彗星の物語

第1話 薔薇が不機嫌に咲いていた

 放課後ってのはやることが各々決まってる。


 全校生徒の大半は部活だ。

 球を打ったり蹴ったり、パソコンがちゃがちゃ、文を読み書き、あるいは楽器を奏でて忙しく活動している。

 あるいは帰りたくない一心で友人と談笑し、付き合ってるやつらはベンチに座って見つめ合ってやがる。

 部活以外の生徒はそういった親睦やら恋やらを深めるため、地に根を生やして日が暮れるまで居残る。


 俺は帰宅部だ。


 ただの帰宅部員ではなく、帰宅することに誇りを持つ全国屈指のエリート。

 だらだらと時間を無駄にする同級生たちとは違い、俺の帰りを待つ家族のためにも、全国の帰宅部員の面目のためにも、俺は大きな誇りを胸に陸上選手も腰を抜かす速度で帰宅する。


 だが非常に残念なことに帰宅部は事実上存在しない、架空の組織に近い。

 だから「俺の名前は榊木さかきすい、高校2年生。最強の帰宅部員だ」と名乗ったところで生徒指導室送りか、両親が召喚されるか、最悪病院送りで一生クスリ漬けの毎日を送ることになる。それは絶対に嫌だ。

 しかし怯えることはない。誇りを胸に灯していれば命は燃え続け、風に吹かれても消えることはないのだ。

 帰宅部員として切磋琢磨しつつ、社会的に破滅しないよう杜の都・仙台で高校生活を送っている。

 

 

 9月。

 放課後がやって来た。

 帰宅部の特権は時間だ。有意義に使える時間が他部より遥かに多い。

 時代遅れのやかましい監督もいないから最高に自由でストレスのない部活なのだが、なぜ人は帰宅部を選ばないどころか陰で嘲笑するのだろうか。帰宅部以外の部活が有意義ではないというわけじゃないが、家が一番だろう。


 そんなわけでクラウチングスタートをきめて廊下に出ようかと考えていたところに赤草先生が教室に現れた。


 赤草美月あかくさみつき


 保健室の住人、いわゆる「保健の先生」ってやつなのだが、あの人は――いや、あのお方はとんでもない美女なのだ。

 俺は赤草先生を視界に入れる度、あの柔和な雰囲気と美貌に文字通り釘付けとなり、先生を目に焼き付けるだけのロボットになる。きっと先生の香水は人を惑わす危険な成分がたっぷり入ってるに違いない。ちなみにその匂いを吸い込んで肺に収納しているのは秘密だ。


 先生はコツコツと靴音を鳴らして、帰ろうとしていた俺のもとへと歩み寄ってきた。


「彗くん。帰るところ?」

「そうっすけど」

「ちょっと来てくれる」


 袖を掴まれて教室を出る。


 知っている。

 これは駆け落ちってやつだ。禁断の恋ってやつだ。


 年齢なんて関係ないとカッコつけたいところだが生徒と教師の駆け落ちは教育委員会で激論が巻き起こり、やがて夕方のニュースで報じられることになる。出来るならばこっそり交際したい。


 俺の隣の席はずっと空けておきましょう。

 生まれてこの方ずっと空席の新品同然だから重度の潔癖症だとしても気分良く座れます。


 もちろん先生とそんな関係ではないどころか、そもそも先生に恋人がいるかどうかさえもわからない。

 華やかしい妄想の中、自分がエリート帰宅部員であることを思い出す。帰宅という強い本能が警鐘を鳴らした。


「先生。俺、用事があって早く帰らないといけないんす」

「彗くんが暇なのは知っています」

「それは帰宅部だからこその特権なんです。悪いですけど、残業代要求しますからね。帰宅部の放課後を奪うのは先生の保健室を封鎖することくらい大罪です」

「きみは生徒で、ここは学校。ちなみに先生は残業代もらったことないよ」

 

 闇だ、社会の闇を垣間見た。

 自由を差し出す対価として金をもらうのが社会じゃなかったのか。

 

 先生に言われるがままに連れられながら、俺は自分の無力さを呪った。

 こっちはお客様だと文句をぶつけたくもなるが、親に学費を支払ってもらう立場にあるから問題を起こせば即刻シベリア送りだろう。

 なんて不条理な世の中。

 なんて歪んだ世の中なんだ。


「赤草先生、言うこと聞くんで売店に寄ってもいいですか」

「どうして?」

「好きなパンがあるんです。でも人気商品ですからね。もたもたしてると運動部女子が全部買い占めちゃうんです」

「譲ってあげなさい。彗くんは帰宅部だからカロリーいらないでしょう?」

「帰宅部が運動部に譲るなんてプライドが許せないんですよ。あいつら最近は対抗心がさらに強くなりましてね。肘で殴ってきたり、足踏みつけてきたり、でけえケツで押してきたり、俺の生命活動を止める勢いで攻撃してきます。そして気付いたらパンがない。敗北です」


