第48話 忘年会
イヴやクリスマスの街で恋人と出歩くイベントが俺の身に起こるわけがなく、太陽は登って沈み、ごく普通の日としてそれぞれ終わった。悲しくはない。これは俺が望んだ世界だ。
宇銀は冷えた気温の中、ちょこちょこ外出しているようだった。哀れみ程度にお菓子を買ってきてくれる。俺は有難くいただいてお菓子を消費する機械として日々を過ごしている。
例年通り、宇銀の手作りケーキは美味かった。
母と宇銀は一緒にケーキ作りをし、俺と父はリビングで飲み物を手にテレビを視聴した。昔は俺もケーキ作りをしたのだが、あまりのセンスの無さに「二度と関わんないで」と宇銀から叱咤されて以来、作っていない。彼女曰く、俺には芸術性が欠落しているとのことだ。
時々あいつがどうしてるかなんて考える。
秋からアリナと行動を共にするようになって彼女のことをたくさん知ったが、休日に何をしていのるかはわからない。趣味である読書だろうか。今どきの若者のように一生スマホいじりだろうか。それとも真面目に課題でもやっているのだろうか。
アリナのことを考え始めると止まらなくなる。それほど俺の中で彼女の存在が大きく膨らんでいるらしい。
彼女がどう過ごしているかは明日になればわかる。
明日、27日は鶴が計画した集まりの日だからだ。何をして過ごしているか話題に上がるだろう。店は焼肉食べ放題の店で決まり、高校生にも優しい値段だったため助かった。
「兄ちゃん。足ぶつけないで。砕くよ」
「リモコンを下ろせ。落ち着け」
毎年恒例のコタツの中で繰り広げられる陣地合戦だ。
体躯の一回り大きい俺の両足は宇銀にとって相当邪魔な障害らしく、少し俺が動くと彼女の細い足にぶつかる。悪意があるわけではない。むしろ気を使っている方だ。
「宇銀は友人と遊びに行かないのか?」
「私たち受験生だから。みんな勉強してるよ」
「そうだったな。最後の中学生活だってのになかなか会えないのが残念だよな。受験さえ終われば解放されるが」
「うん。推薦組としては応援することしかできないから言葉にも気をつけないといけないんだよね。下手なこと口走ったらプレッシャーにもなるし。『落ちる』って単語、兄ちゃんも禁句になったでしょ?」
「なったなー。来年はまた禁句になりそうだな」
「それはそうと明日脱獄するんだっけ?」
「いや外出だから。囚人じゃないから」
「ごめん、出所だったね」
「いや外出だから。刑期とか最初からないから」
「アリナさんとデートなんでしょ?」
「デートする仲じゃないから」
雑煮を食べ終えたらすぐに台所へと食器を洗いに行った。宇銀から逃げるためである。彼女の揶揄を回避することは至難のワザなのだ。逃げるが勝ちである。
忘年会の当日。
仙台駅中央改札口を通過するといつものステンドグラスが見えた。
ここは宮城県の中心地でいわば心臓だ。血液のように人が流れ込み、各地へ流れ出ていく。みんな年を締めくくるために来ているのだろう。
駅前付近の飲食店で徒歩5分程度の距離だ。17時から開始で、時間厳守の俺は15分前に到着した。
入り口を通り、店員に予約していた旨を話す。
店員は予約表に目を通し、二渡の文字を見つけるとすぐ案内した。
通された席には既に鶴とアリナが隣り合って座っていた。
「もう来てたのかよ」
「私が幹事だもん」
鶴は予想通りいたがアリナは予想外だった。
「お金」
「課金しないと喋らないタイプの機械か」
アリナはお金を渡さないと一言も話さないと言わんばかりに手を差し出してきた。
「集金ご苦労さん」
「私へのチップがないわよ」
「今度ポテトチップスでも買ってやるよ」
「私は安い女なのね」
アリナは会計係のようだ。彼女は「はい、確かに」と言って、席に座る許可をもらえた。席はアリナの向かい側だった。罰ゲームか、これ。
期待していたアリナの私服だが意外と普通だった。黒のセーターにジーパン。しかしセーターは身体のラインを強調する素晴らしい性質を持っており、アリナはその性質を十分すぎるほどに活かしていた。彼女の表情が険しくなり始めてきてので分析を中止する。
