第57話 記念撮影
よくもまあ1月中旬っていう季節に素足むき出しでいられるものだ。女性は皮下脂肪が多いと聞く。だから女子たちは冬場でもタイツを履かずに登校できるのだろうか。こんな疑問を口にしたら侮蔑されるのは目に見えているので墓までもっていこう。
疑問を表情に出さぬよう俺は白奈に声をかけた。
「この時間まで練習か」
「うん。今年の夏で最後だからね。気合い入れてるの」
最後。重い言葉だ。
「ちょうど俺も帰るところだったし、帰るか」
「あれ……アリナさんとは?」
「先に帰った。あいつと一緒にいるのが当たり前な関係じゃねーから。これ忠告」
「みんなそうは思ってないけどねー。もう見慣れた光景だよ」
「手遅れな状態ってつくづく思わされるな」
白奈とは同中学出身ということもあって通学経路は大体白奈と同じだ。自然と俺たちは肩を並べて帰ることになり、仙台駅に向けて歩き始めた。
「白奈は将来やりたいこととかあんのか? 忘年会では進学か就職かって迷ってたが、1つくらいあるだろ」
「んー強いてあげるなら……美容師?」
「美容師か。全く予想してなかった答えがでてきたな」
「興味あるんだけど踏ん切りがつかなくて迷ってる。だって今が人生の大きな分岐点みたいなものでしょ。もうちょっと考えないと駄目かなって思って」
「夢があるっていいな。そうか、白奈は美容師か」
白奈はきょとんとした顔で俺の顔を見た。
「彗は夢ないの?」
「現時点では」
「これをやりながら生きたい、やってみたい、とかないの?」
「……」
「大学では何するつもりなの?」
「んー……何だろうなぁ……わかんねえ……」
「まぁ、そこまで悩む必要はないと思うよ。大学で見つければいいんだし! 4年も時間増えるんだしね」
彼女のおっしゃる通り、大学で道を見つけるしかなさそうだ。
周りの友人たちが職業や夢に向かって真っすぐ歩いているものだから嫌でも焦る。俺は亀で、俺以外は兎らしい。このまま停滞していたら社会から取り残されて悪夢にうなされそうだ。でも亀は最終的に兎に勝っている。そこまで焦る必要もないのかもしれない。
「アリナさんと同じ大学に進むの?」
「あいつは東北大だぞ。俺には無理だ。というかあいつと同じとことか行きたくねえ」
「てっきり2人一緒だと思ってた……」
「カップルならありえるけどね、白奈さん。でも僕はそういった欲望に翻弄されて正常な判断ができなくなる愚かな人間じゃないんです」
「ふぅん……」
アリナ君は常に成績トップ10に安定してランクインする頭脳をお持ちなので、ノーマルブレインの僕が対等になれるわけがないんです。それに彼奴は文系で俺は理系だ。それだけでも選択する大学は大きくわかれる。
──おいおい俺は何を考えているんだ。
アリナが選ぶ大学なんてどうでもいいだろ。行ったところでどうなると言うんだ。きっと寄生虫扱いされるのがオチだ。
それから2週間ほど新聞部に通い詰めとなった。
放課後になれば新聞部へと向かい、アリナと部長で話し合う。本校のことを調べに調べ、教師からも話を聞き、十分に情報が集まったところで文字を起こし、そして互いに推敲し合う。アリナから恐ろしいほど「汚い文章!」とダメ出しされ挫けそうになった。俺も言い返してやろうとアリナの下書きを読ませてもらったが非常に読みやすくて顎が外れた。文章がとても精緻で簡潔的だった。読んでいて引っかかりが全くない。
「次は日羽と何を企んでんの?」
ある日、学校に遅くまで残る俺を心配して、真琴はそんな言葉をかけた。アリナと出会ってから帰宅部らしからぬ事ばかりだがここ最近はもはや帰宅部脱却レベルだ。
「写真。楽しみだね」
またある日は邪悪に微笑む二渡鶴。過渡期の新聞部に仕事を投下した組織の1人。モデル写真を100パーセント提案したであろう張本人。