 赤草先生は俺の一言一言を全て無視した。

 別に気にしない。先生に触られているだけで幸せの絶頂なのだ。生理的に無理という絶望の壁が俺と先生との間にそびえ立っていないとわかっただけで人生勝ち組と言える。


「彗くん、ここね」


 散々引っ張られた先に待っていたのは図書室だった。


「読書会でもするんですか。気持ち悪いセミナーとかやめてくださいよ」

「ここにあの子がいるはずよ」

「幽霊とかオカルトも信じてないです」

「オカルトよりも厄介だから安心して」

「微塵も安心できませんね」

 

 わけもわからぬままに図書室の引き戸を開けた。

 静かな空間。

 本を読む人間が減っているのはこの図書室を見てもわかる。同時に5人いれば多い方。趣味の幅が広がりすぎた現代は昔と違って選択肢の数が違う。

 

「あそこよ」


 赤草先生が指さす先にはとある女子生徒がいた。

 意志の強そうな引き締まった表情、長い黒髪、ピンと伸びた背筋、そしてあの冷血なオーラ。

 俺でも知っている生徒だった。


日羽ひわアリナ……」

「そう。彗くんには彼女の相手をしてほしいのよ」


 俺はひそひそ声で話した。


「いやいや無理ですって! 先生、あいつのこと知ってます!?」

「知っているからこそよ。彼女、口には出さないけど悩んでいるの」

「俺死にますよ。絶対殺されますよ」

「大丈夫!」

「どこが大丈夫なんすか! これが大丈夫なら今ごろ世界は戦争も飢えもなくなって地上は楽園だらけだ!」

「ううん、先生、彗くんのこと信じてるからっ!」


 ウインクする赤草先生。そんな魅惑的攻撃で俺が揺らぐとでも思っているのか。

 俺は銀河系最強とも名高い帰宅部員。

 タンパク質と水と脂肪の塊でしかない類人猿の聞き苦しい声が、俺の鼓膜を振動させられるとでも思っているのだろうか。


「まぁ、しょうがないっすね」


 美女にお願い事をされたら断れるわけがない。

 こんなドキドキは初めてだった。きっと心不全だ。

 俺が了承すると赤草先生はそそくさと図書室を出て行った。残りの仕事があるのだろう。今一度先生の残り香を吸った。天国が見えた。

 俺は赤草先生のお願い通り、日羽アリナに接近した。


 日羽アリナ。


 彼女を一言で表現するならば「猛毒の薔薇」だ。


「あー。どうも」

「……」


 予想通りの無視。俺は続けた。


「いきなりで悪いが、赤草先生の頼み事で――」

「消えて。気持ち悪いわ」


 開始数秒で俺は嫌われた。しかも気持ち悪いだって?

 俺は優秀な帰宅部員としてそれなりに身だしなみを整えているはずなのだが、気持ち悪い、と。きみの眼球が汚れているから世界が気持ち悪く見えているんじゃないのかね。

 しかしここで引き下がるような男ではないのが榊木彗だ。


「聞こえなかったかしら。気持ち悪いから消えて」

「消える? 生憎だがテレポートできねえ身体なんだ。だが勘違いするな。まだできねぇだけだ」


 日羽アリナは眉間に皺を寄せて俺を睨み付けた。

 このお嬢さんは冗談が嫌いらしい。コミュニケーションには笑いがないとスムーズにいかないと知らないのだろう。無知なお嬢様だ。


「あんた誰?」

「俺は榊木彗だ。隣のクラスで帰宅部員として有名だな」

「知らない。汚いドブネズミをいちいち覚えるわけないでしょ」


 そう、日羽アリナはコミュニケーションが壊滅的だ。だが彼女の容姿は校内一というか、ユーラシア大陸一かもしれないほど美しく、しかも頭脳も大変よろしい。

 薔薇と呼ばれるのも納得できる。


 俺は幾度も日羽アリナに告白して玉砕する男を目撃した。

 あれだけ美しければ気がおかしくなるのも理解できる。俺も日羽アリナは綺麗なやつだと思っている。


 気がおかしくなったやつらは衝動を抑えきれず彼女に愛の告白をするわけだが、当然成功しない。告白が成功した日はきっと世界が終わる日か、終末前の最後のプレゼントだろう。神からのな。

 

 その告白と撃沈のやり取りが面白いものだから、ある日、俺はこっそりその現場を覗いた。まだ成人ではないから酒ではなく、片手にトマトジュースを持って楽しませてもらっている。


