第82話 最後の夏休み

 ひと騒動あったが、それ以降荒立つことはなかった。

 元々俺とアリナは交際していたと思っていたり、やっと交際したのか、とまだ結論が出ていないのにクラスメイトたちは自由に解釈した。

 説明したい気持ちもあるが、もうどうにでもなってくれ。どうせ高校生活は1年もない。


「暑い……」


 衣替えでワイシャツになってはいるものの暑いことに変わりはない。この時期になると毎朝着替える手間が少し減るから朝が苦手な俺にとってありがたかった。

 そして男子諸君にとっては目のやり場に困る時期でもある。女子の身体のラインがより強調され、そしてワイシャツの下が透けて見えてしまうハプニングが起きるからだ。非常に由々しき事態である。

 特にアリナは大人びているものだから、年上の女優が教室にいるようで落ち着かない。そんなアリナは鶴と模試の結果を話していた。


「おーい、彗ー」


 鶴が背後から声をかける。俺は身体をひねって後ろを向いた。


「模試の話か」

「どうだった? いい感じ?」

「まずまずって感じだな。さらに上げれば完全に安全圏到達だ」

「まぁ彗はなんだかんだでおバカさんじゃないから大丈夫でしょ」

「お前は?」

「よゆー」

「さっすがっすなぁ。アリナはどうだったんだ?」

「A判定もらったわ」

「すげーな、東北大A判定って」


 やはり勉強せねばならんのだ。

 勉強というものはやったもの勝ちで、とても平等なのである。言い訳は通用しない。突如覚醒して真の力を得るという少年漫画のような熱い展開はないのだ。

 アリナはきっと国立に無事合格するだろう。同じ大学に行くことはない。

 それでも彼女は付き合いたいものなのだろうか。遠距離って辛いんじゃないのか? トマトジュースしか愛したことのない俺に、人間の愛を理解できるのか? 

  


 放課後。今日は金曜日だからすぐ帰ろう。

 来週はまた模試だし、切羽詰まりすぎても心に毒だ。

 俺は肩に鞄を下げて立ち上がった。


「あっ。私も……」


 ぼそっとそう言うとアリナは口を噤んでたたずんだ。

 ちょっとした間があき、俺も慌てて反応する。


「お、おう」

「……行きましょう」


 これがラブコメというやつか!?

 緊張して歩き方を忘れた。どうやっても手と足を交互に出せない。右足と右手、左足と左手がそれぞれ一緒に出てしまう。ネットで人間の歩き方を調べてみるか。


「あなたおかしいわよ」

「知ってる。この18年間で一番耳に入れた言葉だ」


 あぁ、どうしてロボットみたいな動きしかできないんだ。効果音までガシャンガシャンと聞こえる。

 

 俺は独身貴族……俺は独身貴族……。


 心の中で呟きながら自分を律し、2人で仙台を歩く。

 アリナと肩が触れそうだった。この微妙な距離を維持することに俺は全神経を研ぎ澄ませていた。接触したらやばいし、離れすぎてもやばそうだ。そう、全てヤバイのだ。

 

「カフェでも寄る……?」


 アリナの提案。

 日本語で喫茶店。茶を喫う店、喫茶店。

 

「寄ろうか」


 なんだよ、寄ろうかって。気取りすぎだろその言い方。

 流れるままに仙台駅の喫茶店に入店した。来たことのある喫茶店だから少しは落ち着くが、これからアリナと何を話せばいいのだろうか。俺が語れるのは宇宙とトマトと洋画くらいだ。

 そして席に着く時、とんでもない生物を見つけてしまった。


「アアアア!」

「ギャアア!」


 俺はそいつを指さした。宇銀だった。同様に宇銀も俺を指さした。


「なんだどうしたその髪型は! 自慢のセミロングはどこにいった!?」


 JK宇銀が友人たちとお茶していた。

 宇銀の髪型が朝と変わっている。セミロングだった宇銀は、おでこを少し出したボブのウェーブヘアになっている。まるでハリウッド女優だ。年齢にそぐわない妖艶さを醸し出している。

 とにかく非常にまずい場面で出会ってしまった。


「なぜ……なぜ髪型が……」


 急激な変化に驚きを隠せない俺は口を震わせてそう言った。女子が髪型をガラリと変える時は大きな心境の変化があった時だとよく聞く。もしそれが男関係だとしたら俺に一つ任務が加えられることになる。その男の抹殺だ。


「美容室に行ったの!」

「美容室ってあれか、人体改造の――」

「人の目があるんだから静かにしてよ。恥ずかしい」


 宇銀はまともに取り合ってくれず、キレ気味に返答する。似合ってはいるが驚くのもしょうがないだろ。妹のその髪型を初めて見たのだから。


「それで。兄ちゃんはアリナさんとデート?」

「馬鹿野郎。アリナと白亜紀の恐竜について熱く語ろうと……」


 待てよ。

 アリナは宇銀を覚えているのか? 

 宇銀をどう認識するんだ? 

 榊木彗の妹はどう処理する? 

