エピローグ 望月の独り言 ――暸一との出会い――

 笠雲からの指示通り、猫屋敷に赴き若君と世間話をして鬼子が来るのを待っていた。今日は鬼子の卒業式の日で、直接来るらしい。


「何をあげるんですか」

「あげるって、何をですか」

「だからそれを聞いているんです」


 差し入れの焼きたてのせんべいを自分で食べながら、卒業祝いを聞いてみたら、妙な回答が返ってきた。この様子だと用意していないようだ。


「私は、親せきの子供の中学から卒業祝いを贈ってますよ。透さんも何か用意しているのかと思って」

「卒業祝いですか、考えてもみませんでした」


 いつも微笑んでいるような優し気な目が、わずかに驚いたように見開かれている。


「今からでは間に合わないですね」

「これから生活を一緒にするんですよね。入学祝いでもいいんじゃないですか。誰かにちょっとお使いを頼んでは?」


 そう言って、私は目線を庭に向ける。

 庭先には猫の姿のイキモノがのほほんと日向ぼっこしている。若君はあまり力がないので、どの子も契約しているわけではない。若君の清々しい気配や本人の気質を気に入って住み着いているのだ。大体は猫又あたりだろう。長生きした猫。もしくは常世生まれのもともと猫又のイキモノ。中には猫の形をしている全く別のイキモノを混じっているが、人の言葉はわかるし、三割は人の言葉を話せるし、半数は人に化けることもできるはずだ。


「いえ、万が一イキモノだとばれては困りますし。組織にもあまり記憶を刺激するようなことはしないように言われています」


 若君はそう言うと、少し淋しそうに微笑みながら、縁側に腰を下ろした。


「望月さんは、今日も愚痴でも言いに来たんですか」

「そんな、人聞きの悪い。まあ、ちょっぴりのんびりしたい気持ちは隠しませんが」


 私が微笑んで見せると、意外にも若君はあきれもせずうなずいた。


「正直、今日は緊張しているので、望月さんが来てくれてちょうどよかったです」

「お役に立てたなら何よりです」

「ところで、良いんでしょうか。特に組織からの依頼もないのにお給料だけいただいていますが」

「何言ってるんですか。秦家がここにいることがすでに十分意味があるんですよ」

「門番を務める知識もなくてすみません」

「実際、門のあるところにあなたがいる、それだけで十分役目を果たしています」


 若君は、申し訳なさそうに軽く眉を寄せてこちらを見ている。整った顔なだけに、それだけで憂いを帯びた青年になる。もうすこし外に出たほうがいいと思っているのだが、これだけ整った顔だとむしろ外に出さないぐらいがちょうどいいのかもしれない。

 私は思わず苦笑いをしながら、若君が気にしないように手をひらひらと振った。


「何か文句があればすぐに言ってきますよ。特にだれも言わないなら透さんは十分役目を果たしているということです」


 私がそう言うと、若君と契約しているヤグルマが、それまで猫らしい態度をしていたのに、まるで人間の様に姿勢正しく体を起こした。


「そりゃ、私たちがここの出入りのすべてを見張っているもの」

「ヤグルマ、今日はしゃべらない約束でしょ」

「いいじゃない、望月の前なら。何せ、これ以上は本当に今日は話せないわけだし」

「どういう意味」

「お客様がついにやってきたって意味よ」


 そう言うなり、ヤグルマは再び気ままな猫のように目を細めて気持ちよさそうな顔で寝そべった。

 廊下の方から足音が聞こえてくる。ついに鬼子とご対面か、と若君の方を見ると困ったような顔で私の方を見ていた。


「どうしたんですか。お兄さんも一緒なんでしょう。直接話すのが緊張するならお兄さんと話すようにしていれば何とかなりますよ」


 ほとんど猫屋敷に引きこもり、イキモノばかりと接しているせいか、人と接するのを億劫に思っているところが若君にはある。そのうえ今日来る鬼子のことを、若君は心底大切に思っている。だが、近寄ってはならないと思ってもいる。

