第72話 ゴキボキゴキッボキャァッ!「あぎゃぎゃががぎゃぐわぃおうえっ!?」

 クロウ=アサミヤという意識が闇に溶けていく。


 それは1度捕まると2度とは戻ってこれない、死という名前で呼ばれる永劫の闇だった。


 俺は今まさに死の淵にあった。


 かろうじて生きていられるのは、生への最後の執着心だ。


 アリスベル――。


 俺は消えゆく意識の中で、心に刻み込んでいた大切な女の子の顔と名前を懸命に思い出しながら、俺を引きずり込もうとする暗黒のギリギリ淵で必死に踏みとどまっていた。


 でもそれももう後わずかのことだろう。

 すでに五感は全て失われてしまっていて、本当にまだ生きているのかどうかすらも確かめる術はなかったのだから。


 そしてついに、ほんのわずかに残っていた俺という意識が完全に薄れ始めていって――、


 ゴキボキゴキッボキャァッ!


 突然俺の腰が粉砕骨折でもしたのかと思うような激しい音を立てた!


「あぎゃぎゃががぎゃぐわぃおうえっ!?」


 闇に沈み込もうとしていた俺の意識が、容赦なく無理やりに救い上げられる!


 だってビリビリ!って身体の中をカミナリが走ったみたいだったんだもん!

 切り傷とかの身体の表面の痛みならある程度は耐えられるけど、内側の痛みはとてもじゃないけど耐えられない!


 しかも今やられたのは、俺の最大のウィークポイントである腰である。

 だから魔王や超越魔竜イビルナークを倒した歴戦の勇者たる俺が悲鳴を上げてしまったのも、これはもう仕方のないことだった。


「な、なにするんだよいきなり!」


 俺はもう我慢ならんと、アリスベルを押しのけて立ち上がると、指差しながら激しく糾弾した。


「おにーさん……?」


 そんな俺を見て、アリスベルがきょとんとしたような顔を向けてきた。


 泣いていたのだろう、そのくりくりの目は赤く腫れ、柔らかほっぺはしっとりと濡れている。


「え? あれ? アリスベル? なんで?」


 そして俺も同じくらいにきょとんとした顔をしていたと思う。


「ゆ、勇者様……?」

「く、クロウ……?」

「これはまたなんとまぁ」


 フィオナ、リヨン、さらにはいつも笑みを絶やさないストラスブールまでもが呆けたような顔をしていた。


「おにーさん! 生き返ったんだね!」


 そんな状況をいち早く理解したアリスベルが、勢いよく俺に飛びつこうとして――でも俺の腰へのダメージを懸念したのか、思いとどまるとゆっくりと控えめに抱き着いてくる。


 そして抱き着いた後はギュッと強く身体をくっつけてきた。


 アリスベルの柔らかな感触と心地よい温もりが俺の中に染み入るように伝わってきて――俺はまだ生きているのだとこれ以上なく実感したのだった。


「え? ああおう、そうみたいだな? ああでも一応まだギリギリで死んではなかったんだけどな?」


「あ、そうなんだ? でも身体は冷たいし息も止まってたんだよ?」


「うん、ほぼ死にかけてはいたな。マジでギリギリのギリギリでまだ死んでなかっただけっていうか。っていうかよくあそこから復活できたな俺? 何があったんだ? 腰が急にゴギャァッ!ってなったんだけど」


「おにーさんの腰を整体したの。アタシはただの整体師で、だから整体しかできなかったから」


「いや、整体で死の淵から戻ってくることはないような……」


 俺がなんとも微妙な顔をすると、


「奇跡です……愛の奇跡です……」


 フィオナがうっとりするように言った。


「こ、こんなことが……いったい何がどうなって……? だって、え、ありないでしょ!?」


 リヨンは喜んでいるというより、ぶるぶると震えながらぶつぶつと呟いていた。


「ふむ、極限まで極め抜いた技は、時に『神の手』や『神の御業』などと称される。それはつまり、ふとした拍子に人知を超えた奇跡すら起こしうる域に達しておるということじゃろうの。きっとアリスベル殿の整体術はあの瞬間、クロウを救うために文字通り神の領域へと踏み込んだのじゃ」


 ストラスブールが長いひげをさすりながら、一応それっぽい解説をしてくれた。


 正直なにを言っているのかよくわからないんだけど、1000年の長きを生きるエルフの大仙人ストラスブールがそう言うんだから、まぁそうなんだろう。


 昔からストラスブールは、多種多様な知識を駆使して俺たちの旅を助けてくれたもんな。

 20年ちょいしか生きてない俺には難しい話で、さっぱり理解できなくても仕方ないんだよ、うん。


 俺は偉大なるエルフの大仙人に敬意を払い、無理やり自分を納得させた。


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