彼女はトイレ休憩の時にさらっとそういった。自分の席でノートに書いた記事を読み返しては訂正し直すという作業を必死でやっている時に、とても楽しそうに話しかけてきた。
トマトジュースぶっかけるぞと脅したが全く聞く耳持たずで俺のノートは彼女に取り上げられた。まるで悪の権力によって恋人を目の前で奪われた哀れな青年のように俺は返してくれと懇願した。なんて残酷だ。夕飯は鶴のフライドチキンで決まりだ。
創作物を人に見せることをなぜ躊躇し、恥ずかしく思ってしまうのだろう。そう疑問に思うようになって考えてみた。
俺の答えは「作品は分身」だ。
自分の魂を具現化させたものが創作物なのだろう。己の全てを曝け出すなんて耐えられない。だから恥ずかしい。平然と裸体で街を駆け巡ることができるか? できるならそのまま警察に行ってくれ。
いろんな葛藤があったが遂にアリナと部長を納得させるものができた。
何度アリナからダメ出しをされたかもはや覚えていない。精神はへとへとでトマトジュースをその日は4本空けた。肝臓や血液の絶叫が聞こえた気がしたがきっと空耳だ。彼らに口などない。
「あとは問題の写真だな!」
一番触れて欲しくなかった問題に部長はナチュラルに触れた。記事の裏に丸1ページ使って本校の制服写真を載せなくてはならない。
「マジで俺とアリナじゃなきゃダメなのか?」
こういったモデル写真はどこかの事務所のモデルを引っ張り出して制服を着させるのが普通なのではないか。
「生徒会からの指名だぞ!」
「あのニワトリが……焼き鳥にしてやる……」
「ちなみに撮影場所はもう決まってる! カメラも準備してるぞ!」
部長は一眼レフを取り出して立ち上がった。
「行くぞ!」
「今からかよ。ちょっと待ってくれ、こいつ化粧してないぞ」
「化粧して登校したことないわ。刺すわよ」
「時間は待ってくれない! 撮りに行くぞ!」
部長の勢いに負け、俺とアリナは渋々立って新聞部を後にした。他の部員も数人アシスタントとして同行し、俺たちは彼らについて行く。
「遅い」
気の進まない俺は牛歩戦術を使い、歩みを遅めて抵抗していたがアリナに咎められた。
「写真嫌いなんだよ。大勢の知らねーやつに見られるんだぞ。良い気にはならん」
「何も考えずに立っていればいいでしょ。石ころでもできるわ」
「お前って読者モデルとかやってそうだよな。コツとかあるのか?」
「私がそんなに自己顕示欲が高いように見えるのかしら」
「いや全く」
「自分のことをゴミだと念じてなさい。何も感じなくなるわよ」
「遠まわしに俺のことゴミだと思ってるよね、君」
靴を履き替え、校舎から出る。このあたりからアリナの表情はどんどん曇っていき「嘘でしょ……」と呟いた。撮影場所は校門前である。冷え冷えのお外で撮影するとは思っていなかったのだろう。
「よし! 早速撮るか!」
「どんな風に撮るんだ?」
「んー、校舎と2人がうまーく収まるようにかつイイ感じに」
幸いなことに女子部員が研究してきたようで、俺たちに指示を出してくれた。
ベストなスポットを部員がカメラを覗いて探している間に俺とアリナは制服を整える。きちんと模範的に着こなし、ネクタイやリボンが曲がっていないか見てもらう。腰パンとかいう理解不能の短足アピールファッションをしない俺は、模範に近い着こなしであったため特に指摘はなかったのだが、意外なことにアリナは指摘事項があった。
「うーん……」
部長が腕を組んで唸る。アリナは不満げに腕を組んで直立し対峙する。
「アリナさん、タイツどうにかならないっすか……」
「はあ? 脱げっていうの?」
「いや、脱げっていうわけではなく、そのやはりタイツはちょっと……」
「何? タイツがなんなの?」
