3. 叔父
玄関に入るとすぐに小さなホールになっていて、二階に続く階段が見える。木の床は磨きこまれていてピカピカだ。階段の手すりのポールに澄ました様子の木彫の猫がくっついているのが見えた。小さい頃、あの猫がよく見たくて、叔父さんに抱っこしてもらった記憶がある。
小さい頃も大きな屋敷だと思っていたが、大きくなってみると常識外れな大きさと手の込んだ作りなのがよくわかる。クラスメイトをここに呼んだらとんでもない騒ぎになりそうだ。みんなが騒ぐ姿を想像して、笑いそうになった。やっぱり緊張しているみたいだ。
込み上げた笑いを飲み込んで、手にした荷物は勝手に玄関に置かせてもらい、父のあとを母と一緒についていった。ひやりとした木の廊下の感触に僕の緊張はじわじわと増していく。緊張しすぎているおかげか、ほとんど頭痛は感じなくなっていた。
屋敷の中に入るなり、父が僕の小さい頃の話をいくつかしてくれたが、まるで覚えていない。叔父のあとを、とおるくんと連呼しながらついて歩いていたらしい。優し気な目元や、細いのに握るとしっかりしていた叔父の手なんかは覚えがあるが、屋敷の中の様子はあまり思い出せない。ちゃんと思い出そうとするとすぐに怖い叔父を思い出してしまう。豹変したように冷ややかに僕を見下す細い目。着物からすっと伸びる首筋すらも怖かった。
そうだ、叔父はいつも和服を着ていた。
思い出してしまった怖い顔を追い払おうと、僕は父に声をかけた。
「これから叔父さんに会いに行くの?」
「人が集まるときに使う、一階の大きい和室に行くのよね」
返事は後ろの母から返ってきた。そういえば親戚の付き合いなどで母は年数回この屋敷に顔を出している。歩く方向でどこに向かっているかわかるのだろう。
「母さんと暸一にはそこで休んでてもらって、透を呼んで来ようと思って」
父はそう言って僕をちらりと振り返った。
「そういえば体調はどうだ?」
「大丈夫。薬が効いたのかも」
僕がそう言うと、父は安心したようにうなずいた。
「もう暸一の部屋自体は用意してあるらしいから、休みたくなったら遠慮なく言うんだよ。日帰りの予定だったけど、一泊してから帰ってもいいし」
「急にそんなの迷惑じゃない?」
「いやぁ、今は透一人でここに住んでるらしいから、この広さだし、大して影響もないだろ。せっかくならおじいちゃんとかも呼んであげればよかった」
「そうね、暸一の卒業式の日だし喜んだかも」
「でも、先週会ったばっかりだよ。父さんたちの送別会で」
そんなことを言いつつ、父が廊下の一番左奥のふすまを開けた。
ふすまが開いた瞬間に畳の香りが広がり、薄暗く冷たかった木の廊下に明かりがさしこんだ。この部屋はなんとなく記憶にある。
記憶をたどりながら足を踏み入れたところで、固まってしまった。
居間の反対側の障子が開け放たれていて、その縁側に小さなお膳をはさんで男の人が二人座っていた。一人は見覚えのない丸っこい人で、丸い眼鏡をかけている。三十代後半か、いや半ばぐらいかもしれない。もう一人は着物を着た背中は大きいのに、肩が細い。
振り返るのを待つまでもなく叔父だと分かった。着物だったから、というのもあるが何か感じるものがあった。
「おっと、お客様がいたとは知らずに失礼しました」
父が先に声をかけた。
「玄関に靴がなかったもので、つい来客はないものだと思い込んでしまいました」
すると、叔父がすっと立ち上がって居間の時計を見た。
久しぶりに見た叔父の顔は、三十歳とは思えない若い顔立ちだった。鼻筋は細いが通っていて、涼し気な細い眼は微笑んでいるように柔和で、目にわずかにかかる髪は僕とは違いまっすぐで、柔らかそうだ。
なんとなく覚えている叔父の顔に一致するが、それよりもより、もてそうな中性的な顔だ。本当に同じ血筋だろうか。
「もうそんな時間か。ごめん、兄さん。気が付かなくて」
「いや、インターホン鳴らさなかったんだ」
そう言いながら、父はもう一人の方を見て、わずかに目を細めている。
「秦家のご長男でしたよね。お久しぶりです。覚えていらっしゃいますか」
「やっぱりどこかでお会いしていましたか。すみません、思い出せなくて」
「お母様がご存命の時に会ったのが最後、いや、透さんが仕事を始めたときかな」
「ああ、団体の方でしたか。母に続き、弟がお世話になっています」
父は丁寧に頭を下げているが、叔父さんの方は苦笑いを浮かべている。
「お世話も何もこの人、家に来るのはほとんど世間話するためなんだよ」
