第91話 夢で逢いましょう

「アリナー!」


 仙台駅の中央改札口で待っていると、鶴が改札の方からキャリーケースを片手に小走りでやってきた。私はステンドグラスから離れて彼女に近寄った。


「意外と変わってないわね。別人になってるかと思っていたわ」

「自然に近い方が好きなんだもん。今のトレンドもそうだしね」


 まだ変化の途中なのかもしれない。

 鶴はキャリーケースをコインロッカーに預けて身軽になった。


「やっぱ落ち着くなぁ。あっちは人が多すぎて移動するだけで疲れるもん。これくらいがちょうどいいや」

「そんなに多いの?」

「仙台の通勤ラッシュなんか可愛いもんだよ! もうぐっちゃぐちゃ! その代わりに栄えまくってるのがいいとこだね。もっと人が減れば最高なんだけど。いるとしても若いうちだけかな」

「私の母親も似たようなことを言っていたわ」


 ゴールデンウィークだから十分すぎるほど人がいる。でも鶴にはこれで丁度いいらしい。私は仙台からほとんど出ていないからあちらのスケールが想像できなかった。

 お店は適当に選んだ。話せる空間さえあればよかったから駅から数分のお店に入った。


「さすがにアリナはお酒飲んでないでしょ」

「飲まないわよ。未成年だもの」

「安心したぁ。もちろん私も飲んでないけどさ、もうすでに急性アル中で運ばれてるバカが出てきてね。新歓コンパで。なんでそんなにお酒にこだわるのかな」

「バカの考えはバカにしかできないものよ」

「なんか毒舌戻っちゃった?」


 私と鶴はソフトドリンクを注文して乾杯した。

 もう日は落ちていて全面ガラスの外はタクシーや自動車のライトが伸びていた。夜に外食することはあまりなかったから大人になった気分だ。


「アリナは相変わらず綺麗だね。男たちうるさいでしょ」

「うるさいけれど、うちは静かな方だと思う。鶴は気を付けなさいね。ちょっと気を緩ませたら襲われそうだから」

「大丈夫。法をチラつかせて脅すから。脅迫にならない程度にね」

「法学部こわ」


 お互いに大学で何をしているかを話し合った。あっちは法学で、こっちは文学。学んでいる内容は全然違うから耳に入ってくる単語は知らないものばかり。わたしとは違う道だ。高校では大学受験という道で歩く方向は共通していたけれど、今は方向も違えば踏んでいる土の種類も違う。

 大人になるってこういうことなのかな。子どもは集団で歩く。横断歩道も、遠足も、修学旅行だって一緒に行動する。でもそれは高校生まで。大人の単位は個人になり、個人だからこそ同じ道を歩かなくなる。もうみんな一緒じゃないのね。


「—―彗のところへは行ってる?」


 不意打ちだ。表情が固まってしまう。

 私はグラスを口にもっていって喉を潤した。


「先月は10回くらい行ったわ」

「3日に1回……アリナの愛はすごいなぁ……」

「変わらず気持ちよさそうに眠っているわ。だから話すことはないわね。去年の夏から何も変わってないからそれはそれで安心してる」

「そっか。宇銀ちゃんとは?」

「会ってる。この前も会ってデートしたわ」

「アリナからデートって単語が出てくると笑いそうになる。だってねぇ、あんなツンケンしてた子がデートだなんてねぇ」

「宇銀ちゃんも彗に似て変わった子よ。彗の影響で宇宙が好きなんですって。からかわれたくなくて、あんまり彗の前では話さず隠していたそうよ」

「へー! なんかツンデレみたいじゃん。宇銀ちゃんって彗のこと冷めた感じに扱ってたけど実は大好きなんだね。今は高2だよね?」

「そう、先月で高校2年生」

「ちょっと前まで中学生だったのになぁ。私たちもいつの間にか大学生になっちゃってるし。来年は20歳だよ? ヤバくない?」

「そうね。もう私たち女子高生じゃないのよね」

「制服なんてもうコスプレだよ。そうだ、なんか制服でバーのアルバイトしないかって誘われたんだよね。女子高生になりきって! 私たちって高校卒業したばっかだから貴重なんだって」

「本当にコスプレじゃない」

「笑えるよね。ま、やんないけど。おっさんの話し相手とかヤダよ」


 鶴は高校の時のようにケタケタ笑った。

 私が心配することでもないけれど元気そうでほっとした。鶴は数少ない友人の1人だし、大都会で何か事件に巻き込まれるんじゃないかと思って卒業式の別れの時に「気をつけて」と何度も言った。でも彼女の笑顔を見て杞憂だとわかった。


 私と鶴は90分ほどそこで飲み食いし、その後仙台駅で別れた。鶴は重そうなキャリーケースを引きずりながら大きく手を振って消えていった。ゴールデンウィーク中にまた合う約束をしたけれどなんだか寂しかった。私は人肌恋しい寂しがり屋のウサギになっていたらしい。




 書店員のアルバイトは私にぴったりのバイトだった。

 淡々と会計をし、時にはブックカバーをかけ、書籍の品出しも行った。私は特にブックカバーをかけるのが好きだった。会計の時に頼まれたら行うもので、本を大事にしているみたいで好きな作業だった。

 周りのアルバイトの子も大学生であることが多く、本好きが多かった。本に囲まれる生活はとても充実感を得られるもので毎日が幸せだった。嫌なことがなかった。何もない日でも、嫌なことがなければそれは幸せなのだ思った。


 アルバイトを始めて2ヶ月が経ち、お給料と貯金を合わせてタブレット型のPCを購入した。

 大学でも使うけれど、最大の目的は執筆だ。万年筆と原稿用紙で物語を書く時代はもう過去の風景で、現代はPC1台で事足りる。印刷する場合もあるからそれは後々考える。


「物語……」


 セットアップを終え、何もない画面を凝視しながら私はそう呟いた。

 私にはどんな物語が書けるのだろう。開いた窓に腕を置いて体重を預ける。空は暗く、耳を澄ますとスズムシの鳴き声が聞こえた。


 もう夏になってしまった。あなたが眠ってからそろそろ1年になる。

 あなたは今も去年の夏の中で生きているのでしょう。医師は数ヶ月以内に覚醒しなかったら回復の見込みはかなり低いと告げた。私は高校生の時にそう聞かされ、一時絶望の淵に立たされたけれど、何年も経った後に目覚めた過去の事例を見つけた時は絶望はたちまち吹き飛んだ。

 布団に寝っ転がる。まだ今日の日記を書いていなかったことを思い出して身を起こす。去年の9月から書き始めて、私は1日たりともサボらなかった。


〈わたしは今日、物語を考え始めた。

 どんな物語かは決めていない。決めてはいないけれど雰囲気は決めている。読んでくれた人が気持ちよく本を閉じられるような、温かさについ本を胸に抱いてしまうような、わたしはそんな美しい物語を書きたい〉


 日記を閉じ、台所へ行って歯磨き粉をブラシに塗る。

 歯を磨きながら明日からのことを考えた。鏡に写る私の顔はとても楽しそうで、卒業アルバムの中にいた無機質な私はまるで別人のようだった。

 灯りを消して目を閉じる。不愉快な湿気に身悶えしながらも私は夢の世界へ溶けていった。

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