部長の感嘆符が激減した。追い詰めるようにアリナは彼を上から見下した。アリナの方が若干身長が高いのである。萎縮する彼が気の毒だった。
「やはりタイツは正式じゃないというか、なんというか……」
「だから脱げって言いたいの? どうなの?」
助け舟を出してやろう。
「アリナ姉さん、ちょっと落ち着け」
「何なのよもう。わかったわよ、脱ぐわ、全裸になるわよ」
「誰もそこまで言ってねえよ。なりたいならなっていいが」
「なるわけないでしょ。警察呼ぶわよ」
「むしろ俺が呼ぶ側だろ」
アリナはガツガツと靴音を立てながら昇降口へと去っていった。部長は「ありがとう! 助かった!」と俺に縋り付いた。
「次からは事前に説明してやれよ。あいつは面倒なやつだから」
「すまん! 早とちりしすぎた」
5分ほど経ってアリナが昇降口から出てきた。心なしかこちらを睨んでいる気がする。白い息を吐く様子が威嚇する狼みたいだ。彼女の漆黒で覆われていた脚は生足に戻っており、これで撮影準備オーケーと言えよう。
アリナが怒りで爆発する前に早速立つ位置とポーズを女子部員は説明した。俺は元気よく相槌を打ってアリナの殺気をかき消すことに尽力した。写真なんか撮りたくなかったのにどうして迅速に撮影する方向に転がっているのだろう。
校舎を背に、俺とアリナは約30度それぞれ逆方向を向くかたちとなった。若干ローアングル気味にして校舎の頂点が入るよう撮影する。
「ほーい、撮りますよー」
女子部員の合図で俺たちは構えた。
「アリナさーん。もっと柔らかい表情でお願いしまーす」
寒さで眉間にしわが寄っているのだろう。容易に想像がつく。
3、2、1のカウントで計5枚ほど撮った。見せてもらうと我ながらなかなかにキマっている。やはり帰宅部員は凛々しく美しい。後は文字を入れたり時空を歪めたりして加工するんだろう。楽しみだ。
撮影が終わるとアリナは足早にどこかへ消えた。何も言い残さず消えたので俺らは先に新聞部に戻った。
暖房のありがたみをたっぷり感じ取っているとアリナが戻ってきた。
「タイツないんだけど」
未だに素肌丸見え状態のアリナが俺に詰め寄った。
まさか俺が盗んだとでも言うのか。
「待て。さすがに俺じゃない。マジで俺じゃないぞ」
「出しなさい」
「違うわい! 俺はずっと外にいた!」
「あんた死ぬわよ」
「理不尽すぎるだろ……これが巷に聞く冤罪ってやつか……」
「犯人を見つけたらシュレッターに指を突っ込ませる」
早く犯人は自首をしろ。俺がシュレッターにかけられそうな気がしてならない。
コンコンとドアがノックされる。犯人であると大いに期待した。お願いだ。犯人であってくれ。すぐにタイツを返してやってくれ。さっきから隣のお嬢さんの貧乏ゆすりが物凄いんだ。
「お邪魔しまぁす」
現れたのはニワトリだった。今晩のディナーになる予定の生き物だ。
「あ、帰ってどうぞ」
「ひどい。来て早々それはないでしょー」
「写真ならさっき撮ったぞ。期待しててくれ」
「それは楽しみ! あ、それとアリナー。これアリナの?」
畳まれた黒い物体が鶴の手にある。それは紛れもなく冬景色の一つであるタイツだ。
アリナは立ち上がって鶴との距離を一気に詰め、鼻先が触れそうなくらい接近した。ボクシングの試合前のようだった。
「どこで見つけたの?」
「えっ……トイレにあったよ……?」
セミの抜け殻じゃねえんだからここに戻って仕まえばよかったのに。それとも落としたか。
「なんだよ、トイレかよ。なら最初から俺はあり得ないだろ。最近まで音楽が流れるトイレ自体の存在を知らなかったぐらい、俺は女子トイレを知らねーんだ」
「あんたならやりかねないと思ったからよ」
なんて野郎だ。
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