「お母様とはお仕事もたくさんしてきましたけど、透さんにはどうしたらいいんだかまだ決めかねていて」
「決めかねるってもう何年も決めかねてますよ」
「私のストレスを緩和するのも、透さんのお仕事と思ってもらえませんか」
「仕事で来てるって言うのなら、将棋盤持って帰ってください」
「良いじゃないですか。私のためにわざわざ覚えてくれたんでしょう、将棋」
「だって、口をとがらせて、催促して、うるさいじゃないですか」
二人のやりとりを見て、父はどこか嬉しそうに笑っている。
「これからもその調子でぜひ構ってやってください」
「お兄さんのお墨付きなら、これからも足繫く通わせてもらいます」
「止めてよ、兄さん」
叔父とのやり取りから見るに随分と親しいようだ。細い叔父と、小太りのその人が並んで言い合っているのはなんだか面白かった。頭痛すら押しのける緊張がわずかにほぐれるのを感じた。
「それでそちらのお若い方は、ご子息ですか」
「ええ、息子の暸一です。私が仕事で海外にしばらく行くことになるもので、この春から透の世話になるんです。今後顔を合わせることもあると思いますがよろしくお願いします」
「秦暸一です。よろしくお願いします」
僕は叔父の視線がついに僕に向けられたことを感じながら、そっと頭を下げた。
「これは、またすごいお子さんですね」
てっきり名前を教えてもらえると思ったのだが、返ってきたのはそんな言葉だった。
「なんというか、随分と強いというか、向こうに馴染んだというか」
思わず口走ったという様子の小太りの人の言葉を遮って、叔父が小声で返している。
「望月さんって鴉じゃなくって、本来は目なんでしたっけ」
「おかげでいいように扱われてます」
「とにかく、今そう言う話はちょっと」
「すみません、うっかりして」
わけのわからないやり取りがひそひそと繰り広げられている。父は慣れているようで、居間の奥から座布団を持ってきて広げている。
「では改めて、初めまして、望月です。透さんとはお仕事仲間とでも言いますかね。月に数回お屋敷にお邪魔してるんですけど、今度一緒に練りきりでも食べましょう」
にっこりと笑うと目が糸の様に細くなり、開いているか分からなくなってしまった。僕は、はぁとか、はいとかなんだかよくわからない気持ちそのままの返事を返した。練りきりってなんだろう。美味しいといいんだけど。
「ところで、暸一君。あなた」
望月さんが話し始めた途端、叔父さんがまた遮った。
「君が越してくるのは七日後で、高校の入学式が十八日後、四月七日でしたね。荷物は、今日少し持ってくるって言ってなかったっけ」
叔父は父に向かって唐突にそう切り出した。
「ああ、玄関に置いてあるよ」
「そうでしたか、では案内がてら運んじゃいましょう」
言いながら、叔父さんは明らかに望月さんを制止するように視線を投げかけていた。それに対して、望月さんは欧米人の様に肩をすくめて丸眼鏡を押し上げた。
「ところで、透さん。ちゃんとご飯は食べてます?」
それまで黙っていた母が、妙な空気を読んだのかてきぱきと持ってきたおにぎりを並べ始める。
「透さんも一緒に食べましょう。そんな細い体して、まったく。ほら、荷物の前にみんな手を洗って腹ごしらえしなきゃ」
「それでは、私はそろそろお暇いたしますね」
望月さんは、家族の時間を邪魔しちゃいけないからと微笑んで、あっさりと縁側から帰っていった。
「ヤグルマはしばらくどこかへ」
僕たちは望月さんを見送ってから手を洗いに縁側に背を向けたときに、叔父が庭に向かって何か言った。人影が見えたので望月さんがまだ庭にいたのかと後ろを振り向いたが、叔父が話す先に人の姿はなく、庭にたむろしていた猫が一匹、タイミングよく走り去った。
そのあとは手を洗いに行くにも、台所に飲み物を入れに行くにも叔父が先導し、物の場所などあれこれと説明してくれる。僕は律義に頷きながら頭に叩きこんだ。
会話は大人たちだけで進み、僕はただおにぎりを体に詰め込み、会話の様子を観察して今の叔父の人となりを少しでも掴みたかったが、耳鳴りや目のかすみに襲われしまいそれどころじゃなかった。庭を見ていると、なにかが走り去るように靄が動いて見える。耳鳴りに注意を向けると、まるでなにかが話しているようなざわめきに感じる。
よくあることだ。
よくあることだが、頭の中をかき乱されるようで不快だ。
気が付くと僕は髪の毛をいじっていて、それを叔父がじっと見つめていた。
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