第46話 最後の冬休み

 代表の教師が壇上で冬休みの過ごし方を我々に教育した後、最後に校長が一言しめて終業式は終わった。

 解散の指示が出ると生徒らは体育館後方出口へと向かって無秩序に歩いた。人の洪水の中で俺はアリナを見つけ出して話しかけた。


「ちょっとお願いしたいんだが」

「何よ」

「さっきの忘年会の件で、お前から白奈を誘って欲しいんだ。俺からじゃ誘いにくくて……」

「……はぁ。あんたいつまでウジウジしてんのよ。体格の割に小心者なのね」

「すんません……でも白奈とアレ以来話していないんです」


 アレとは白奈が俺を元薔薇園に呼んで告白した件である。その日以来、白奈とは軽い会釈だけで言葉は交わしていない。第一声が喉を通るどころか頭に思い浮かばない。ぐっと喉が引き締まって唾が逆流しかける。結果ぎこちない会釈で誤魔化してしまうのだ。


「ふうん」

「あの……お願いできますかね」

「いいけど」

「よかった。頼むぞ」

「でも条件があるわ」

「何なりと」

「いい加減、白奈に対して後ろめたさを感じるのやめなさい」


 彼女は切り捨てるように言った。


「あんたがそんなんだと白奈が気の毒よ。告白しなきゃよかったって後悔してるかもしれないのよ」

「俺もわかってはいるんだが……」

「わかってないわよ。白奈の勇気なんて1ミリも理解してないわ。あんた本当に人間なの?」

「国籍を持ってるから一応人間として認められているかと……」


 アリナはわざとらしくため息をした。


「白奈はちゃんと誘うけどしっかりしなさい。私だって誘いづらい立ち位置にいるんだから」

「……なんでだ?」

「この鈍感! あんたが断った理由を思い出しなさい!」


 俺が断った理由。俺が白奈を受け入れなかった理由。

 それは白奈に対して恋愛感情を抱いていなかったこと、そして俺はアリナが……。


「おわあああ!!!」

「恥ずかしいから黙りなさい!」


 彼女は発狂する俺をビシバシ叩いた。

 この感情は封印しよう。調子が狂ってしまう。アリナもらしくない態度になってしまう。


 教室に戻り、冷静になろうと席で目を閉じた。

 俺たちはお互いをどのくらい理解しているのだろう。勢いで俺はアリナに「好きだ」と言ってしまった。しかし直後に「もう1人のアリナの方」と付け加えたことによって多少真意不明にできたはずだ。

 本心は謎にしておこう。断言してしまったら今の自由な関係が崩れてしまう。

 アリナとしてはどう思っているのだろう。

 俺たちはこれ以上近寄るのも遠ざかるのもためらってしまう奇妙な距離感だった。


 終業式が終わり、生徒らは冬の寒さも忘れてあくせく荷物を整理し始めた。

 帰宅部プロフェッショナルの俺は前日に全て持ち帰っているので、悠々と缶を口に添え、トマトジュースを流し込む。来年はどんな年になるだろうと感慨にふけりながら担任教師が戻っくるのを待った。





 特に放課後は何もせず一直線に帰宅した。

 

「帰ったぞぉ! 自由の到来だ!」

「うるさいなあ。おかえり兄ちゃん」


 今日から約2週間休みである。いっそのこと2年分欲しいのが本音だ。2年も家にいたらベッドと融合できそうで悪くないなとも思ったが、流石に人肌寂しくなりそうだ。宇銀が心配がるし、彼女が学校で兄妹のことを訊かれた時に口ごもってしまうからやはり引きこもるのはやめにしよう。

 自室に戻ることすら面倒だったから制服姿のままソファへダイブした。全身がドロッドロの流動体にでもなったかのように体の全てを預けた。脱力を超えて新陳代謝はストップし、体内の化学反応はやる気をなくしてきている。もう溶けてしまいたい。

 妹は願望を踏みにじるかのようにうつ伏せの俺の背中に座った。


「ソファ独り占めしないで〜」

「背骨折れそうなんですが。嫌な音を立ててるんですが」

「大丈夫だよ。また生えてくるよ〜」

「折れても生えるってどういう生命の神秘だ」


 半分譲って2人で座った。

 

「早く夏休みこねぇかなぁ。冬休みは始まったばかりだが残り2週間って短いよな」

「兄ちゃんの来年の夏休みは受験勉強なんじゃないの?」

「やめろ、リアルすぎる現実は今はやめてくれ。せっかく冬休みが来たというのに酷いぞ」

「ごめんねー。冬休みは予定とかあるの?」

「あるぞ。同級生と集まって年を振り返る」

「忘年会みたいな?」

「イエス。妹が賢いのはとても嬉しい。将来は宇宙物理学者にでもなって宇宙の謎を解き明かしてくれ」

「これだけで賢い扱いされるのもなぁ。どうかなぁ」

「逆に宇銀は予定あるのか?」

「友だちはみんな受験だから予定なし」

「良かった。デートするとか言い出したら兄ちゃんは怒り狂うところだった……」

「彼氏なんていないから無いよ。でも何回か告られたよ」

「……あ? 中学で付き合おうとするなんて何の意味がある。お前に近寄って来た輩は何者だ……? 肝臓抜き取ってプランクトンに食わせるぞこの野郎……」

「不本意だけど、私も今付き合っても意味ないと思ったんだよね。悲しいけどやっぱ私って兄ちゃんの妹なんだね」

「当たり前だ。本能に従いすぎてもろくなことがない。人間の心の中では神と悪魔が戦っているとよく比喩されるが、正しくは理性と野性だ。野生本能はほどほどにしておけ」

「はいはい難しいね〜。ほら、テレビで農家の人が作物紹介してるよ」

「キュウリなんてどうでもいいからトマトを映せ」





 22時を過ぎた頃。

 ハインラインの『夏への扉』を読んでいた。

 夏休みが恋しいと宇銀に話したら無性に夏への扉が読みたくなったのだ。ベッドに横たわりながら読書していると見計らったかのように盛り上がる場面でスマホが唸った。アリナからメッセージの着信だった。


〈誘っておいたから。行くそうよ〉


 短く伝えたいことだけを簡潔に。

 いかにもアリナらしい文だった。

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