第47話 雪かきとお買い物

 冬休み初日、12月23日。

 11時に起床した。なぜこの時間帯に起床するかというと朝の寒さを感じたくないからだ。昼近くになれば気温もある程度上がっているので安全に布団から出れるし、朝食カットによる榊木家の食費削減にも貢献できているので良い点ばかりである。

 きっと早寝早起きを推奨する健康人は俺の生活スタイルに物申すだろう。俺にとって早起きは何よりもストレスのたまる不健康行動なのだ。


 朝飯兼昼飯を摂った後、俺はまた自室へと引きこもり、布団の中で自分を再び温めた。冬休みは最高だ。気兼ねなく無限に寝れるこの安堵感、永遠であれ。

 

 ドンドン。


 ドアが唸る。この家はポルターガイスト現象が起きるらしい。自己顕示欲の強い霊は直ちに逝ってもらいたいものだ。俺はそう願って目を閉じた。


「兄ちゃーん。雪かき手伝ってー」


 ドアが喋るわけがない。一体どこに声帯や肺が存在するというのだ。だからこれは空耳だ。きっと就寝前に聴いた音楽がまだ脳内で波打っていて幻聴を作り出しているのだろう。俺は無視を決め込むことにした。


「兄ちゃん。雪かき手伝ってよ」


 雪かきをしたところで特に変わるわけでもなかろう。どうせ仙台はまた降る。なんなら来年の3月も降ってるぞ。


「寒くないから雪かきしようよー」


 寒いから雪が降るんだろうが。

 やだ。絶対行かない。


「うぅ。泣いちゃうよう……」


 俺は飛び起きた。


「よし、兄ちゃんと雪かきしようか」

「ありがとー。ちょろいねー」


 泣かれちゃ困る。

 ドアを開けると宇銀が防寒フル装備で立っていた。腰あたりには雪の粉が付いており、ハラハラと床に落ちてはすぐに溶け消え、室内がいかに温められているかを雪たちが自らの死をもって示してくれた。

 

「積もってるのか?」

「うん。私だけじゃ大変だから手伝ってね」


 ウインクする宇銀。

 他人が見れば微笑ましい兄弟愛だ。だが当事者たる俺は怒りと懸念の2つに思考がとらわれていた。

 怒りは、俺の徹底的にだらけたい意向を、まったく悪びれる様子もなく奪ったことに対する怒りだ。よくもこの至福の時間を踏みつけようと思ったな。冬休みや夏休みは幼稚園に入る以前のような、全ての自由を約束されている期間と同義なのだ。


 しかし妹が悲しむ光景は見たくなかった。


 懸念は、妹がロクデモナイ男に近寄られないかという懸念だ。妹は俺から見ても可愛い部類に入る。遺伝子のせいか、俺と似たような冗談を連発するから白い目で見られているだろうと思っていたが、何気ない会話からこいつはモテることを知った。

 妹が誰かと交際や結婚する。考えるだけで硬い拳を作ってしまう。娘を取りに来た男に対して、父親はこのような感情になるのだろうか。

 ウインクをそこかしこで披露しているのなら叱責せねばならん。ふらふらとハエが寄って来るからな。


 エスキモーのような防寒対策を施した後、俺は宇銀と雪かきを始めた。

 薄く灰色がかった曇天のせいで太陽は顔を隠し、雪は全く溶ける気配を見せない。踏みしめられて固くなった雪をガリガリと剥がしながら砕いていった。この苦行は東北民にしかわからないだろうが、仙台はマシな方だ。日本海側の方がとんでもなく雪が降る。

 この忌々しい雪どもめと呟きながら氷を破壊した。


「せっかくやるんだからそんな形相でやらなくてもいいんじゃん」

「この世から雪など消えてしまえばいい」

「じゃあ南の方に引っ越したら? 沖縄まで行けば降らないんじゃない?」

「暑いのも嫌だ」

「もう人間やめるしかないね」






 雪かきを終えた(逃げた)俺はリビングでグラスにペットボトルのトマトジュースを注ぎ、労働後の悦楽の極致を味わっていた。


 素晴らしい。


 大人になったらこれがワインになっているのだろうか。いや、絶対トマトだ。

 テレビは1年で起きた出来事を振り返る特集番組が流れており、俺はじっと見ていた。

 宇銀はまだ外だろう。途中から雪かきをやめて来年から高校1年生だというのに雪だるまを作り始めていた。だから俺は逃げてきたのだ。

 