 日羽アリナはたまに中庭のベンチに座って読書をしている。

 そこへ花の蜜につられた虫のようにふらふらと男がやってくる。血肉を求めて徘徊するゾンビにも見える。

 男は愛を囁く。付き合ってほしいだとか、好きですと伝えるだけだったり、あるときは土下座して奴隷に志願する男もいるらしい。

 男からのアプローチは様々だが、日羽アリナの回答は決まって拒絶だ。


「気持ち悪い。あんたを見ると潰れた害虫を思い出すわ」


 大好きな子にそんな破滅の呪文みたいな台詞を言われたらきっと脳は壊れる。

 もし赤草先生に似たようなことを言われたら、俺はトマトジュースを飲んで寿命を伸ばすという死との戦いを放棄し、ありったけのトマトジュースを飲み、赤い海の中で自死を選ぶ。

 

 彼女は口が悪い。どうしようもなく口が悪い毒舌少女だ。

 

 それが原因で周囲との空気が合わずよく問題が起きる。風の噂で耳に入ってくる。またアリナが女子と口喧嘩してる、と。


 この毒舌少女を更生するのが俺のミッションだろう。


 彼女の相手をして、と赤草先生は言っていたが、友だちごっこをしろということではないことくらい俺にはわかっている。

 生徒思いの先生のことだ。この毒舌をどうにか和らげて周囲と溶け込めるようにしろってことだろう。

 赤草先生が俺を抜擢した理由が少し気になるが、んなことは気にすることではない。赤草先生が俺を選んだ。その事実だけでいい。その事実だけで俺の脳内はハッピーセットだ。

 俺も例外でないように男子高校生は綺麗なお姉さんに弱いのである。


「アリナさん、とりあえず座ろうか。話をしよう」

「イヤよ。帰るわ」


 おや、貴様も帰宅部か。

 期待の目を彼女に向ける。対する彼女の目はゴミでも見ているかのような侮蔑のこもった暗黒の眼だった。


「まずは話そう。赤草先生に頼まれてるんだ」

「しつこいやつね。あんまりしつこいと殴るわよ、クズ」

「お前を更生させるためなんだよ、毒舌薔薇。座りやがってください」


 俺は席を引いて座るよう促した。

 しかしこの三ツ星ホテル級のサービスをしてもなお、アリナはキッと睨み付けて警戒した。

 あぁ、理解した。こいつは勘違いしているんだ。


「おいおい勘違いするなよ。俺はお前なんか狙ってないし興味すらない。将来は独身貴族が夢だからな。自由は最高だ!」

「吐き気がする。あんたと話すくらいなら便器を舐めてたほうがマシね」


 なら今すぐ便所に行ってその舌で綺麗にしてこい、と言いそうになったが俺はエリートな帰宅部員なので口から出かかった紳士的でない言葉を胃に落とした。

 座る座らないの攻防戦はまだ続くかと思いきや、なんと彼女は座った。もしかしたらこいつも赤草先生に弱いのかもしれない。


「ホント面倒だから早くして」

「喜ぶがいい。お前の口の悪さを治療しにきた」

「……は? 大体あんた誰なの? ホント煩わしいから邪魔しないで。あんたみたいな調子乗った男子だいっきらい。相手するだけ無駄だったわ」

「そうもいかない。あの赤草先生に直接『アリナさんをお願いします』って言われたんだ。先生の頼みごとは無下にはできない」

「な、なんで先生が……」

「お前が逃げても地獄まで追いかけるからな。先生との約束は絶対だ」


 彼女は黙りこくって俯いた。やはり赤草先生に弱いのだろうか。


「……わかったわ」

「マジ?」


 もっと苦戦するかと思っていたから肩すかしもいいところだ。


「納得したならいいが。じゃあこれからお前を――」

「ちょっと待って」

「何だ」

「その『お前』ってやめてくれる? ムカつくから」


 神経質なやつだ。カルシウム不足だろう。


「とにかく俺は君の口の悪さを治す。そして君はそれを有難く了承する。そういうことだ」

「何それ」

「俺もよくわからんが多分そういうことだろ、赤草先生に頼まれたことは。詳しくは最寄りの市役所にお問い合わせください」


 日羽アリナは冷たい目で俺を睨んだ。

 こいつジョークを知らないのか? 指切りげんまんとか、本気で針千本飲むタイプの人間だろう。


「で、了承すんのか? どうなんだ?」

「……するけど、あんた私に気でもあるの?」

「さっきも言ったけどな、ホモサピエンス。お前に興味なんかねーし、俺は年上好きなんだよ」

「お前って呼ぶなって私言ったわよね」

「いや話を――」

「言ったわよね?」

「……はい、すみません」


 しまった。威圧に負けて謝罪してしまった。俺が頭を下げる相手は妹だけだと決めていたのに。

 日羽アリナは勝ち誇ったかのように鼻で笑い、席を立って図書室から出て行った。


 最悪の出会いだった。

 今後どうなるかはわからないが、とりあえずやってみるだけやってみよう。

 その後、俺は帰宅部らしく爆速で家に帰宅した。

 

 毒舌薔薇と帰宅部員の奇妙な生活の始まりだ。

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