の鍵を開けて慌てて靴を脱ぎ捨てる。
ワンルームの入ってすぐ右側には小さなキッチンがあり、昨日の洗い物がまだシンクにつけたままになっている。今日は帰ったらまずそれを洗おうと思ったが、それどころではない。
鞄をシンク側の床に投げ置いて、真っ直ぐリビングにある小さな赤い丸テーブル前に座すると、ズボンのポケットからスマホを取り出した。
指が震える。
(車で調べたい気持ちを我慢した甲斐があったっ)
楽しみなことは、じっくりと味わいたい更紗は、気が焦る程の案件になればなるほど問題を先送りにするタチだった。
(Mっ気が刺激されているわけではないよ。)
内心で、誰にいうでもなく言い訳じみたことを呟きながらスマホのロックを解除した。
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