魔女の遺骸

ヘイ

凍雪の魔女

 深い雪だ。

 吹き荒れる豪雪に視界を阻まれ、頬が火傷してしまいそうなほどに痛む。

 ざっざっ。

 深く降り積もった雪の砂漠を防寒具を着込んだ男が腕を盾にするようにしてゆっくりと進む。靴の中に浸入してくる雪解けの水は先程まで多大な不快感を掻き立てていたというのに、今となってはそんな物も感じさせはしない。

 足の感覚は麻痺の症状を見せ始めていた。感覚が薄い。冷たいのか熱いのか。濡れているのか、どうなのか。よく分かりもしないまま、足は折れてはいないのだと男はひたすらに足跡そくせきを付ける。

 踏み込む度に足は深く沈み込む。足を上げる度に雪はぼろぼろと崩れる。

 

「はっ……、はっ……」

 

 空は白が隠してよく見えない。

 ただ、太陽がないことだけは明らかだ。空は暗い。星も月も見えはしないが黒板に白墨チョークの線を走らせたかの様に雪の粉は映える。

 

「はぁっ、はあ……」

 

 男は歩みを止めない。

 鈍重な歩みで雪原を進む。ただ歩くことだけを目的としているのか。何が彼を突き動かすのか。

 

「ここだ……」

 

 男は漸く、動かし続けていた足を止めた。銀世界の中央、かどうかは分からない。ただ周囲には何かがあったわけではない。

 東方西方、森林が茂る。

 前方後方、雪が覆う。

 

「ここだ」

 

 霜焼けなどお構いなしと両手で足元の雪をかく。円匙スコップの一つでも有れば、こんな痛みを覚えずとも済んだことだろう。

 だが、無い物強請りをした所で仕方のない話だ。

 

「はぁ、ふっ……」

 

 男の手は赤く腫れる。

 痛みと痒みに耐え、目標が此処にあるのだと言う確信を抱き一心不乱に掻き分ける。

 

 コツッ。

 

 男の指先に硬い物が触れた。

 

「あっ、た……」

 

 男の顔に浮かんだのは喜びだ。

 此処までの苦労もこの瞬間の為にあったのだ。そう思えば、男にとっては何もかもが報われる。雪を退かす手が早まる。

 そして、現れたのは黒色。

 箱だ。

 黒色の人一人が足を伸ばして入ることのできるほどの箱。

 

「見つけたぞ、凍雪とうせつの魔女……」

 

 箱の中には女物の黒の衣服に身を包んだ、異形。人の形をしているが顔からは触手が垂れている。光を失った赤の瞳が九つ。顔の色は透明感のある青色をしている。

 白の花が魔女の身体を包むように敷き詰められている。

 どこか幻想的。

 どこか狂気的。

 美しく、そして悍ましく。

 

『北東北地方を豪雪地帯に変えた災厄の魔女。死して尚、その猛威を奮う』

 

 位置としては青森県十和田市。

 十和田湖付近ではあるが、今となっては湖も生態系も見る影の無い、ロシアのツンドラを思わせるほどの大寒地獄。

 最早、それ以上かも知れない。

 肌を刺す雪の華は刃の様に鋭く、それでも体の内側に籠る熱は先程以上で心臓をドクドクと打ち鳴らす。

 

「…………」

 

 棺に眠る凍雪の魔女は死んでいる。

 だが、この現象が引き起こされてしまったのは彼女の体が十和田湖付近の龍脈から得られる力の出力を変えてしまったからだ。

 魔女の身体は神秘性に満ち溢れている。大気に流れる魔力と呼ばれる物を掻き集め、出力する装置となる。

 今回は彼女に最も適した氷の力となって。

 

「ここか……?」

 

 男は右手を懐に入れ、短剣ナイフを取り出した。単純な構造の何の変哲もない短剣だ。警察官に見つかりでもしたのであれば、現行犯逮捕されてしまう様な刃渡りの長さの短剣。

 逆手に持ち、空いた左手で魔女の胸のあたりを探る。服の上からしこりの様な物を見つけ出し、彼はそこに短剣を勢いよく振り下ろした。

 

「ぐっ……!」

 

 バキンッ。

 

 何かが割れる。

 瞬間に魔女の身体を中心として突風が吹き荒れる。男も風に巻き込まれ吹き飛ばされてしまい、深い雪の中に投げ出されるが直ぐに身を起こして魔女の棺を確認する。

 

「……石の破壊を確認。これで終わりか」

 

 ヘタリと男は尻餅をつく。

 思い出してみれば今更ながらに手が痛む。足の方の不快感も。

 

「酒飲みに行こう……」

 

 次第に雪も溶けていくはずだ。

 仕事を終えた達成感から思わず男性の口からは思わずと言った調子に声が漏れた。

 

 

 

 

 

「どうだった?」

 

 秋田県大館市。

 雪の降り積もる中、営業を続ける酒屋に先程の男はいた。木の椅子に一人座っていると、男の見知った顔が現れる。

 

「ん、石のかけらだ」

 

 無造作に防寒具の衣嚢ポケットに入れていた氷の様な透き通る水色の結晶を右手に取り出した。掌に乗るのは僅かな欠片だ。一片いっぺんでも証憑としての価値はあった。

 

「これは?」

「凍雪の魔女の心臓近くにあった石のかけら……。触ってみろよ、冷てぇんだ」

「どれ」

 

 椅子に座るなり手袋を取った左手で男は欠片に人差し指の先を触れる。

 ピリ。

 微弱な電流が走る様な感覚だ。

 

「っ」

「これで証拠になるだろ?」

「あ、ああ」

「……ほら、なら出すもんがあるだろ」

「これで良いか?」

 

 差し出されたのは束になった裸の一万円札。厚さから見ても二百万はあるだろう。それを大切そうにするわけでもなく防寒具の衣嚢ポケットに仕舞い込む。

 

「では、僕は帰るよ」

「ああ」

 

 男は興味もなさげに聞き流し、出ていくのを見送った。

 

「お客様、熱燗です」

「ん、どうも」

 

 冷え切った身体には熱燗が染み渡る。秋田に来たのも酒を飲むに丁度いいと感じたからである。十和田湖の近くでは辺りは雪にまみれ、営業をするわけにも行かなかったのだろう、多くの店が閉まっていた。

 そこでやってきたのが大館である。

 

「あったけぇ」

 

 汲んだ熱燗をくびりと口に流した。

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魔女の遺骸 ヘイ @Hei767

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