 もう一声かけてあげるべきか迷っていると、廊下につながる障子が開けられて若君をもうすこしがっしりさせて、眉と顎を大きくしたような男性が入ってきた。


 その後ろに、例の子供がいた。


 もう見るまでもなく、その異様さは肌で感じられた。

 人ではなくイキモノと言われた方が納得がいくような、奇妙な気配をした子だ。若君に感じるような、清められるような清々しさも感じるがそれよりも異様さが際立っている。

 あくまで私の場合だが、常世のイキモノは現世とフィルター一枚ずれてしまったように、ぶれていたり距離感がおかしかったり、色彩がおかしかったりして見える。また渡し守のように力のある人間も同様で、普通の人たちと見え方が違う。透さんに関していえば、ほとんど変わらないが、木漏れ日のような光がちらちらと体の周りに見える。

 だが、目の前の鬼子に関しては、封印されているせいかごく普通の人間に見える。なのに明らかに気配が違う。人間としてとらえるとひどく希薄なのに、存在感は圧倒的でそこにいるヤグルマのようなイキモノたちに似ているがそれらをかき消すほどに強い。うまく言葉にできないのは、私としても初めて感じる感覚だった。

 見た目は年相応の男の子だ。パーマを当てたようなくるくるの髪と成長期を感じさせる細さ。整っているが、若君のような少し近寄りがたい感じではなく、どこか親しみを感じる。あとから入ってきたふくよかな女性を見る限り、そちらの雰囲気が出ているのかもしれない。

 若君がお兄さんと話している間に笠雲にどう報告しようかと考えながら観察していたら、お兄さんがこちらを見て遠い目をしていた。


「秦家のご長男でしたよね。お久しぶりです。覚えていらっしゃいますか」

「やっぱりどこかでお会いしていましたか。すみません、思い出せなくて」

「お母様がご存命の時に会ったのが最後、いや、透さんが仕事を始めたときかな」


 透さんが仕事を始めるとき、大学卒業手前だったこともありお父様に御挨拶に伺ったときにお兄さんもいた。だがたまたま顔を合わせただけなので覚えていないかもしれない。それよりも、私の中では先代が闘病中の病室で顔を合わせた時の方が印象的なのだが、いずれにしろ覚えていないだろう。

 そのあと、鬼子、いや暸一君とも名乗り合ったが、何を感じたのか若君に会話を阻止されてしまった。暸一君の気配に当てられたのと、お兄さんがどこまでわかっているのか探りたくて少し口走ってみたのがいけなかったのかもしれない。もしくは人と会うのは苦手な癖に、勘の鋭い若君が私の仕事について感づいたのかもしれない。



 そのあと、家族の時間になりそうだったのですぐに帰ることにした。

 公民館に向かいながら、果たしてなんと報告しようか、頭の中で整理していた。

 指令では、ただ接触せよ、とのことだったから、接触しました、とだけ報告しようか。それとも、鬼子というより稀人まれびとのような印象を受けた、とそのまま報告して組織中を大騒ぎさせようか。思わずそんなことを考えてしまった。背景も知らせずに命令がくるのはいつのものことなのに、なんとなく反発したくなってしまう。この歳にもなってそんなことを思うのは、やはり秦家をこのまま静かに置いておいてあげたいと思っているからだろう。

 しかし、組織の下っ端として残念ながらそんなことはできない。

 今のところまだ封印が効いているようだと、それだけ教えておけば少しは落ち着くだろう。最も、暸一君と会ったあとでは笠雲が騒ぐのも理解できてしまう。

 封印されているということは、漏れ出ているものだけであの気配なのだ。

 むしろ、組織がよくこの年齢まで放っておいたものだと思う。あんな強力な存在はたとえ人間だったとしても常世と現世のバランスを崩しそうなものだ。そうなれば幽閉ぐらいはしそうなものなのに。


 やはり裏に何かあるのか、そんな風に考えたところで今何が出来るわけでもなく、いつも通り公民館内の鴉の事務所に顔を出して事務仕事をこなすのだった。

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