第二章

プロローグ1 望月の独り言 ――新しい日常の始まり――

 若君に話したいことがあると言われたのは三月の終わり。確か二十九日あたりだったはずだ。

 珍しく、この窓口まで来てそう言われたので、何かあったのかと思い、緊急かたずねたら、彼はすこし考えた後に手が空いたらでいいと言った。

 確かに、そう言った。


「急いでもどうにもならないというか、変わらないので大丈夫です。ただ、お話ししたいだけなので」


 そう言った若君は口調ものんびりしていたので、私はその言葉を真に受けて、あれから十日近く経ってしまった。

 そのことを今、とても後悔している。

 今、私の手元には、また笠雲からの伝書鳥がある。

 内容は至極簡単で、夕の道具屋で注文してあるものを持って、至急秦家に行くこと。

 夕の道具屋というのは、こちらの業界御用達の道具屋の総称で、数は少ないが全国に点在している。普通の人から見たら錬金術かと驚くような不思議な効果や使用用途の道具を作成、販売している。

 そんな道具を持って行けということは、もちろん、秦家に何かあったということだ。

 透さんは、本当にのんびりしている。

 絶対に、大丈夫ではなかったのだ。

 開いた伝書鳥を手に固まっていると、同僚たちがこちらをちらちらと見ているのを感じた。


 先週あたりから、この地域のイキモノが騒がしい。不審な物音、急に奇行をするようになった人、妙な現象。イキモノがらみの報告や相談が急増した。

 この窓口の担当の秦本地区はここ数年平和というか、暇だったのでほんの少し騒がしくなっただけでパンク状態だ。なにせ、渡し守が少ないうえ、普段仕事が少ないからほとんどほかの地域に出払っている。渡し守を呼ぶまでもないレベルのイキモノトラブル対応用の備品も足りず、すぐに底をついた。ちょっとしたお守りやイキモノ除け、お清めするための水など、準備があればたとえ渡し守がすぐに対応できなくても、時間を稼げるし、それだけで解決してしまう場合がある。

 でもそれすらすぐに底をついた。

 普段の備えが少なすぎたことと、依頼が異常に急増したこと。そして、はっきり言えばたるんでいたことも原因にあげられるだろう。

 そんなわけでパンクしている。

 つきかけたため息を飲み込んで、同僚ににっこりとしてみせた。


「大丈夫ですよ、お咎めとかじゃなくて、目としての仕事の依頼があっただけです。ほら、ここは人手不足だから」


 それを聞くなり、みんなから安堵のため息がもれた。


「てっきり、その、備え不足とかいろいろ、うちにお咎めがあるのかと思っちゃったよ」

「この秦下地区自体にペナルティとかね」


 みんな口々に話し始める。伝書鳥に息を吹きかけて、紙が崩れてなくなるのを見届けてから会話に加わった。


「本当なら三日前にヘルプで一人来るって話じゃなかったですか?」


 同僚に交じって仕事をこなしていた地区長に声をかけた。今は管理職である地区長ですら一戦力として働いている。依頼の受付と傾向の分析、渡し守の手配、スケジュール管理、依頼の深刻度判断と振り分け、備品調達。少し離れたところの神社の神主から呼び出されて依頼を3件も受けて、15分前に戻ってきたばかりだ。顔を上げた地区長は遠い目をしたあとにうなずいた。


「そうなんだけどね。なんでも変わり種の人で、たしか仕事で足を怪我してリハビリも終わったのに」

「ちょっと無茶して、特別製の義足ぶっ壊しちゃったんです」


 突然の女性の声に入り口を見ると、車いすの若い女性がてへ、っと頭に手をやって笑っていた。依頼でイキモノに襲われたのだろうか、右足のひざ下から欠損している。綺麗な頭蓋骨の形をした、ベリーショートの赤毛がよく似合う元気そうな女性だ。随分と細いが、やせているというより引き締まっているという感じで、野生動物のしなやかさを感じさせる。


「ちょっと絞られて、あちこち顔出してお詫びと書類提出して、遅くなりました。いろんな技術詰め込んだ道具屋特製の義足を復帰後一カ月で壊しちゃって。あれ、高額だったらしくてしばらく補助金も出せないって怒られてきました。今日からここでお世話になります。一花です。渡し守ですけど義足待ちなのでしばらくは鴉として、よろしくお願いします」

「渡し守っ! 地区長! やりましたね!」

「これで救われる!」


 みんながわらわらと女性のもとに歩み寄って握手祭りになっている。義足待ちということだが、渡し守ということはイキモノに対応できる力は持っているのだ。今溜まっている依頼の原因を確認してもらえるだけでも仕事がスムーズになる。なにせこの窓口でイキモノが見えるのは私しかいなかったのだ。

 本当は現在何も仕事を担当していない秦家の若君も動けるのだが、あそこはこの秦下地区暗黙の『触れるな危険』対応が決まっているので、極力みんな近寄らない。秦家の一番の仕事は、常世と現世の境目であり出入口でもあるを守ることなので屋敷にいてくれるのが、何よりなのだ。

 一花と名乗った女性は、口を大きく開けて楽しそうに笑いながらみんなと言葉を交わしている。疲れ切った雰囲気が漂っていた事務所全体が明るくなったような気がした。



 笠雲からの指令が最優先ということで、仕事山積みのみんなに頭を下げながら道具屋に向かった。

 窓口からは電車で一駅、三十分離れた住宅街の一角にある、小さな雑貨屋という雰囲気だ。北欧テイストなモノが多く、おしゃれで落ち着く空間になっている。これは表向きだが、こちらの商売も比較的順調らしくいつ来ても店内にはお客さんの姿がある。

 私がドアを開けて顔をのぞかせると、レジ居た若い女性の店員さんがにっこりと笑って手招きしてくれた。


「ちりちゃん、真宮さんは?」

「店長は今、裏で道具作り」

「じゃあそちらに顔出しましょうか」

「あ、大丈夫です。用意してあるので」


 そう言いながらカウンターの下から、紙袋を出してくれた。小さい紙袋には、数種類の物が詰め込まれているみたいだ。


「これ、望月さんに渡すように言われている物です。望月さん見える人だし常連さんだから、大体わかると思うって店長言ってましたけど、詳しい説明も入れておきました」


 入っていた手書きの説明書きを見るなり、頭を抱えたくなった。

 入っているのはお札やらお守りといった定番のものや小物も入っている。お札類は、大体はイキモノ関連で不調をきたした人間用。それから封印だのなんだのと書いてある。

 透さん、門に異変があるのは大丈夫ではないんですよ。

 思わず内心そうつぶやきながら、ちりちゃんにお礼を言って早歩きで秦家に向かった。


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