 一人っ子として記憶を整理するのは難しいはずだ。何せ宇銀は市役所公認の俺の妹だ。いや、当たり前か。

 ちらっとアリナを見る。静かに微笑んでいる。わかりづらい。


「う、うん。あれがうん、うちの兄……」


 宇銀の友人たちはひそひそと俺が何者であるかを宇銀に訊いているようだ。


「宇銀。堅苦しく言うなよ。いつもみたいに『お兄様!』でいいんだぞ」

「う、うるさい! 喋んなボケ! 嘘言うな!」

「落ち着け、落ち着けマイシスター」


 これでいい。頭を抱えて恥じている。

 妹から離れた席で腰を下ろし、メニューを眺めながらアリナの様子をうかがった。


「これにするわ」


 それはパンケーキにどっさりと山盛りのクリームをのせたスイーツだった。水族館に行った日を思い出す。そういえばあの時も似たようなものを注文してたな。あの頃はまだ刺々しいアリナだった。

 店員に各々注文し、また2人だけになる。

 俺は単刀直入に訊いた。


「宇銀のこと覚えているか?」

「いいえ。名前と存在は知っていたけれど初めて会ったわ」


 なるほど。榊木家全般がダメなのか。というより俺に関することは全部ダメらしい。まるでサカキ遺伝子がBANされているみたいだ。

 記憶整理はうまくいっているらしい。


「うまく隠してくれ。あいつは意外とこういうことに鋭い」

「わかったわ。ごめんなさい」

「謝らんでくれよ。別に悪いことじゃないんだ。それと宇銀とはあまり関わってこなかっただろうから大丈夫だ」

「優しいのね。気遣ってくれてありがとう。嬉しい」

「うぐ!」


 一言一言がずっしりくる。

 ジョークを発動しないとまともに会話ができない。これでは溶かされてしまう。


「あなたと出会った日のこと教えてくれる?」

「えーっと、それはその──」

「一番最初にあなたと出会った日のこと」


 毒舌薔薇に出会ったあの秋。

 赤草先生に誘拐され、図書室で不満そうに本棚を見つめる彼女と出会ったあの日。

 俺は語った。あの日からずっと放課後を共に過ごすようになり、時に罵倒され、時に殴られ、時に彼女の笑顔に救われた。アリナの秘密を知り、アリナに深く干渉した。たくさん経験して、たくさん出会った。


「あなたを好きになるの、当然じゃない」

「はいちょっと待ってー。いきなり心臓が止まるようなこと言うのやめてー」

「だってそうでしょう?」

「ど、どうなんでしょうね……」


 注文したものが届き、早速口にする。

 幸せそうに頬張る彼女に気を取られないようナポリタンに集中した。やはりトマトは素晴らしい。

 

「夏休みはお勉強会でもするのかしら」

「多分な。鶴がまた率先して計画するだろうよ」

「ふうん。勉強が好きになるくらいいっぱい勉強しましょうね」

「わぁ、ぼくこわいなぁ」


 誰か俺よりアホなやつを出現させないと地獄を見そうだ。

 




 最後の1年だというのに濁流のごとく時間が過ぎる。

 長くて緩やかな連休も去年と比べれば一瞬だ。勉強で毎日を濃いものにしているからそう感じるのだろう。アリナと喫茶店に寄ったのも少し前のことなのに、遠い過去のようにさえ感じる。またアリナと行きたい。

 だからこそ「何か」をしないと後悔するのではと焦る自分がいる。最後という単語に拘りすぎかもしれないが、二度と経験することがない過程にいたら誰だって同じ心境になるだろう。

 

「早いなー」


 いかにも構って欲しそうな感じで真琴が呟いた。


「確かに早すぎる」

「すでに1年の半分が終わってて、しかも明日から夏休みとか信じらんないよね」

「この勢いだと定年も一瞬だな。早く老後のスローライフを味わいたい」


 スローライフを迎えるためにも今がんばって未来に投資しないと痛い目に合うのだろう。人それぞれ求めるものは違うが、特にビジョンが思い浮かばない俺とかは誰よりもがんばらないと大変なことになりそうだ。窮地に立たされた時に何も持っていないのが一番まずい。

 そしてこの夏休み中にアリナに対する回答を決めなければならない。


 夏休み前だからといって別段アリナと喋ることはなかった。

 毎度お馴染みの全校集会、夏休み前の安全指導、外出は夜何時まで、どこにいっちゃダメか、とかそういった話を受動的に聞く1日だった。

 去年なら帰りたい一心で、クラウチングスタートをキメるために廊下にスターティングブロックを設置するほどであったが今回はそうでもなかった。これが大人の落ち着きというやつだろうか。俺も成長したもんだ。

 

「ただいま」

「おかえり、ってどしたの兄ちゃん」


 ハリウッド女優みたいになった宇銀が俺を見るなり不可解な表情になる。


「どうもしてないが」

「いやいやどうかしてるでしょ。去年とか夏休み前はうるさくてしょうがなかったじゃん。自由だーって」

「俺も大人になったんだ。小娘は自撮りでもしてなさい。そしてネットを泳いでいなさい」

「うざ」


 まったく、どこに塩辛を箸でつまみながら玄関に現れる女子高生がいるっていうんだ。いた、ウチの妹だ。絶望的だ。どうして宇銀はおっさん舌なんだ。お兄ちゃんは悲しくて泣きそうです。

 自室で横になって約1ヶ月の夏休みを改めてどうしようかと考える。


「あ〜……」


 脱力してだらしなく声を出す。布団がまだ蒸し暑い。

 外からは蝉の声が入ってくる。強い日光のせいで若干頭痛がして頭がちゃんと働かなかった。考えるのをやめ、目を閉じる。最初の数日は何もしなくていいだろう。受験生の俺たちを考えて先生たちも宿題はほとんど出さなかったし、日に追われてやるようなことは何も無い。

 勉強もそうだが、アリナのことで大変な夏休みになりそうだ。

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