わたしの愛した彗星

第2話 ふたりの教室

　帰宅して夕飯をとっていると妹が帰ってきた。

　中学生が高校生より遅いなんて不健全だ。心を鬼にして叱ろう。

「遅いぞ、宇銀（うぎん）。もう暗いじゃねーか」

「兄ちゃん部活入ってないじゃん。私が遅いの当たり前なんだけど」

「確かに。すみませんでした」

　部活に入らなかった理由は面倒なこともあったが、その前にうちの高校は運動部がガチすぎる。みんな宮城県内一位を目指して血眼になって日々健闘している。

　本気でスポーツをやる気がない俺が入部したところで周りの熱気でくたばるし、部員は迷惑を被る。文化系も正直つまらなそうな部ばかりでやめた。文化部が悪いというわけではない。単に興味をそそられなかった。

　帰宅部という入部届不要かつ遠征の費用もかからない素晴らしき部に入部したのは必然であった。

　帰宅部は限りなくホワイトだ。

　帰宅部以上のホワイト部活があるなら是非とも教えてほしい。

　非人道的な激しい運動の強要や体罰などで問題になるブラック部活の話をたまに耳にする。本校にそのような悪の温床が根付いているかは不明だが、苦しくなったらいつでも帰宅部に来い。味方は全国にいる。入部する時のように顧問に「退部届」を提出すればすぐに帰宅部員だ。

　自室に戻り、冷静に考えるとこれは面倒なことになったと激しく後悔した。

「ダルすぎだろ」

　ベッドの上で悶える。

　赤草先生を想って引き受けたが、これはかなり面倒だ。最上級に面倒だ。そもそも帰宅部としての時間を失うじゃないか。本末転倒だ。

　これからどうしよう。

　俺はネットで毒舌の治し方を調べた。

　大量にヒットし、信用に足りそうなものを読んでいく。

　何をやってんだかと思いながらも読むしかない。あいつのためじゃない、赤草先生のためだ。失敗したら「期待してたのに残念……」と先生は光の無い目で吐き捨て、もう一生話しかけてくれなくなるかもしれない。そんなの世界の終わりだ。

　調べに調べ、スマホを閉じた。

　ようは本人の自覚と改善する意思が前提ということだ。

　この2つが彼女に備わっているかは会話して一日も経っていない俺には確かめられない。

　だから明日からだ。

　放課後がやってきた。

　今までのようなバリバリの帰宅部員の俺なら何も予定が無い限り光速で帰宅する。

　が、俺は今日から始まるアリナ更生プロジェクトのため帰れない。今日から放課後は元職員室に通わねばならなくなったのだ。

「彗、今日はやけに早いな」

「ちょっと用事がな」

　鷹取真琴（たかとりまこと）。

　バドミントン部所属の彼は頻繁に俺と話す。高校１年の時に同クラスで一緒だった彼とは２年生でも同じになった。新しいクラスメイトばかりだったから最初はこいつとよく一緒にいた。今でもよく喋る。

「即帰るほど切羽詰まってるのか」

「いや、帰らん」

「勉強？」

「込み入った話でな。いつか話す」

　彼に話すのは少々酷である。なぜなら彼も一度日羽アリナに告白した人間だからだ。苦い思い出をフラッシュバックさせたくない。

　元職員室に行く理由は、昼休みに先生のもとへ行ってできた理由だ。

　４時間前、昼休み。

　職員室に入り、来た理由を述べて赤草先生の席へ行く。

「先生、あの口の悪いやつのことなんですけど」

「仲良くできそう？」

「正直自信ないっす。相談がありまして、使っていい場所とかありますか？　いやその前に俺がやるべきことってあいつの口をお行儀良くするってことで合ってます？」

「さすがは彗くん。そう、アリナさんの口調を柔らかくするのが彗くんのお仕事」

「かなりキツい仕事っすけどね」

「それで、場所っていうのは？」

「あの口を治す上で場所がほしいんです。放課後にあいつが学校の外で会ってくれるとは思えないし、かと言って校内で２人っきりを目撃されるのもマズイじゃないですか。なので人目のつかない場所というか、誰も使ってない教室とかあったらそこで任務を遂行したいんです」

　先生は視線を宙に向けた後、すぐに口を開いた。

「元職員室が空いてた。ちょっと待っててね」

　席を立った先生は鍵を持って戻ってきた。

「これ、彗くんに預けます」

「いいんですか？」

「無くさないように気をつけてくれれば大丈夫。鍵のチェックとかはないから安心して。ほとんど人が寄りつかない階でもあるし、ここが最適でしょう」

「わかりました。気をつけます」

　その後、教室に戻る前に隣クラスにいる日羽アリナのもとへ行った。放課後は元職員室で集まるとの旨を伝えるためだ。

　窓側の椅子で外を眺めて黄昏れている口の悪い美少女へと近づき、端的に伝えた。

「キモ」

　俺はめげず、にやけ面を保った。

　こいつに対抗する手段として、俺は「いや、全然効いてないけど？」といったノーダメージの雰囲気に努めると決めた。日羽アリナがあーだこーだ口を尖らせても、イカれたふりしてた方が俺は精神的に楽だし、対する彼女はやりきれない気分になるだろうからだ。

