12. 奇妙な夕飯
めまいが収まって周りを見ると、そこは猫屋敷の祠の前だった。取り囲むように二十匹ぐらいの猫がいて、その真ん中に叔父が立っていた。僕を見るなり駆け寄ってくると、僕の頭を両手で包み込みじっと僕を見つめた。
「叔父さん」
「ちょっと静かに」
叔父はとても真剣に僕をその場で一回転させながらどこにも傷がないか細かく確認し、脈を図り、額を触り体温を確かめと続き、僕を体中もみくちゃにした。
確認し終わると、やっと安心したように叔父はため息をついて僕を解放してくれた。
「無事で何よりです」
隣を見ると友達が緊張した面持ちで立っていたが、叔父はそちらに見向きもせず今度は僕の背中に回って、ぐったりしたたつひこ君の様子を確かめているようだった。だが僕の時と違い、さすがにあちこちもみくちゃにしてはいない。他人様の子に同じような対応はしないらしい。
「こちらも問題ないみたいですね。すぐ目を覚ますでしょう。消耗しているでしょうから保護者の方に連絡して、夕飯の準備でもしましょうか」
聞くと、向こうで傷だらけになっていたのはいわゆる、魂の状態が反映されて見えただけで体が物理的に傷ついていたわけではないらしい。そういえば、僕と友達をつなぐ糸もこちらでは全く見えない。
「連絡って、どうやってというかなんて言ったら」
「そうですね、お腹すきすぎて倒れた、でどうですか」
「貧血の方が無難じゃ?」
「君は頭が回りますね。そうしましょう。連絡先ですが、この子、前に友達と一緒に屋敷の塀いたずらしに来てね。暇だったし相手したことがあるんですよ。そうしたら、ちょうどその子たちの母親の一人が通りがかって、連絡先を交換したんだよ」
子供の一人がキッズ携帯を持っていて、友達を連れてくると言っていたのに返ってこない息子の現在位置を検索したらしい。公園でも友達の家でもないところで子供がずっと立ち止まっているのをおかしいと思い、様子を見に来たらしかった。
「最近は、お菓子を持ってきてくれたりするんですよ。ついこの前なんかはハンカチをくれてね。迷惑かけているからって、よくしてくれるんですよ。確かに今でも子供たちはうろうろしたり僕を見て楽しそうに逃げたりしてたけど、あれからはいたずらしたり迷惑かけられたりはしていないのに」
シングルマザーで忙しいはずなのに、それでも良くしてくれるのはなぜだろう、と心底不思議そうな顔をしている。おまけに、多分すごく親切な人なんだろうとか、一人暮らしを気遣ってくれてとか言っている。
多分だが、叔父に気があるのではなかろうか。
ついこの前ハンカチをくれたって、もしかしてホワイトデーじゃないのか。
叔父は中性的で優しそうな顔立ちで、こういうタイプがもてるのは僕の短い十五年という人生でもすでによく知っている。叔父は自覚ないタイプなのだろうか。
というか、天然?
何とも言えない気持ちで、叔父の後について屋敷に戻った。
その後、叔父曰くとても親切なシングルマザー経由でたつひこ君の親に連絡がついたころには、本人も目が覚めていて、電話越しに怒鳴り声が聞こえるほど怒られていた。息子が無事であると分かった安心の裏返しだろう。
ご両親が仕事をすぐに抜けられず、迎えに来るのは遅くなるというので、迎えに来るまでは猫屋敷で預かる流れになった。都合がついたら知り合いが迎えに来るとのことらしい。あんなことがあった後で、一人の時に体調を崩して倒れたりしないとも限らない。しばらくは人の目のある所にいたほうがいい。
そんなわけで、食卓を4人で囲んでいる。
僕は急な展開に驚いたのだが、子供を預けられるほど見知らぬ男二人を急に信頼したのは、きっと叔父に気のありそうな例のママ友にでもよい印象を吹き込まれているのだろう。
「なんか、不思議な夢見たんだよなぁ」
たつひこ君はもりもりとポテトサラダを食べながら、じっと僕の友達を見つめている。
友達の方は知らぬ顔をして、僕や叔父の食べる様子を見つつ食べ物を口に運んでいる。人間の食べ物は食べたことがないらしく、食べている僕たちの反応を見ながら、恐る恐るといった様子だ。
「ねぇ、本当に僕と会ったことない?」
たつひこ君は友達に向かって何度目かの質問を投げかけた。
彼は向こうでのことはほとんど覚えていない。叔父が言うには、大概迷い込んだ人間は、受け止めきれずに忘れてしまうらしい。現実離れしすぎているから覚えていても、脳が勝手に現実とのすり合わせをして、記憶がすり替わってしまうことがほとんどなんですよ、と叔父がそっと教えてくれた。肉体的に負担が大きいこともあり、体が拒否するのかもしれない。
たつひこ君が彼を見たときは鹿のような容姿だったから、同じ形のあざがあるとしてもさすがに同一人物とは分かるわけがないのに、何か感じるものがあるらしい。小さい子はこういう不思議なことに大して勘が鋭いというのは本当なのかもしれない。
「門の前で倒れているのを見つけたのがこの子だったんだ。もしかしたら倒れる寸前に見たのかもしれないね」
叔父がそんなごまかし方をしている。全くの嘘ではない。気を失う寸前に見ているのも、向こう側でこの子を発見したのも、この角の生えた友達だ。嘘ではない。一方、たつひこ君に問いかけられた方は全く聞いておらず、目の前の食べ物に夢中だ。
