8. 毛玉と叔父、そして秦家について

 子供たちを足早にまいて、猫屋敷に戻った。あれから毛玉は話しかけてこない。いや、やっぱりもともと話していたわけではなく、僕の耳鳴りがついに幻聴にまで悪化しただけかもしれない。

 澄ました様子で横を歩く綺麗な猫をちらちらと見ながら、僕は縁側に向かった。部屋でゆっくり過ごしたかったけれど、毛玉はどこまでもついてきそうだったのでやめた。

 叔父はまだ離れの書斎で仕事しているだろうし、縁側には猫以外誰もいないと思っていた。ところが、そこには叔父がいた。ちょうど急須をもって湯呑にお茶を注ぎ始めたところだった。

 着物で縁側で急須で緑茶。もはや舞台か何かの演出のように見える。整った顔をしているのも、始末が悪い。

 僕の足音に気づいた十匹近い猫が一斉にこちらを向いた。その動きで叔父も僕に気が付いた。


「随分と早いお帰りですね」


 僕がどう返事をしようか迷っていると、僕より早く声が上がった。


「透っ、この子やっぱり後継ぎよ」


 幻聴だ。毛玉に目をやると、素早く軽い身のこなしで縁側に飛び乗って胸を張って叔父の横に座った。そういえば、この家を出入りする猫の何匹かは屋敷の中まで上がっているのを見るが、叔父が足を拭いたりしているのを見たことがない。それなのに、どこにも猫の足跡の汚れがないのが不思議だった。

 叔父はちらりと隣に来た猫を見た。心なしか視線が厳しい気がするが、いつも柔和に細められている叔父の顔からは、優しさ以外の感情を見つけるのは難しい。叔父と毛玉を見比べていると、叔父がため息をついた。


「怒るって分かってたけど、この子、自転車にぶつかりそうになってたんだから。仕方ないでしょ」


 叔父は応えることなく、僕の方を向いて微笑んだ。


「君もお茶飲みますか? 色を見るに美味しく入れられたと思いますよ」

「ちょっと、無視するの?」

「ヤグルマは少し黙っていてください。話が進みませんから」


 叔父が毛玉に返事したように見える。

 幻聴に続き、妄想だろうか。


「透、怒ってる?」

「少し怒ってます」

「だって、人間は些細なことで死んでしまうでしょ。ただでさえ短い命だというのに。だから行動を起こしたのよ」

「怒っているのはそこじゃありません。そのあと話しかけたりしなければ良かったはずです」

「でも、この子ろくに目が見えてなかったみたいだし、放っておけないじゃない」

「見守る、という選択肢もあったはずです」

「でも、そもそも封じているのが原因なわけだから、それを外してしまえば」

「ヤグルマ、あなたにはできるだけ接触しないようにお願いしました」

「でも」

「でもばかり。つまりあなたは言い訳ばかりしている。いけなかったと自覚してるんじゃないですか」


 おっかない。

 叔父は、穏やかで冷静に見える。口調も実に穏やかだ。それがとてつもなく怖い。

 しかも、叔父は間違えようもなく猫と話してた。

 相変わらず僕は突っ立ったまま、頭が痛いわけでもないのに髪の毛をかき乱してた。僕が怒られているわけではないのに、動揺している。

 なんとなく覚えている怖い叔父とはまた別の怖さだ。

 気が付くと、女王様のように偉そうだった毛玉が完全にしょぼくれている。


「座りませんか」


 叔父が僕を見て、そう言った。僕は叔父に向かい合う位置に腰を下ろした。叔父は自分用に煎れたのであろうお茶を僕に押し出した。


「温かいうちに飲んでください。湯呑みをもう一つとってきます」

「えっ」


 この状況で席を外されるのは、それはそれで気まずい。僕の声に反応して叔父が振り向き、少し首を傾げた。


「どうかしましたか」

「いえ、どうっていうか」

「ああ、何か甘い物も見繕って一緒に持ってきます」


 そうじゃない。

 小腹なんか空いてない。

 どう考えても今必要なのは甘い物なんかじゃない。

 そんなこと言えるはずもなく、僕は黙ってうなずいた。



 叔父が戻ってくるまでのわずかの間、僕は横目でしょぼくれたヤグルマと呼ばれていた毛玉を眺めながらも黙って座っているほかなかった。猫に話しかけるのは気が引けるが、ヤグルマは僕を助けたから叔父に怒られたのだ。気まずい。

 ヤグルマは床にへばりこんで、組んだ腕の上に頭をのせ、床の一点を見つめている。猫の表情などよく分からないが、しょぼくれているとしか言い様のない雰囲気を全身から発していた。

 庭にいる猫たちもいつもと違う様子を見せている。普段はそれぞれが気ままにじゃれ合ったり日向ぼっこしたり木に登ったりと自由に過ごしているが、今日は縁側の前に集まり座り方こそそれぞれだが、みんながこちらを向いている。

 もしかして、こいつらも全員話せたりするのだろうか。

 そんなことを考えながら、いい加減沈黙も厳しくなってきたころ、叔父は戻ってきた。手には湯呑とせんべいを持っている。


「普段、あまり甘いものを食べないから、結局つまむものもおせんべいしかなかったんです。構わないですか?」

「ありがとうございます」


 むしろ何も無くてもいいから早く戻ってきてほしかった。僕はほっとしながら、叔父が座るのを待った。

 ヤグルマはちらりと叔父を見たが、器用に床に伸びたまま後ろに二歩下がった。


「ヤグルマは母が名付けた名前です」


 叔父は座るなり僕にせんべいを一枚渡して、唐突にそう言った。ヤグルマの耳がぴくりと動いた。


「つまり君のおばあちゃん、ですね」


 祖母は、僕が生まれる二年前に亡くなっている。たしか父が二十五歳、叔父が十三歳の時だったはずだ。父は四人兄弟で、叔父さんはその一番下の弟で、間の二人も幼くして亡くなっている。母が言っていた通り、父があまり昔の話をしないのはやはり辛いからだろう。叔父への態度を見る限り、家族を大切に思っているのは確かだ。