　伝えることは伝えた。

　あとは彼女が選択する。来るか来ないか、それが運命の分かれ道だ。

　という一件が昼休みにあり、そして放課後の現在に至る。

　元職員室に着くと俺は顎が外れそうなくらい驚いた。

「何よ」

　日羽アリナが既にいた。しかも掃除をしている。

「まさか来るとは思っていなかったから今日は掃除をして終わろかと……」

「あんたがやりなさい」

　ほうきを俺に投げ渡し、ふんっと腕を組んで机の上に彼女は座った。行儀が悪いったらありゃしない。

　俺は室内に秩序を取り戻すため掃除を開始した。

　とりあえずスペースを確保するために配置を決め、長机や椅子を室内の中央に移動させた。

　読書に勤しんでいるアリナをしっしっと手で払うとムスッとした顔で「むかつく」と俺を威嚇した。が、素直に避けてくれた。意外と素直に聞くもんだなと驚いた。もっと岩石みたいに留まるのかと思ったが、言えばわかってくれるのかもしれない。

　アリナの一般的な評判は「黙ってれば可愛い」だ。

　小川のように美しい長く艶やかな黒髪、ぱっちりの目に白い肌。美しいモデル体型で身長は高め。男からモテる要素を兼ね備えている。女子からは嫉妬の目を向けられているが男からは根強い人気がある。

　ほうきで塵を掃きながらアリナに話しかけてみた。

「お前さ」

「何度も言わせないで」

「はい、すみません。アリナ、どうして来ようと思ったんだ」

　アリナは本を鞄に仕舞い、重く閉ざされた口を開いた。

「赤草先生が関わってるから仕方なく。あんた単独なら絶対にあり得ないから」

　アリナは赤草先生に弱いらしい。自由奔放・毒舌奔放のこいつにも弱みがあるとは意外だ。その弱みはいつか利用させてもらうが、赤草先生にご迷惑になることはしたくない。

　俺が頑張るしかないってことだ。

「まずアリナは俺と会話することから始めよう。安心しろ。俺は毒舌に圧倒されて傷心するような柔な男じゃない。赤草先生は俺のその性格を見込んで選んだんだろうな」

「なんであんたなんかと……」

「ここに来たってことは改善する気はあるんだろ？　今更文句を言うな。それと俺は噂を流したりするようなこともしない。安心しろ」

「噂って何のこと」

「他の奴らみたいにアリナを腫れ物扱いしないということだ。元来、俺はそういうの嫌いでね」

「あっそ」

「お前が想像してる以上に俺は良いやつだからな」

「気持ち悪い。自惚れてるなら身の程知ってから言葉を選びなさい」

「ま、後は掃除が終わったら続きを話そう」

　彼女がここまで敵意むき出しで接するのは何らかの環境のせいだろう。

　私生活を変える権利は俺にはない。結局は自分の問題で他人が無理矢理ねじ曲げていい部分ではないだろう。その線引きはしっかりしておこうと決めた。

　掃除が一通り終わって大分綺麗になったため今日のリフォームはここまでにする。アリナはというと静かに読書している。

　俺はその様子を見ながら「黙ってれば美人なのにな」と心底落胆した。完璧はこの世に存在しないらしい。

「何」

「そろそろ会話をしましょうかね」

「嫌よ」

「会話しないと更生プログラムが始まらないのだよ。まずは自己紹介といこうじゃないか」

　実を言うと日羽アリナについてはキツい性格と悪い噂しか知らない。

　誰もがアリナの美貌に触れようとするが、彼女は毒の棘で返り討ちにするため情報が得られず冒険者たちはバタバタ倒れていく。

　頭の良さはわかりきっている。彼女は基本的に学年成績優秀者のトップ１０位内には必ずランクインしている。

「俺は榊木彗。家族構成は両親と妹が１人。トマトジュースが好きで頻繁に飲んでる。口の回るやつだとよく言われる。部活動は帰宅部だ。好きな学科は数学」

　こんなところだろう。

「次は日羽アリナ様ですよ」

「はぁ……」

　アリナは大きくため息をつき、本に視線を落としたまま続けた。

「日羽アリナ」

　自己紹介は終わった。５文字だけだ。

「じゃあよろしくな」

　俺は手を差し出し、握手を求めた。

　しかしアリナは怪訝な顔をしてまた本を開いた。まさか握手を知らないのか。地球ではこうやって親睦を深めるんだ。

「アリナ。まずきみに必要なのは『会話』だ。コミュニケーションだ。俺がコミュニケーションする機会を持ってこよう。そしてきみはありがたくコミュニケイトするわけだ」

「い、や、だ」

　アリナは冷たい表情で拒絶する。

「俺には赤草先生に報告する義務がある」

「……わかったわ、クズ」

　赤草先生というカードが強すぎる。

　先生は一体アリナに何を吹き込んだんだ。先生の名前を出すとアリナは途端に萎れた薔薇になる。しかしこれは使える。

「今日はこのくらいでいい。明日の放課後は動くぞ。セカンドコンタクトは終わったことだし、改めてよろしく。何かあれば隣クラスの榊木彗にご連絡を」

「そ」

　彼女は席を立って出て行った。

　夕暮れには早いが、窓外には赤く焼けた美しい夕焼けが空に広がっていた。

　あいつの頭に隕石が落ちてくることを祈って、俺も帰宅した。