第100話 彗星と太陽の距離
3年もあれば世界はがらりと模様替えできるらしい。
有名人が亡くなっていたり、スマホの機種が新しくなっていたり、まるで過去からタイムスリップしてきたみたいだ。
退院して久しぶりに我が家に帰ってみるとやはり変わっていた。自室だけは時間が止められたように3年前と同じだった。
「もう宇銀は大学生なんだな……」
宇銀はもういなかった。すでに東京に戻っていた。
さて、これからどう生きていけばよいのだろう。
中卒では生きていきづらい世の中だから高認を受験して高卒にならなければならない。まさかまた高校を3年間通うなんていうバカなことはないだろう。
大学はどうなる。いや、流石に無理だ。親に申し訳がない。それ以前に高認の勉強に集中するのが先だ。
というわけで俺は再び勉強をし始めた。リハビリももちろん続ける。早朝のじいさんみたいに散歩するのが俺の日課になった。朝は嫌いだが、夜早く寝れば朝はどうってことはなく、気持ちのいいものだった。
勉強とリハビリの中、アリナは唐突に電話をかけてくる。メッセージでは拘束力がないから、と恐ろしい理由を述べて電話をかけては会う約束をした。高認の問題は俺からすれば難易度は高くなく、アリナに教えてもらうことは何もないのだが、彼女は「教えてほしいことある?」とずいっと顔を近づけては笑顔を見せた。
「大学では問題なく過ごせてるか」
喫茶店でアリナとお茶しているときに訊いてみた。
「なぁにそれ。私の親みたいなこと言うのね」
「俺ばっかりに会ってるだろ。友人がいるのかどうか気になったんだ」
「いるわよ。多くはないけれど」
「そりゃよかった。まぁ今のお前を見れば楽しく大学生活を送れてるのは一目瞭然だよな。いいことだ。俺はこれからどうすっかな」
「でもそこまで落ち込んでなさそうだから安心したわ。3年も眠っていれば普通絶望するでしょ」
「そりゃ絶望くらいはしたが生きてるだけよかったって思ってる。俺の心臓は止まっていたらしい。宇銀がマッサージしてくれてなきゃあの世だ。死ぬよりはマシだろ」
真面目な宇銀に俺は救われた。学校で習った心臓マッサージをしっかり覚えていたようだ。流石は俺の妹。
アリナは無言で俺を見つめた。相変わらず何を言いたいのかわからない表情をする。これは高校のときから変わっていない。
「そうだ。今日の夜、空いてるかしら。空いてるわよね?」
「お前のアパートにはいかんぞ」
「いやねぇ、あなたそんなこと考えてたの。いつでも招待するわよ」
アリナは口元を隠してニヤニヤと嘲笑した。これが大人の余裕というやつなのだろうか。しかし未だに21歳の気分になれない俺は大人のアリナに勝てる気がしなかった。
「久しぶりに飲みにいこうかなって思って。あなたとずっと飲んでみたかったの。あなたはもうお酒飲める年齢なんだし、退院祝いもしてないでしょ? 私が奢ってあげるわ」
「構わんが金は払う」
「いいのいいの。あなたと違って無職じゃないから。祝われる人間が払うんじゃないの」
それでも払う旨を話そうとしたがアリナはつーんと明後日の方を見て目を閉じた。
「アリナ。高校の時も綺麗だと思ってたが、さらに美人になったな」
「な、なによ! やめなさいよ、人がいるんだから……」
「奢ってもらうんだからこれくらいは言わないとな」
「本心じゃなかったから殺すわよ」
「もう眠りたかねえ」
夕暮れになるまでアリナに連れられて街を歩いた。もはやデートだ。なぜこうなった。とはいえ高校生の時もこんなことがあった。付き合ってなくてもこの程度なら普通なのだろうか。いや、絶対普通じゃないな。
俺はぜーぜー言いながら歩いた。まだ体力を完全に取り戻したわけではないからアリナの歩行スピードですら早く感じる。そんな俺を見かねてアリナは止まって手を近づけてきた。
「あなたの足の速さ、よくわからないから……」
アリナは横目でちらりと俺を見て、すぐに視線を前に戻した。アリナの手が俺の横で漂う。昔、似たようなことがあった。アリナに握手を求めたがあの時は握られなかった。
「……一応知っておきたいんだが、誰かと付き合ってないのか」
「ふふ。浮気になるってこと?」
「俺だったら不快な気分になる」
「安心して。誰とも付き合ってないし、付き合ったこともないわ。ふふ。あなたビビりね」
アリナは俺の手を握った。
やっぱりこの手の感触を覚えている。高校の時、アリナに触れた回数なんて数えるほどしかなかったのに彼女の手を俺は覚えていて、温かい安心感があった。
