14. あの日のこと

 ヤグルマはゆるやかに首を振りながら、代表するように疲れた声で言った。


「常世は広いし、こちらのような物理法則は通用しない。ほかにも色々厄介で、人の子一人を探し出すのは大変だと思ったの。私たちのほとんどは常世に詳しくなかったからね。でも常世に入ったら、入り口付近に明らかに何かが入り込んだ痕跡はあったからすぐに透に知らせたわけ。使っていない入り口だったからこそ、見つけられたわけ。だからって痕跡を追いかけて見つけ出すのは大変だったわよ」


 すると、叔父までため息をついた。なんだか居たたまれない。


「私も大変だったんです。私には伝手も知識もない。ヤグルマ達が君を見つけられても君がどんな状態か分からないし、無事連れて帰る方法もよく分からなかった。魂も定着した大人で、力の強くない私はなんの準備もなく常世に行くなんて離れ業は無理でしたから。だから父に頼んで、何とか組織につないでもらって、その場で教わってぶっつけで常世に渡ったんです」

「つまり命がけってことよ」

「あの時は選択肢がありませんでしたから。それで初めて行った常世に慣れないまま、なんとか君のもとにたどり着いたんです」

「それで、出会い頭の透にめちゃくちゃ怒られたんだよ。あれは怖かった。こんなに弱い人間で、なおかつ消耗しきっているのに、この僕に喧嘩を売るのかって驚いたし、負けるはずもない弱さだったけど、気迫がすごくて」

「それだけ必死だったんですよ。私から見たら、とんでもなく力の強いイキモノに瞭が取り込まれたように見えたんです。私では到底太刀打ちできないと分かっていても、命を懸けて取り返す覚悟でした」


 叔父が不意に僕を瞭、と呼んだ。途端に、昔のことが実感を伴って思い出される。

柔らかい、少しハスキーな叔父の声は、小さい頃の僕の道しるべのようなものだった。

 いつも猫屋敷で一人探検したり、イキモノと遊んでいたりすると時間も場所も忘れてしまうことが多かった。でも叔父がどこかで『りょう』と呼んでくれるとすぐに僕は戻ってくることができた。

 僕はとおるちゃん、と応えていつも叔父のもとへ走った。

 再会してから叔父は僕の名前を一度も呼んでいない。

 僕が叔父の名前を呼ばないからかもしれない。


「手負いの獣がまれにすごい力を発揮することがある。あの時の透の気迫はまさにそんな感じで、弱いはずなのに受けて立てばこちらもただじゃすまないような感じがしたね。あの目は、まるで刀みたいだったよ」


 叔父は僕を名前で呼んだことに気が付いているだろうか。

 僕は刀のような怖い目つきの叔父を思い出しながらも、いつもとは違い胸に温かい気持ちが広がっていて、それが恥ずかしかった。


「叔父さんの怖い顔は覚えてる」

「君を連れ戻した後、組織の人や父にも話して、君を少しこちらの世界から引き離した方がいいということになったんだよ。それでよく常世やイキモノの話をしていた相手である僕は、距離をとることにしたんだ。そして組織はここにも近寄りたくないように、ここを怖がるような呪いをかけたんだ」

「でも、それだけじゃ透は不安だったのよね」

「そう。だから、僕のおぼろげな母の記憶とヤグルマの記憶、さらには蔵にあった参考書をもとに、君にさらに封印を施したんだ。十八歳になるまで、イキモノや常世を感じなくなるように、そして、迷子の記憶を封じた」

「ところがそれは中途半端だったの。術をかけるなんて、透はやったことがなかったから」

「それで、瞭はこんなこんがらがった状態だったんだね」


 友達は妙に納得顔でうなずいている。

 どうやら、耳鳴り眩暈頭痛の症状は、封印しきれなかった僕の感覚が常世やイキモノを察知していたかららしい。さらに組織が埋め込んだそれらへの嫌悪感と、叔父の中途半端な封印がこんなことになったらしかった。


