第28話 覚悟
最後のモデルが出払うと〈集計中〉の看板が掲げられ待機となった。
ライトは落ちて室内は薄暗くなり、賑やかだった空気の余韻が心の中で小さく木霊する。
アリナの容態が気がかりだった。
今も人格が入れ替わったままなのか、元に戻っているのか。
これが本来のアリナのあるべき姿なのでは?
そう思う自分がいる。
いや、俺がいちいち心配するのは野暮なことだ。自分に言い聞かせて納得させる。
しばらくすると〈集計中〉の看板が下り、再び通路をライトが照らした。
司会者も照らされ、いよいよ結果発表だ。観客もざわめきだして盛り上がりが息を吹き返そうとしている。
「お待たせしました! 結果が出ましたのでモデルの方はご登場ください!」
司会が元気いっぱいにそう言った。
エントリーしているモデルたちはぞろぞろと仕切りの向こうから出てきて横並びになった。アリナもいたが毒舌アリナではなかった。儚く、脆そうで包みたくなってしまうほどか弱いアリナだ。眉をひそめて落ち着きなく目を動かしている。
俺は不安になった。
アリナが──毒舌のアリナが帰ってこないのかもしれないという可能性が不安でたまらなかった。もう二度と、あのしかめっ面を拝むことは叶わないのだろうか。
「第3位の発表をします! エントリーナンバー9番!――」
自分が持っている矛盾に気づく。
俺はアリナを取り巻く問題がさっさと終わってほしいと考えていた。
「第2位の発表です! エントリーナンバー13番!――」
憎たらしく生意気な毒舌薔薇が消える。
あってほしくない最悪の結末だと感じるようになっていた。
「それでは第1位を発表します!」
結局、俺は煮え切らない中途半端な野郎なんだ。
誠と嘘の狭間にあるのは冗談。冗談ってのはどっちつかずなんだ。
「日羽アリナさんです! おめでとうございます!」
俺はおどおどしながら微笑んむアリナを見て、今一度、私情は捨てようと思った。俺の感情は必要ない。アリナの問題に俺の私情は不必要だ。徹底して切り捨てなければならない。
人間は本当に作りが甘い。なぜ理性と野性が衝突するように作ってしまったのか。ここまで自ら苦しむ生き物は人間だけだろう。
「えへへー。ありがとうございます」
アリナがぺこぺこ頭を下げる。ステージは拍手と音楽で華やかに彩られた。
男子たちは普段お目にかかれないアリナの可愛げのある振る舞いに萌えているようで雄叫びをあげている。スマホで写真を撮っている者でいっぱいだ。まるで歴史のワンシーンを記録することに囚われた戦場カメラマンのように。ピューリッツァー賞間違いなしだ。
受賞者にはメダルが授与され、記念品らしき物をもらっていた。
遅れて気づいたが教師たちも結構見に来ていた。主に女性陣だ。ちらほらおっさん教師もいる。おっさん教師が撮影していたら俺は110番していただろう。ちなみに俺が赤草先生にスマホを向けるのは許される。若気の至りということで許してください。
ファッションショーが終わり、観客の我々は去ることになった。
モデルたちが手を振る中、俺は最後にアリナの姿を捉えた。
目が合った。
俺のことを知っている。
彼女は保健室で出会ったことを覚えている。
俺にどんな話をするだろうか。
廊下で待つこと10分。
仕切り側のドアからアリナが出てきた。制服姿に戻っていたが毒舌アリナではなかった。
「あ」
アリナと目が合った。
どんな顔をすればいいのかわからない。
親しげに話しかけるのもありだが、きっと俺の顔は苦笑いになる。かといって他人行儀な態度も違う。
一歩が踏み出せない。怖かった。
元に戻ってくれ、と心の片隅で叫ぶ俺がいる。
演技であってくれと思うくらいだ。
優しい天使のようなアリナが残酷に見えてしまうくらい、俺の頭はどうかしていた。
「彗くん、見に来てくれてありがとう」
耳を疑った。アリナが俺の名前を初めて呼んだ。クズだのゴミだのと俺の名前には1ミリも触れなかったのに、こうも簡単に。
純粋に嬉しかった。名前を呼ばれるだけでこれだけ嬉しいなんてことは俺の人生になかった。
唯一、毒舌アリナではないことが胸を締めつけた。
俺は最悪で失礼なやつだ。
「ど、どうだった? わたしの晴れ舞台」