彼女と手を繋いでいるとじわじわと後悔の波が胸に押し寄せた。3年は長い。高校に入学してから卒業まで眠っているようなものじゃないか。3年もあれば思い出は山のようにできる。
アリナと過ごした時間は激動の時間でもあったが1年も経っていない。3年間アリナと時間を共にしていたら自分たちの関係はどうなっていただろうと考えてしまう。
あの夏に戻りたい。
俺は夏休みの終わりまで答えを引っ張るべきじゃなかった。自分が3年も眠ることになるとわかっていたらすぐに答えを出していただろう。
俺の気持ちの問題だった。
あの当時、アリナは俺に関する記憶を失っていた。それでもアリナは俺のことを好きだと言ってくれて嬉しかったが、受け入れるのは卑怯だと思った。記憶を失う前の状態と、あの時の彼女の心境は違っていたかもしれないのだ。可能性に蓋をして、彼女の真の本心から逃げること他ならない。まさに卑怯だ。だからあの夏休みはアリナの記憶が戻ることに望みをかけた夏休みだった。夏が終わって再び学校で会った時、アリナの記憶が戻っていたらまた話そうと思っていた。
3年経ち、俺は目覚めた。
アリナは全ての記憶を取り戻していて、そして答えを3年前から待っている。
対等な立場だった高校生ならあまり悩まなかった。
しかし、もう俺たちは大人だ。足の速さだけで、頭の賢さだけで好きになる世界にはいない。3年間成長せずに大人になった俺のどこに、恋愛的な価値があるのだろうか。学生の恋愛は学校という規模でしかないが、大人になればその規模は全世界になる。どう考えても俺はアリナの傍にいられる人間じゃない。
「アリナ」
日の落ち始めた頃。アリナに手を引かれて店に入る前、俺は立ち止まった。
「何?」
俺の表情はどうなっていたのだろう。絶えなかった彼女の微笑みがすっと消えてしまう。
「俺は……やっぱりダメだ。最初起きた時はあっという間すぎて3年経ったとは思えなかった。でもな、最近3年の重みを感じてる。重すぎる。3年分の時間と重力を一気に感じてる」
「確かに3年は長かったわね」
「仙台を歩いてるだけなら3年経った感覚はそこまでないんだ。ところどころ新しくなってるのはわかるが、3年は感じない。でも人と会うと思い知らされる。自分と近しい年齢か下のやつほど、3年がどれだけデカいか」
アリナはそっと俺に近づき、正面から俺の手を両手で包んだ。
「私ね、あなたの手をこうやって握ってたの。あなたに何度も何度も、数えきれないくらい会いに行ったから病院の人は私のこと覚えちゃって、ちょっとした有名人になってたわ。3年も通ってたらそうなるわよね」
彼女は自分の長い髪を触り
「髪型、変えてないの。人の印象って髪がかなり依存してて、久しぶりに友人と会うとだいたいみんな髪型や色を変えてるからびっくりする。きっとあなたも目を覚ました時にそう思うだろうって思ってた。でも驚きだけじゃなくて、あなたは寂しい思いもするって想像もついてた。私も寂しいのは嫌いだから、あなたにも感じてほしくなかった。あなたいつも独身貴族って豪語していたけれど、孤独が辛くない人なんていないわ」
「俺のため、なのか」
「別に変える気もなかったからいいの。すぐ私ってわかったでしょう? 私は3年間あなたを見てきたから、私はあなたと距離を感じないわ。あなたは距離を感じるかもしれないけれど、私はずっとあなたと同じ時間を過ごしてきたと思ってる」
自分の目に涙が滲みそうな気がしたから見開いてこらえた。ここで泣いたら同情を誘ってるみたいじゃないか。
「少しずつ慣れていけばいいから。私の言いたいことは、あなたと私の距離はゼロってこと。あなたは彗星だから仕方ないのよ。彗星はみんなが忘れてしまうくらい遠くへ旅立ってしまうから、戻ると他の惑星たちが変わっててびっくりしちゃう。しかも太陽なんて久しぶりに会いにきた家族を容赦なく焼くんだから、本当に彗星は可哀想な旅人よね」
「いつの間にそんなロマンチックなこと言うようになったんだよ。昔のお前なら嫌な顔して唾でも吐いてたろうに」
「赤草先生が私とあなたをそう例えたのよ。最後の文化祭の日に会ったの」
「赤草先生とか懐かしいな。今どうしてるんだろうな」
「すぐにわかるわ。行きましょう。みんな待ってるわよ」
その言葉の意味がわからなかったが、まさかと思って緊張が走る。
アリナは俺の手を引っ張って店に入った。窓際の集団がこちらに手を振っていた。
おかえり
真琴がそう書かれた紙を持っていた。
俺は泣かざるをえなかった。今ここで長い旅を終えたのだと思った。
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