驚くべきは鶴の方である。血飛沫のようなカラフルな模様と乱雑に書き殴られた英語が目立つパーカーを着ている。アメリカのギャングみたいだ。拳銃がごとりと床に落ちても今の鶴なら納得できる姿だった。
これ以上2人の観察を続けるとアリナに殺されるだろうから、人が集まるまで俺はメニューを眺めた。
大変残念ながらソフトドリンクの覧にトマトジュースはなかった。
日本はもっとトマトジュースを推すべきだ。コーヒーとかいう炭の味がする液体やお茶に砂糖をぶち込んだだけの液体よりトマトジュースの方が健康にもいいし、味も良い。しかも今晩は肉を食う。脂で苦しくなってもトマトジュースがあればスッキリできるし、その瞬間に得られる爽快感は普段じゃ味わえない格別なものだろう。
近くのコンビニで買っておけばよかった。今からでも行くか? いや、店員にあれこれ説明するのも面倒だな。
と思っていたら、俺の手元にトマトジュースがスケーターのごとく現れた。俺が愛してやまない缶が颯爽とスライドしてきたのだ。
「好きなんでしょ」
アリナがそう言った。メニューに視線を落としている。きっと恥ずかしがっているのだ。彼女が俺に何かを与えるなんて一昔前はあり得なかったことだ。やはりアリナは変わった。
日羽アリナが女神に見え、有象無象の不満がすべて蒸発し、アリナへの畏敬の念だけが心に残った。俺は手を組んで感謝した。
「女神よ、感謝します……」
女神と鶴は完全無視して2人でお喋りしはじめた。
真琴、早く来い。独りはつれえ。
その後、真琴と流歌が到着した。
俺のアドバイス通り、しっかり流歌と待ち合わせて来たようだ。
鶴は2人の到着を見てニマニマしだした。
「冬だけど真夏みたいなお熱いもの見せてくれて感謝」
「い、言わんでくれ!」
真琴は俺の隣に座り、流歌は彼の隣に座った。
2人が座ったタイミングで次は白奈が到着した。
「うわっ、みんな揃ってる」
「白奈は私の隣ね〜!」
鶴が自分の隣の席をぽんぽん叩いてそう言った。白奈は名前の通り、暖かそうな白いコートを来ていた。
改めて女子率の高さに驚く。もはや女子会だった。俺と真琴は異物なのではとも思ったが、真琴は流歌の彼氏であるから自然といえば自然なのかもしれない。
あ、わかった。俺はきっとアリナの監督者として来ているのだ。こいつが暴走し始めたら俺が拘束するって役目なのだろう。
みんな揃ったところで飲み物を頼み、ソフトドリンクということもあってすぐに全員分届いた。
鶴がグラスを持って口を開く。
「なんかそれっぽいこと言おうかなって思ったけど、面倒だからかんぱい!」
乾杯の一言でカチャカチャとグラスが鳴った。
向かい側にアリナがいることもあって彼女のグラスと指に当たる。しまった、と思ったがアリナはちらりと俺の目を見ただけでお咎めはなく、薄く紅が塗られた口元にグラスを傾けた。今日は機嫌が良いようだ。
肉が運ばれてきたので俺はトングを使い、網に並べていった。女性陣にはぺちゃくちゃ喋ってもらって俺は働こう。俺は最近いじられるタイプだと自覚した。下手に喋るとガキのぬいぐるみみたいにボロボロになるまで遊び尽くされる。
「あ、俺も手伝うよ」
「あざす。そっちの野菜も入れてくれ」
真琴が気を利かせて手伝ってくれた。ちなみにトングは全員分ある。
「来年で高校生活も終わりだねー」
じゅくじゅくと焼ける肉を眺めていると鶴が全員に話を振った。
「鶴はもちろん進学するんだよね?」
隣の白奈が訊く。
「うん。上手くいけば東京のどっかの大学かなー」
「すごいなぁ。鶴なら東大とかも行けそうだよね」
「志望大学はナイショ。落ちたとき恥ずかしいもん!」
次は鶴が隣のアリナに訊いた。
「アリナも進学予定なんでしょ? 文系だよね?」
個人的に気になっていたことだ。アリナが自分の夢を語ったことはなかった。興味のある仕事も知らない。
「東北大を受けるつもり」
アリナはさらりとそう言った。
「そうなんだ。てっきり宮城を出るかと思ってた。なんかアリナって都会好きそうだし。大学生になっても近くにいれるかなって思ってたんだけどなー」
