最終話 そして日羽アリナはかく語りき
最初は厄介な人だと思った。
私の意思なんて知らんぷり。私を捻じ曲げようと彼は必死で、あらゆる環境、人、イベントを私に与えてきた。
変わった人だと思った。
彼はいつも面白い喋り方をした。彼の冗談はとても独特で、不思議で、楽しかった。飽きることはなくって、いつだって私の心をたくさんの色で染めてくれた。
お友だちになったと思った。
自然と一緒に過ごすようになり、それが日常になった。いつも傍にいたし、いつも私の視界に彼はいた。一緒に笑顔になれるようになった。
特別な人になったと思った。
私の秘密を知って、私の過去を知った。彼は私を理解しようと努め、そして約束してくれた。私が抱える問題を解決して、助けてくれるって。
素敵な名前だと思った。
美しい響き。美しい漢字。私は何度も心の中で練習した。すい、スイ、彗。いつかちゃんと呼べるように心で呟いた。あんた、あなた、じゃなくて名前を呼んでみたかった。
好きだと思った。
彼が誰かといると私は嫉妬するようになった。いつも寄り添っていたいと思うようにもなった。彼といるとどんなに寒い冬でも春になる。けれどプライドの高い私は素直になれなかった。
愛してると思った。
彼の記憶を失った時も、彼を失った時も、彼を思い出した時も、私は一貫して彼を愛していた。どれだけ遠くにいても、違う世界で意識を溶かしていても、たとえ彼が亡くなったとしても私の気持ちは不変だったでしょう。
彼は少しうわの空だった。
緊張しているのか、今日の私が可愛すぎるからなのか、ちょっと考え事を常にしているように見えた。
私はデートと言ってくれてすごく嬉しかった。デートみたいなことはしていたけれど、お互いに「友だち」ってフィルターをかけて過ごしていたから、突然デートをしようと言われた日は嬉しくて嬉しくて枕を抱いて転げ回った。
「あなた具合でも悪いの? 歩きすぎた?」
「いや、もう体調は大丈夫なんだ。筋力も完全に戻ってる」
「じゃあ心配事?」
「スーパー美少女が目の前にいたら誰だって緊張するだろ」
「あらうれしい。口を拭きなさい」
彼はナポリタンのソースで口元を汚していた。高校の時から彼は上品に食事をする人だったからやっぱりうわの空なのだろう。
水族館を楽しんだ後、今はこうしてお洒落なお店で食事している。トマトジュースを宇銀さんに禁止されているけれどトマトジュースじゃないトマトなら許可されてるらしい。あと塩分高めも禁止。
「それ、本当に好きなんだな」
私が頬張るのは山盛りクリームパンケーキ。
「年寄りになっても食べ続けるわ」
「好きなものを食べれるっていいな……俺も無制限にトマトジュース飲める身体に戻りたい」
「飲みすぎがダメなだけでしょう? でも当分はよしてね。私も正直怖いから」
「まぁ俺も怖い気持ちはある。水でいいな。結局水が一番なんだよ」
食事をした後、少しお買い物をしてから彼と一緒に映画館に入った。
私が昔見たSF恋愛映画がリバイバル上映されていたのだ。とても素敵なお話だし、私の人生にも影響を受けた映画だったから彗と一緒に見たかった。
映画は良い。映画は物語性ある創作物の中で一番五感を使うから投入感が違う。劇場にいけば大きなスクリーンと大音響のスピーカーがあるから、やっぱり映画のリアル感と迫力感に敵う創作物はない。
私は映画を観ながらたくさんのことを回顧した。
図書室で出会った日から今日にいたるまでのすべてを思い返した。楽しくもあったけれど辛いこともたくさんあって、辛い時間の方が長かった。
でも、この映画みたいに過去に戻ってやり直そうとは思わない。ほんの少しの変化が未来では大きな変化に変わってしまうのなら、私は今が一番いい。だって隣には彗がいて、今日だってずっと手を繋いでくれた。3年間握り返してくれなかった手が、今はいっぱい握ってくれている。私はそれだけで幸せ。もう夜に泣いたりしなくていいし、涙を流す理由もなかった。