「ヤグルマギクの花言葉、上品とか華奢とかっていうイメージがぴったりだからって。私からすると上品というより女王様ですが」


 叔父はちらりとヤグルマを見てから、静かにお茶を飲んだ。


「花が好きな人でしたね」


 確かにヤグルマをただの猫として見ていた時は、きれいな猫だと思っていた。まさしく上品で華奢。その通りだ。


「母がヤグルマと出会ったとき、ヤグルマはこちらの世界にうっかり迷い込んでしまい弱って死にそうになっていたそうです」

「あの人は、力が強くて何より声がきれいだった。ただ話しているのを聞いているだけで幸せだった」


 ヤグルマは顔をそむけたままそう呟いた。


「小さい頃、母はよく絵本を読んでくれたけれど、僕じゃなくてヤグルマがねだったよね」

「いいじゃない、好きだったんだもの」

「でもヤグルマの好きな本はつまらなかった」

「透が物心ついてからは、私が本を選ぶと文句を言うようになって、あの人まで私をたしなめるようになって3人で喧嘩したわね」

「母は喧嘩していたんじゃなくて、間に入ろうとしてたんだよ」


 つまり、祖母もヤグルマと話していたということだろうか。

 二人のやりとりは、祖母に対する愛情と淋しさが滲んでいて、疑問は山ほどあったが、なんとなく口をはさめなかった。

 そもそもどうしてヤグルマが話せるのか。

 ヤグルマが特別なのか祖母や叔父が特別なのか。

 こちらの世界、ということは別のところから来たのか。

 目がかすんだ原因が、封じたせいというのはどういうことか。


「とにかく、そういう血筋というわけです」


 叔父はそう言って僕をじっと見つめた。

 僕も叔父を見つめ返したが、何と言っていいか分からない。まるでこれで説明が終わったとでも言っているような顔で、叔父はこちらを見つめている。


「つまり、おばあちゃんもヤグルマと話せて、叔父さんも話せる。もしかしておじいちゃんやお父さんも?」

「二人は話せません。父にはそういう力はないし、兄さんも受け継がなかったみたいです。ただ、父はもともと母の能力を知っていましたし、兄さんは分からないながら自分なりに解釈して受け止めてくれているみたいです」


 父は自分の母や弟のことを一種の障害というか性質のようなものと受け止めているらしい。よそを見て話したり急に妙な行動をしたり、不思議なところがある。でも普通に生活できるしコミュニケーションもとれるので、おかしいわけではない。幼いころからそんな少し変わった母を見て育ったから、自分の弟がそういう行動をとってもすんなりと受け入れていたらしい。

 なんというか、器の大きい父である。


「時間があるときに、秦家の資料を見せてあげましょう。どこかに家系図もあるはずですし、古文書もあります。私の勉強にいろいろと調べているんですけどね。とにかく、君はそういう家系に生まれたわけです」

「じゃあ別に頭がおかしいとかじゃなくて」

「君の体調が時々狂うのも、主にその能力のせいですね」

「正確に言うなら透のせいね」

「まぁ、確かにそうでしょうね」


 叔父が気まずそうに座り直して、目を逸らした。


「母は私にいろいろ教える前に他界してしまったので、私には少しばかり力はあってもイレギュラーに対処ができない。ですが、君を守るために急いで対応しなければいけない状態だったもので、資料とヤグルマの記憶を頼りにした結果、ちょっと副作用が強くなってしまったわけです」


 意味が分からない。

 僕の表情から気持ちを読み取った叔父が、言葉を探すように目を泳がせている。


「参ったな。普段ほとんど人と話さないから、うまく言葉が見つからない」


 叔父はヤグルマに助けを求めるようにそう呟いた。


「その辺りの経緯はおいおい話していけばいいじゃない。とにかく、秦家はオンミョウジのような人たちの血筋で、時代が時代ならダイメイが贔屓にするような力ある家柄なの。それで代々私のようなもの、常世のイキモノと絆を結ぶのがならわしってわけ」

「ヤグルマ、ダイメイじゃない、だいみょうだよ。大名。ヤグルマはその時代はこっちの世界にいなかったから、言葉が怪しいんだ」


 ヤグルマは自分の言い間違いが恥ずかしいのか、誤魔化すように鼻を鳴らした。

 陰陽師。大名。

 陰陽師って、安倍晴明とかのあれか。


「じゃあ、その常世っていうのは」

「古事記とかに出てくる、常世と現世って聞いたことないかな。現世は現代。僕らが生まれて生活している世界。常世っていうのは――」


 叔父の説明を聞きながらお茶を飲んでいると、門の方から一匹の猫が走りこんできた。毛を逆立ててただならない様子で、姿を見た途端にくつろいでいた猫たちはいっせいに立ち上がり、ヤグルマはその猫に駆け寄った。

 二匹が体をこすり合わせたと思ったら、ヤグルマが素早く僕らを振り返り、告げた。


「誰か人間が一人、入り込んだみたい」


 その言葉を聞いた叔父は、勢いよく立ち上がった。その顔には今までの穏やかな様子はどこにもなく、厳しくしかめられていた。

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