 何気なくSNSを見ると真琴のトップページが流歌とのツーショット写真になっていた。随分と良い雰囲気である。そして絶妙なタイミングで真琴からメッセージが届いた。監視されているのかと思った。


〈流歌とクリスマスどこ行けばいいと思う?〉


 俺は無視してトマトジュースを舐めた。見なかったことにした。

 数分後に真琴から電話が来た。


「なんで無視するんだよ!」

「無視も何も、送って数分じゃねえか。無視はしたがメンヘラみたいなことはやめろ」

「クリスマスってどこ行くのがベストだと思う?」


 俺は何事もなかったかのように通話を切った。そんくらい自分で考えろ。そもそも俺に訊くんじゃねえ。恋愛に疎いことがバレちゃうだろ。いや、前回の水族館の件でバレてるな。


「なんで切るんだよっ!」

「自分で考えろよ。恋愛シミュレーションゲームってこんな感じなのか?」

「マジでお願いだ! 何か案をください!」

「今回は手伝う気ないぞ」

「そんなぁ……心の友だろ、俺たち」

「鶴に訊けよ。あのギャルなら詳しいと思うぞ」

「アドレスも番号も何も知らない……」

「徒歩だな。情報伝達の最終手段を使え」

「教えてくれよ……」


 俺は仕方なく連絡先を教えてやった。

 クリスマスの日は街中にカップルが現れる。仙台駅周辺や定禅寺通はこの時期になると木々がライトで金色彩られる豪勢なフェスティバルが行われる。そこで写真を取り、お洒落な店で食事を楽しみ、夜景に胸を踊らせるのだろう。

 ちなみに榊木家はケーキパーティーである。宇銀は今年どんなケーキを作るのだろうか。彼女はケーキ作りが大変お上手で俺も舌を唸らせてしまうほどだ。


 通話を切ってから数分後、次は鶴からメッセージが来た。


〈真琴に教えたでしょー〉


 おや。どうやら真琴は早速訊いたようだ。


 俺は〈こういうことなら鶴が一番だと思ってな。教えてやってくれ〉と打ち返した。

 

〈ラブホテルって送っといたよ♡〉


 俺はトマトジュースを吹いた。

 リビングに戻っていた宇銀は「おがぁざぁぁーーん!! 兄ちゃんが死んじゃうー!! 吐血してるー!」と喚いた。

 男の俺宛にラブホとかいう単語をすんなり使うなんて鶴さんの貞操観念やばいんじゃないすか? ちょっと勘違いしちゃうだろ。もしかしたら鶴は俺に気があるとか思っちゃうだろ。

 俺は心を静かな湖畔に還してフリックした。

 限りなくフラットな心で、濁りのない美しい言の葉で、詩的であることを努めて。


〈彼もたいそうお喜びになるでしょう〉


 そう送っといた。もう真琴はいいや。





 15時を回った頃だ。またノックだ。


「お母さんが買い物行ってだって」

「なんでそんな心無いことを言うんだい? 外の寒さを知っているだろう?」

「家族命令だよー」

「なぜ俺が買い物……榊木家は俺を排除しようと必死だな」

「トマトジュース切れかけてるってお母さんが言ってたよ。買い物ついでに買ってもいいって」

「行きます。買い物、行きます」

「私が行っちゃおっかなー」

「ダメです。俺が買い物行きます」

「じゃあ荷物持ちお願いね」

「分かりました。何でも押し付けてください」


 トレンチコートで防寒対策をして本日2度目の外界進出だ。

 宇銀と歩いてスーパーへと向かう。


「買う物リストは私が持ってるから」

「頼む」


 何だが時間を巻き戻したみたいだ。宇銀と共に行動しているとそんな気持ちになる。同時に「過去に戻れない」という現実が随分と重々しく感じられるようにもなってきた。これから生きていけば何度も思うことなのだろう。