「瞭は、力が強いというか、他の人間と少し違うから封印が中途半端に作用したのかもね。もしくは封印が解けかかっているのかも」


 叔父さんはすまなかった、とまた頭を下げている。その気まずそうな表情に、僕はもういいです、と言った。


「そもそも僕を守るための精いっぱいだったわけですし」

「組織のほうの呪いは今日破っちゃったから、もう不快感は感じないはずよ」


 ヤグルマが言っているのは、祠の周りで猫たちが引き裂いていた紙切れのことだろうか。


「もう常世に渡って、僕らのことも思い出したし、透の封印とやらも解けたんじゃない?」

「そもそもは、あなたが暸一を向こうに連れて行ったのが原因ですけど?」


 気楽な様子の友達を横目でにらんで、ヤグルマは冷たくそう言った。


「仕方ないじゃない。僕は人間なんて弱くて短命の者に興味なかったんだ。僕らの仲間であり、夢で渡って来られて、かつ僕と接してもなんの影響も受けないような存在が、常世にいただけで還ってしまうなんてこと知るわけないじゃないか」

「こんな子供の格好をしているけれど、神様としてあがめられるぐらい力のある存在なのよ」


 ヤグルマはあきれ顔でそう教えてくれた。うすうすなんだか凄そうな気配を感じて

はいたが、どうやらかなりの大物らしい。


「だから叔父さん、ずっと丁寧に話してたんだ」

「そうだよ。機嫌を損ねたら、それこそどうなるか分かったもんじゃないからね」


 そんな相手に、叔父は怒ってくれたのだ。僕のために。


「そんなことしないよ。透も暸も気に入っているもの」


 友達は寝転がったまま、にっこりと笑って見せた。


「これで、瞭が早く契約して僕の名を呼んでくれたら言うことないんだけど」


 そう言って笑顔のまま見つめられた叔父さんは、腹の底に溜まっていたものを全て吐き出すようなため息を長々とついた。




 叔父はもう十分もてなしたと思ったらしい。柔らかな物腰ながら手際よく彼を常世に追いやった。彼の方でも、満足な一日だったらしく、祠の方に追いやられても満面の笑顔だった。


「早くみんなに名前を呼んでほしいなぁ」


 僕にはよく分からないが、叔父さんには通じているらしい。叔父さんは笑顔の奥にあるうんざりした気持ちを隠しもせず、それはもう丁寧に丁寧にお礼を言って常世に送り出していた。

 契約というのは、イメージとしては使い魔のようなものらしい。

 イキモノと絆を結び、双方で力を補い合ったり貸しあったりする契約を結ぶ。普通は儀式や呪術などでイキモノを呼び、応じてくれたものと合意に達すれば現世でのイキモノの呼び名を決めて契約をするらしい。

 だが、何をどうしたのか、僕と彼の間にはすでに絆が存在している。あとは僕が名前をつけて、彼がそれを認めれば契約は完了となる。

 彼のような強いイキモノは現世に影響をあたえかねないため、現世に現れた場合はすぐに組織の調整が入るらしい。調整とは聞こえがいいが、要はどうにかして常世に帰ってもらうわけだ。

 契約をするということは、イキモノ側が現世の事情を理解して乱す気はないことを示す意味合いもあるらしい。

 ただ、彼の場合は本当に神格レベルのイキモノらしく、僕が幼いうちに契約してしまった場合、彼にその気はなくても力負けして彼に吸収されてしまう可能性もあったらしい。

 とにかく、色々な制約があるんだ、と叔父はしゃべり疲れたらしくそう締めくくっていた。


「秦家はもともと私たちの様な猫に好かれるのよ。だから代々契約してきたのも猫が多かったの」

「ヤグルマは本当に猫なの?」

「本当の姿は、まぁ猫っぽいっていうのが正確かしら」


 ヤグルマは微笑んで見せた。


「まぁ、これで私は暸一の前で猫のふりをしなくてよくなったわけだから、そのうち見せてあげるわよ」


 どうやら自分の姿に自信があるらしい。誇らしげに胸を張っている。

 ほかの猫たちも、僕らの話を理解して反応しているのを見るに、見た目通りの猫ではないのだろう。

 疲れたように縁側に胡坐をかいて冷めたほうじ茶をがぶりと飲んでいる叔父をよそに、ヤグルマは尚もあれこれ話そうとしている。どうやら、猫のふりをして話せなかったことがかなり嫌だったようだった。


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