わたしの愛した彗星

水埜アテルイ

プロローグ

わたしの愛する彗星

 彗星は身を焦がしながら尾を伸ばし、太陽のもとへやってくる。

 何年、何十年、何百年、あるいは100万年という途方もない時間をかけて彗星は再び太陽に会いに来る。


 太陽は、そんな長旅を続ける彗星を容赦なく焼いてしまう。久しぶりに会いに来たのにひどい仕打ちだ、と彗星が嘆いても、太陽は耳にも入れず闇一辺の宇宙に光を放ち続ける。苦しみながらもなんとか近づき、太陽に挨拶し終わったら彗星は再び長い旅に出てゆく。

 わかるでしょう、彗星と太陽は特別な関係であると。


 私と彼の物語はあの図書室で始まった。


 時計の針は17時を指していて、窓から差し込む穏やかな秋の夕日が日焼けした本たちを照らしていた。

 指の腹を滑らせ、埃を落として固い表紙を開く。何という本だったか覚えていない。ただ苛立った気を静めるための気休めだったから意識していなかった。


 当時の私は読書が、学校での唯一の楽しみだった。


 だから、あの日、あなたが話しかけてきたときは驚きと、困惑と、腹立たしさと、それから小さな期待が胸に沸き起こった。変わり者で有名なあなたが、もしかしたら私の何かを変えてくれるかもしれないって、そう思った。


「私は変わったわ」


 ここは寂しい。あなたの心電図の音しか聞こえないもの。

 鐘の音も聞こえなければ誰かの話し声も聞こえてきやしない。清潔感のある真っ白な病室で、まるで童話の「眠れる森の美女」みたいにあなたは平穏の中で眠っている。

 どんな夢を見ているのだろうと時々考える。

 またいつもみたいに冗談を言って誰かを笑わしているのかしら。

 そうだとあなたらしくて安心する。

 だからね、だからね、と私は心の中で何度も繰り返し、あなたの耳にこう届ける。


「早く、起きなさいよ……」


 どれだけ涙を流してもあなたは目を覚ましてくれない。


 そんな彼と私の物語。


 私が死ぬまでの物語。


 わたしの愛した、彗星の物語。

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