 

 スーパーに到着。

 俺はカートにカゴを突っ込んで戦闘準備を整えた。


「ありがと、兄ちゃん。か弱い私にはとっても助かる気遣いだよー」

「トマトジュースのためなら何でもする」

「あっそー」


 宇銀がメモを見ながら先行し、俺はノロノロ後ろをついていった。

 妹は食材や台所用品を次々と迷いなく放り込んでいく。このスーパーの構造を完全に理解している。おそらく目隠ししても大丈夫だろう。歩きスマホみたいにメモ紙に目を落として角を曲がり、商品に手を出す。こんな高等テク、俺には無理だ。俺なら卵を全部割る自信がある。きっと主婦に八つ裂きにされるだろう。


 最後の最後で俺にトマトジュースを選ぶ権利を貰った。母が料理でも使うので毎度ペットボトルの大容量を買う。俺もこれに関しては迷いなく手を伸ばせた。


「やっと手に入れた……」

「家帰って全部飲まないでよ。お母さんも料理に使うんだから」

「頑張って耐える。信じてくれ」

「無理な時は手首切って啜っといてね」

「宇銀ちゃんは末恐ろしい子だよ」


 カートを宇銀に預け、俺はレジの向こう側にて待機した。会計を終えた食い物供を袋に詰める作業待ちだ。

 

「奇遇だね」

「ん?」


 傍に白奈がいた。

 突然すぎる出現に俺は言葉を失った。


「ビックリしすぎじゃない? 家近いんだしばったり会っても不思議じゃないと思うけど」


 正論だが久しぶりに話すにしては自然すぎて怖い。むしろ俺が驚いている方がおかしいくらいに白奈は普通に話している。

 

「彗って鶴の忘年会行くの?」

「あ、ああ。行くぞ。鶴に人集めをお願いされた人間が行かないわけがない」

「そうなんだ。てっきりアリナさんが計画してるのかと思ってた」

「あいつにそんな協調性のある行動はできんよ……」


 最近はマシになってきたが。

 

「……ねぇ、彗。別に気を使わなくてもいいんだよ? 私はすっきりしたんだから」

「うす……」

「ちょっと悔しいけどね!」


 白奈はイーッと威嚇して、ころりとすぐ笑顔を見せた。


「なんか、ごめんな」

「だからいいのー! 私としては気遣われる方が辛いんだよ?」

「……すまん」

「もうっ!」


 すると白奈は俺の胸に額をコツンと当てた。抱きついているわけではない。少し前屈みになって体重のほんの一部を預けているだけだ。

 彼女はすぐ顔を上げた。


「忘年会でノロケ話聞かせてよ? 嫉妬狂うかもしれないけどねっ!」


 そう言い残して白奈は去っていった。

 ちょっとドキッとしたじゃねえか。心拍数がネズミ並みに跳ね上がっちまった。時計の指針を見て落ち着こう。


 会計が終わった宇銀は悪役さながらのニヤニヤっぷりでご登場した。ツッコミを入れたら延々とからかわれそうだったから俺は無心で食い物をレジ袋に詰め込んだ。

 視界にちょこちょこ入り込む宇銀のニヤケ面がウザかった。


「ねぇねぇねぇ兄ちゃん」

「待ってなさい。お兄ちゃんは現在お肉をつめています。爪でビニールを破いてしまったら鮮度が落ちてしまうので今は話しかけないでください」

「さっきの白奈さんだよね? ね? ね?」

「そうですが」

「白奈さんのアレ、私には求愛行動に見えたんだけどなぁ。幻覚だったのかなぁ」

「そんなわけないでしょう。理性ある高等生物が公共の場でそんなことは致しません」

「兄ちゃんは人間だったんだ!」

「はいもう帰ろうね、はいー」


 両手にレジ袋を持って足早にスーパーを出た。

 宇銀はご機嫌で「うーわき、うーわき、兄ちゃんが浮気〜!」と非常に不名誉な歌を近隣に撒き散らしながらスキップした。転びやがれ。

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