「私も上手くいけばの話よ。なるべく国立を目指しているから来年の模擬試験で現実的な大学を選んでいくわ」
「だって、彗。アリナはそんな感じに計画してるんだって」
話を振られた俺はとりあえず肉を女子たちの皿に運んだ。俺にアリナの未来の話を振られても困るんだよ。
「ほら、いっぱい食え。俺は肉焼き機とでも思っていてくれ」
「彗はアリナさんと同じ大学目指さないの?」
「お前マジでその発言は死ぬぞ」
まるで自分がこれから焼かれるのではと恐怖で額に汗がにじんだ。アリナは目の前にいるし、この場には白奈もいる。心なしか手に持っているトングが震えていた。トングも怖がっているようだ。
白奈はぷくっとふくれて俺を睨み、アリナはというと手に顎を乗せてじーっと俺を見ていた。
「俺もどっかに進学するつもりだがな、誰かのあとを追っかけるなんていう昭和の恋愛ドラマみてーなことはしねえよ。追いかけるなら赤草先生くらいだ」
テーブルの下でアリナから軽く蹴られた。どういう意味かはわからないが、とりあえず肉を皿に運んでやった。
「恋愛話が聞きてぇなら真琴に聞いたほうがいい。お前は専門なんだっけか」
「一応ね。俺は料理を学びたいから大学行っても仕方ないからね。もし彗がひとり暮らし始めたら何か作りに行ってあげるよ。すぐに不健康な食生活になりそうだから」
「流歌に作ってやれ。流歌はどうすんだ?」
「私は、宮教かな。先生になりたいから」
「流歌なら良い先生になりそうだな。お淑やかな先生って点数高いぞ」
「ありがと」
そのやりとりを見た鶴が「うわー口説いてるー」と言った。俺の敵に認定すんぞ、この野郎。
割と県内に残る人間が多いらしい。宮城出身の人間は県外を出ても結局戻ってくる傾向にあると聞いたことがある。そういうことなのだろうか。
俺は声に緊張が現れないように白奈にも訊いた。
「白奈は? 仙台に残んのか?」
「うーん、私はどっちでもいいんだよね。就職でもいいし、人生の夏休みって言うから大学も魅力的なんだけど」
「よく聞くよな、その表現」
「でもこの冬休みで進路は決めようと思ってる。親にも相談しなきゃだからね」
それぞれ未来を見据えて進んでいるようだ。
俺はやりたいことも目指していることも決まっていないので彼らが羨ましかった。
そうだ、まずはやりたいことを見つけなきゃいけない。
来年は18歳になる年だ。すぐに20歳になる。
いつまでも子どものままじゃいられない。幼年期の終わりは目前なのだ。
昔は高校生が大人に見えたが、いざ高校生になってみても俺は子どもだった。もう大人の世界は近くまで来ているというのに気分は中学生のままだ。
ぼんやりと不安になってきた。
白奈と鶴はケタケタ笑いながら向かいのカップルと喋っていた。この光景も来年までなのか。永遠に学生が続くと思っていたのに、ここにきてどっと現実感が肉汁みたいに溢れ出た。このタレに浮かんでる油みたいに。
「あんた、何して過ごしてるの」
不意にアリナが話しかけてきた。俺はアリナからの頂いたトマトジュースに手をつけた。
「ダラダラ過ごしてる。寝てるか、テレビ見てるか、受験が終わった妹と何かしてるか、スマホ見てるか。まぁいい感じに腐ってる。お前こそ冬休みはどう過ごしてるんだ」
「秘密」
「なんだそれ」
「課題と読書。長町の図書館に近いのよ」
想像通りだった。
「なんか安心した。お前が密かにSNSとかで自分の動画を上げてたりしたら脳がバグってた」
「SNSは興味ないけれど、私だってネットは見るわよ」
「リテラシーなさそうだから気をつけろよ。パソコン教室にお前がいても違和感ねえくらい世間知らずに見えるからな」
「あんた私のことどれだけ古い人間だと思ってるのよ。あんたこそいまどきテレビテレビって古臭くてホコリの匂いがするわ」
「はいはい、おばあちゃん。お肉食べましょうね」
黙らせるために焼けた肉を皿に置いてやった。
アリナは文句は言わず口に運んだ。相変わらずモリモリ食べるスーパー美少女だった。
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