別に珍しいものは何もない。
ポテトサラダに、豚の生姜焼き、キャベツの千切り、大根の味噌汁、白菜の浅漬けと梅干もある。きんぴらごぼうは総菜屋さんで買ったものだ。きょろきょろしながらもあれこれちょっとずつ食べている。箸が使えるかわからなかったので、フォークを差し出したら素直に受け取って使っている。フォークの持ち方が随分と勇ましい。
「そっか。こんな変わった子、会ったらさすがに忘れないよね」
生えている角に関しては仮装、ということにしてある。服装は叔父が和服なので、屋敷の人は和装を好むということで押し通した。青い爪やきれいな瞳などは、あまり気にならないらしい。彼の通っていた幼稚園にもアフリカ系のハーフの子や、フィリピンの子もいるらしく、肌や容姿が多少違ってもとくに不思議に思わず受け入れていた。どこかの国の子、という認識らしい。おかげさまで奇妙な食事の仕方もごまかせている。
とんでもなくおかしなところが多々あるのだが、ごまかせてしまうあたり、たつひこ君はまだまだ六歳の子供である。
「このしわしわの丸いのは?」
「あ、それはね梅干しって言ってね、この国の食べ物だよ」
たつひこ君は親切に一つとって、そのまま口に放り込んでみせた。
「ごはんと一緒に食べるんだ。この家のはうちのより酸っぱい。うちのは甘いんだ」
「最近は、はちみつ漬けの甘めの梅干しもありますね。たつひこ君の家はそれなんでしょうね。私なんかはやっぱりごはんに合わせると、しょっぱさと酸っぱさがあるのが好きなんです。君はどうですか」
「僕はどっちも好きですよ。米が好きなんで、米がおいしくなるなら」
「陽子さんもお米好きですよね。さすが親子ですね」
たつひこ君が平然と食べているのを見て、友達もどうやら食べる気になったらしい。
「これ、不思議な匂いがするから食べて平気か不安だったんだ。酸っぱい匂いは危険だから」
たしかに、加工したわけでもなく酸っぱい匂いがする食材は腐っているものである。
「梅干しはそっちの葉っぱのと一緒で、漬けてあるんだよ。種があるから気を付けてね」
友達は僕の言葉に真剣にうなずいて、たつひこ君とそっくり同じように、ぽん、と口放り込んだ。
そして、絶句した。
口を閉じたまま、目を見開いて固まったと思った途端に身震いし、目を泳がせてかわるがわる僕らを見ている。
「大丈夫?」
「もしかして、種ごと飲み込んじゃいましたか?」
たつひこ君は叔父さんの言葉を聞いてあわててコップを指さした。
「水、水飲んでっ」
それでも動かないのを見て、たつひこ君は立ち上がってそばに駆け寄りコップを手渡そうとする。
すると、友達の口のはしから、つーっと何かが垂れた。
とめどなく、よだれが流れている。見ると血の気のないはずの顔は真っ赤である。
「吐き出す?」
酸っぱかったようだ。
僕がそう言ってティッシュを差し出すと、無言で受け取り後ろを向いて梅干を吐き出した。
「……こんなとんでもないものを人間は平気で食べてるのか?」
まだ涎を垂らしながら、彼は僕らを見ている。
「人間っていうか、好みは分かれるけどね。好きな人も嫌いな人もいるよ」
僕がそう言うと、今度はすごく真面目な顔をしてうなずいてから、手元の吐き出した梅干を見た。
「もったいないことをしてしまった」
「こちらも説明が足りなくて申し訳ない。あなたには少し刺激が強すぎましたね。それ以外のものは大丈夫だと思います」
叔父は吐き出したことは気にしないように言って、彼の手にある梅干を捨てようと手を出したが、それを避けてなんと再び梅干を口入れた。
一口で食べなくてもいいのに、またしても口から涎をあふれさせている。
僕はあきれながら、席を立って台所からタオルを持ってきて渡してやった。
「食べ物を粗末にすることは好きではない。これだって命をいただくことに変わりないし、作ったものにも失礼だ」
顔を真っ赤にし、なおも唾液をあふれさせながらもなんとか咀嚼して、種を吐き出し実だけを飲み下した。
口を閉じているように見えるのに涎を垂らすとは、器用なものだ。彼はたつひこ君の差し出した水を飲み、白米で口直しをしている。
たつひこ君はどうやらただ酸っぱかっただけだと分かると、心配一転、涎だらけなのをきたねぇとからかったり笑ったりしている。
からかっている相手はたつひこ君が言うところの本物の化け物なのだが、なんとも和やかだ。なによりたつひこ君が無事で、全く支障がなくてよかった。
その後、たつひこ君のお迎えには彼の親ではなく例の親切なシングルマザーがきて、玄関口でなんだか意味ありげに叔父に視線を送ながら、たつひこ君のご両親はまだ遅くなるらしく、今日はうちで預かる、というような話をしている。その合間にどうみても故意に何度も叔父の腕に触れたりしている。
あれは気づかないほうがおかしいだろ、というぐらいはっきりと分かる態度に叔父はまるで気づいている様子はない。丁寧にたつひこ君の様子を伝える叔父と、なんとかまた会いに来る口実を作ろうと話を脱線させるその女性はまるで話がかみ合わないままに、たつひこ君の大あくびでお別れとなった。
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