気まずくなった空気を変えようとアリナは髪を払ってそう言った。
俺も彼女も、お互いの距離感をよくわかっていない。
彼女はぎこちなく両手を腰に当てて横柄な態度を取る。俺の知るアリナを再現しているのだとわかった。
「綺麗だった。マジで」
笑いそうになるのを堪えながら俺は褒め言葉を捧げた。
ギャップが凄い。トゲトゲしいあのアリナが顔を赤らめて照れている。もう完全に別人だった。
腕章を再び付ける。アリナは首をかしげて俺の腕章を見つめた。
「あぁ、これ。俺たちは風紀委員的なことを今してるんだ。持ってないか?」
アリナは自分のバッグの中を漁った。ちらっとショーのときの衣装が見えた。
「これ?」
「そうだ。アホらしいが付けておいてくれ」
「うん、付ける」
アリナは腕章を腕に通し、安全ピンで固定した。緊張気味で動きがぎこちない。仕方ないか。俺が誰かなんて彼女はよく知らない。もう1人の自分と親しくする人。そのくらいの情報しかないのだろう。
アリナは一冊の小さなノートを取り出した。
表紙には「日羽アリナ」と書かれているだけのありふれた大学ノートだった。
「もう1人の私が、私のために大切なことをメモしてくれてるの。あんまり見せたくないけど彗くんのページなら見せてもいいよ」
「俺のページって……なんか気味悪いな」
「私たちにとって重要な人はしっかり書いてくれるんだよ。私も書くけどね。私たちはこれで交代中にあったことを記録するの」
アリナはノートを両手で開き、俺の顔に突き出した。そのページは俺についてだった。
名前、性格、関係性など細かに俺の情報が書かれている。
どうやらアリナの目には「悪いやつじゃないけどイカれてる」というように映っているようだ。いや、これ悪口だろ。ふざけんな。
しかし嬉しいこともあった。
〈この人は信頼しても大丈夫。〉
ページの隅にそう書かれていた。
なんとも言えない感情が沸き起こる。正直涙腺が緩みかけた。そう思われてたなんて微塵も考えていなかった。
他にもよく見ると細かに書かれているところもあった。
〈私から離れない馬鹿な人〉
〈白奈から告白されて困惑してた〉
〈唯一話していて面白い〉
〈人を馬鹿にしない人〉
〈あなたを見捨てない、拒絶しない人〉
最後の一文に俺は引っかかった。
それについて考える間も無く、アリナはノートを閉じた。
「はい、終わりです」
「なかなか面白かった。あいつこんなこと考えてたんだな」
「私もびっくりした。付き合ってるのかとも思ったけど違かったから安心したー」
ふふーんと得意げに鼻をならした。彼女なりの冗談らしい。
俺はずっと訊いてみたかったことを言った。
「アリナは……もう1人の自分、というかあいつのことどう思っているんだ?」
廊下を歩きながら、さりげなく口に出した。
俺が本気で訊いていることを悟られたくなかった。別のアリナであるとはいえ、俺がアリナに興味があると思われることが負けてる気がして嫌だったのだ。
「本当の私」
「ん?」
「本当の私なの。毒舌薔薇が本当の私」
「すまん、よく言ってる意味が……」
「私が偽物なの。日羽アリナの名前はあの子のもの」
「あー……つまり基本人格、は君じゃない?」
「よく知ってるね! 基本人格なんていう単語!」
赤草先生が言っていたことはズレていたということになるのか?
俺自身も目の前にいるアリナがずっと基本人格のアリナだと思い込んでいた。
「私は小学6年生以前の記憶がないの。一切ね。私に過去を教えてくれたのはアリナだよ。ノートに書き記していてくれていたの」
「ちょっと待て。俺の知るアリナも記憶がないっぽいぞ。中学3年生以前の記憶がないと聞いてるが」
「知ってる。でも言わない」
「どうしてだ」
「アリナは言って欲しくないと思うから」
謎が深まって目を閉じたくなった。
人は、誰しも闇を飼っている。
どんな善人を自称する者でさえ、腫れ物を必ず抱えている。それに触れるということは深く関わること、覚悟がいるってことだ。
「彗くん。君は私に踏み込む覚悟ってあるのかな」
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