映画が終わる。
改めて観ると自分が重なって泣いてしまった。
「高校の時、アリナが言ってた映画ってこれのことだったのか」
「そう。まさかリバイバル上映されるとは思っていなかったから絶対にあなたと観たかったの。良い映画だったでしょう?」
「これは100年後も観られるだろうな。アリナと観れてよかったよ」
「わたしもよ」
外はもう日が落ちていて、仙台は光に包まれていた。違う意味でも仙台は光に包まれる。そう、仙台は12月になると黄金の街になる。木々に取り付けられた電球が街中を黄金に染め、美しい世界があちこちに広がっている。
「アリナ、少し歩こう」
彗は私の手を握った。
行き交う人々の息が白い。今年もまた冬が来たのだ。私は甘えるように彗に身を寄せて歩いた。私を可愛がってほしかった。だって他のカップルはもっと身を寄せ合ってるし、私はその光景に3年間嫉妬し続けていた。
「このイルミネーションを見ていると夏の天の川を思い出す。小学生の頃はさ、結構天文台行ったり山に行って、家族で星を見たんだ。うちは宇宙にまつわる名前ばっかりだから縁があったんだろうな。天の川って本当に綺麗なんだ。あんな美しい川を見れば、織姫と彦星なんて話が生まれるのも納得できる。宇銀もそれで宇宙を好きになったんだろうな」
「他の女の話しないで」
「俺の妹なんだが……」
「ふふ。素敵じゃない。星を見るって今じゃ珍しいことよ。仙台は明るいから星は見られないわね」
「じゃあプールの次は星を見に行こう。人工の光なんかよりよっぽど綺麗だからきっと感動する」
「また楽しみが増えちゃったわ」
私たちは定禅寺通に到着した。100本以上立ち並ぶケヤキがライトで輝いて光の道となる一番美しいスポットだ。
あんまりにも綺麗で上を見上げていると遠近感がわからなくなってフラついた。そんな私をしっかり彗が支えてくれた。
「本当に綺麗ね。あなたが天の川って例えた理由がわかったわ」
「できるならば高校の時に一緒に来たかったな」
「こんなに素敵なところだと知っていたら何度も行っていたと思うわ。ますます星を見たくなっちゃった」
「アリナが喜んでくれて安心した。お前が何で喜ぶか、未だによくわからなくてな」
彗は照れくさそうに歯を見せて笑った。
「私は彗と一緒にいるだけで幸せよ」
私が真面目にそう言うと彗は表情を変え、こちらにゆっくりと向き直った。きゅっと心臓が縮こまって鼓動が高鳴った。
ため息をついてしまうほど、やっぱり私はあなたが好きなのだ。
あなたを見ていると我慢できなくなって抱きつきたくなってしまう。この身体の隅から隅まであなたにくっつけたい。そして耳元で囁いてほしい。私への気持ちを。
「アリナ」
名前を呼ばれた。これからも続く長い人生の中、一番私を呼ぶ人から。
彼は私をまっすぐ見つめ、私も彼の目をまっすぐ見つめた。
なぜ彼はこんなにも完璧なのだろう。なぜこんなにも愛おしいのだろう。
あの日。彼と出会ったあの日そうは思わなかった。いつもお節介ばかりで冗談ばかり。そう思っていたのに、あなたのお節介も冗談も大好きになっていた。
「君が好きだ」
「あなたが好き」
きっと私たちは一緒に手を繋ぎ、一緒に愛し合って、一緒に生きていくでしょう。
一緒に死ぬことはできないかもしれない。
一緒に涙を流せないかもしれない。
どちらか一方の死を看取り、どちらか一方が希薄する意識の中で「愛してる」と伝えることになるでしょう。皺だらけになったその手を握り、長い人生を振り返りながら最愛の人を見送る。
それが儚い人の定め。
それでもこの命が尽き果てるまで、私はあなたの傍にいたい。
心からそう思う。
これがわたしの物語。
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